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『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎

『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎、講談社現代新書

 ユダヤ系科学者の科学史、東欧史、科学者の評伝としても読める本。

 個人的には、第一次大戦後のハプスブルグ帝国の崩壊と、ソ連、ナチスによる蹂躙の歴史に興味があったので、ハプスブルグ崩壊後のハンガリーの混乱ぶりは驚きました。

 ティモシー・スナイダーの『赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀』『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』『ブラック・アース ホロコーストの歴史と警告』を読んでいたのですが、スナイダーはポーランドとウクライナが中心だったので、第一次大戦後のハンガリーのめまぐるしい動きは、権力の空白の恐ろしさを実感できました。スターリニストによる赤色テロ→隣国ルーマニアの介入→スターリニストの亡命とソ連国内での粛清→ナショナリストによる白色テロで国力を失えば、それは簡単にソ連やナチスに蹂躙されるわな、と。

 ハンガリーは行ったことはないのですが、精神科医の中井久夫が『家族の深淵』のなかの「「ハンガリーへの旅から」で平均海抜200メートルの《周囲の山々の手前の平野のかなりの部分までが他国領で》こうした無防備な国で《強大国と境を接する小さな国の兵士はどういう気持ちで軍人になるのだろうか不思議に思った》ほどの《地政学的な不幸》を思うところを思い出しました(p.268-)。

 評伝としては私有財産を放棄した聖人のようなエルデシュと世俗的なノイマンの対比も面白かった。

 ユダヤ系科学者の科学史としては、改宗ユダヤ人化学者ハーバーの悲劇が印象的です。ドイツ人以上にドイツ的たらんとしたハーバーは、第一次大戦での毒ガス兵器の開発に尽力しますが、敗戦。ナチスが政権を奪取すると追放、彼が開発した毒ガスはユダヤ人虐殺に使われます。

《ベルリン大学に入学した当時のノイマンは、「戦争を早期終結させるためには、非人道的兵器も許される」という「化学兵器の父」フリッツ・ハーバーの思想から影響を受けた可能性がある》(k.1820)《ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」》(k.1826)だったと著者は結論づけています。

 バンバーガーが「ブラック・サーズデー」の1ヵ月前にデパートの所有権をR・H・メーシー社に売却した利益でプリンストン高等研究所がつくったというのも知りませんでした。

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彼の死後、生前の論文を集めて出版された英語版『フォン・ノイマン著作集』は、全六巻で合計三六八九ページに及ぶ。第一巻「論理学・集合論・量子力学」、第二巻「作用素・エルゴード理論・群における概周期関数」、第三巻「作用素環論」、第四巻「連続幾何学とその他の話題」、第五巻「コンピュータ設計・オートメタ理論と数値解析」、第六巻「ゲーム理論・宇宙物理学・流体力学・気象学」というタイトルを眺めるだけでも、彼の論文がどれほど多彩な専門分野に影響を与えたか、想像できるだろう(k.13)


ある日曜日の午後、一一歳のノイマンと一緒に散歩をしていた一二歳のウィグナーは、ノイマンから「群論」を教えてもらったという。ウィグナーは、後にノーベル物理学賞を受賞することから推測できるように、幼少期から数学も抜群に優秀だったが、群論はまったく未知の概念だった。その当時、ノイマンの数学はすでに大学院レベルに達していた(k.61)

機雷の衝撃波を検証するためには、連続的に変化する非線形の衝撃面の状態を記述する偏微分方程式が必要であり、その方程式を解くためには、膨大な計算が必要になる。そのためにノイマンが中心になって進めたのが、コンピュータの開発だった(k.101)


ノイマンは、戦後の占領統治まで見通して皇居への投下に反対したのであって、事実そのおかげで日本は命令系統を失わないまま三ヵ月後に無条件降伏できた。その意味で、ノイマンは無謀な「一億玉砕」から日本を救ったとも考えられる(k.125)

スタンリー・キューブリック監督の風刺映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』には、車椅子に乗る大統領科学顧問ストレンジラブ博士が登場する。そのモデルはノイマンだと言われている(k.142)

ノイマンの「一度読んだ本や記事を一言一句たがわずに引用する能力」は、生涯にわたって続いた(k.241)

九歳のエルデシュは、「任意の2以上の自然数nに対してnと2nの間に素数が存在する」という「チェビシェフの定理」に簡潔な数論的証明を与えて数学界の脚光を浴び、「ブダペストの魔術師」と呼ばれるようになった(k.276)

(エルデシュは)「私有財産は数学の邪魔」と信じ、手に入った金は、ほとんどすべて他人に配った(k.290)

エルデシュは、一九九六年に八三歳で亡くなるまで、五〇〇人以上の共著者とともに一五〇〇編以上の論文を発表した。数学史上、これ以上の数の論文を書いた数学者は、一八世紀のスイスの天才数学者レオンハルト・オイラーだけである(k.297)

そもそもユダヤ人がヨーロッパで姓を名乗ることを許されたのは、一六世紀である。ただし、彼らは自由に姓を選べたわけではなく、自然由来の姓を名乗るように強いられた歴史がある。「ノイマン(新しい人)」や「フリードマン(自由な人)」や「ゴールドマン(金のある人)」のように接尾辞「マン(mann)」の付く姓は、明らかにユダヤの出自(k.337)

後にセゲーは、ケーニヒスベルク大学教授になったが、ナチス・ドイツに迫害されてアメリカに亡命し、スタンフォード大学教授となり、ジョージ・ポリアをはじめとする数多くのユダヤ人科学者を救出した。やがて彼らが、現在の「シリコン・バレー」の拠点を形成していくことになる(k.382、セゲーはブダペストの数学者でノイマンが10歳の時に指導)

一九一九年三月には「ハンガリー革命」が起こり、ベーラ・クンが共産主義政権を樹立して、「ハンガリー・ソビエト共和国」の成立を宣言した。  クンは、旧皇帝派の貴族や旧帝国軍人ら五〇〇人を粛清する「赤色テロ」を行った。「レーニン・ボーイズ」と呼ばれる革命派の労働者や人民軍兵士が、軍用トラックに乗ってブダペスト中を走り回り、カトリック教徒や裕福なユダヤ人に襲いかかった(k.107)

四月になると、隣国ルーマニア王国が「赤色革命の飛び火を防ぐ」という大義名分でハンガリーに侵攻し、後にブダペストを占領した。共産主義政権は崩壊し、クンはソ連に亡命。その後、スターリンの粛清によって銃殺された(k.413)

(ルーマニアが撤退した後)政権を握ったホルティは、クン以上に残忍だった。彼は、「赤色テロ」の報復に、旧共産主義政権の関係者五〇〇〇人に拷問を加えて殺害するという「白色テロ」を実行した。 さらに、ホルティ政権の中枢を担った旧皇帝派の貴族は、もともと疎ましく思っていたユダヤ人を排斥した。その結果、ハンガリーの内政は再び混乱し、経済は落ち込んだ(k.422)


二〇世紀初頭のヨーロッパでは、「化学こそが人類の生活を向上させる」という「化学ブーム」が生じていた。化学肥料によって生産革命が起こり、食糧生産が劇的に増加し、世界中の飢饉や貧困が減少したためである。そこでマックスは、ベルリン大学応用化学科への進学を息子に勧めた(k.435)

(改宗ユダヤ人のハーバーが)一九〇八年以降、化学者カール・ボッシュとともに開発した「ハーバー・ボッシュ法」は、空気中の窒素と水素から化学肥料の原料となるアンモニアを化学合成する方法で、「空気からパン」を限りなく生み出す夢の技術とみなされた。
 実際に「ハーバー・ボッシュ法」による人工アンモニア由来の食糧がなければ、世界人口の五〇億人は生存できないという試算もあるほど、現在も全世界の食糧生産に影響を及ぼす化学工業の中心的技術である。
 さて、そのアンモニアは、窒素を栄養源とする植物の化学肥料にもなるが、「硝酸」に化学変化させれば、火薬の原料にすることもできる。  第一次大戦が勃発すると、イギリス海軍は海上を封鎖して、ドイツが火薬の原料となる「硝石」を輸入できなくした。しかし、「ハーバー・ボッシュ法」による火薬の大量生産に成功したドイツは、第一次世界大戦で使用する爆薬の原料すべてを国内で調達することができた。その方法をもたらしたハーバーは、ドイツ科学界の「英雄」だった(k.470)

(妻が抗議の自殺をしても)ハーバーは、毒ガス研究を止めなかった。その後も彼は、イーペルで使われた塩素ガスを強化した「イペリット・ガス」、さらに毒性の強い「ツィクロン・ガス」を開発し続けた(k.490)

献身的にドイツに尽くしたハーバーに対して、一九三三年、ナチス・ドイツは、公職追放を宣言した。その理由は、彼は改宗したが、両親と祖父母がユダヤ教徒だからだった。
 ナチス・ドイツの科学諮問委員会では、当時のドイツ科学界を代表する物理学者マックス・プランクが「ハーバーのような優秀な科学者がいなくなったら、ドイツの物理学と化学は大変な損失を被ります」と擁護した。  これを聞いたヒトラーは激怒し、「それならば我々は、今後百年間、物理学も化学もなしでやっていけばいい」と言い放った。この事件以降、多くの優秀なユダヤ人科学者が、堰を切ったように連合国側に亡命するようになった(k.)

(ノイマンが第二次世界大戦後、ソ連に対する先制核攻撃を主張したのは)「英雄」ハーバーの思想から影響を受けた可能性は十分考えられるのではないだろうか。そもそも彼がベルリン大学応用化学科に進んだのも、父の勧めに加えて、ハーバーに憧れた一面があったからかもしれない(k.517)

(治安の悪化したベルリンでの学生生活を心配した父によってノイマンはスイスの大学に編入するが)スイス連邦工科大学といえば、アインシュタインが一八九五年に受験して不合格となった難関校である。アインシュタインは、予備校に通って翌年に合格したものの、この失敗が尾を引いて大学に研究者としては残れず、スイス特許局に勤めることになった(k.532)

ゲームについては、一九二一年、ソルボンヌ大学の数学者エミール・ボレルが最初に数学的応用に触れた論文を発表している。それに敬意を表したのか、ノイマンは「ゲーム理論」をフランス語で発表、次作の「戦略的ゲーム理論」を通常のドイツ語に戻して書いている。  ボレルの論文は、「ポーカー」で勝つための確率や「ブラフ」の利益率を検討し、数学的なゲーム理論が政治学や経済学にも応用できると述べている。そこからボレルを「ゲーム理論の創始者」とみなす意見も一部にあるが、それには無理があるというのが、数学史学界の大方の見解である(k.710)

ノイマンが、ナチスに対しては「尽きることがないほど強い憎悪」を抱いていた。ここで重要なのは、その「憎悪」以上に彼に「幻滅」を抱かせたのが、自由主義陣営の「宥和政策」だった(k.1306)

水滴は、表面張力で形状を維持しているが、そこに力を加えると分離する。原子核も電荷が抵抗力になっているが、そこに中性子が衝突すると、水滴と同じように、原子核が二つに分離するのではないか。そのイメージは、細胞が増殖する際の「細胞分裂(cell fission)」に似ている。彼らは、これを「核分裂(nuclear fission)」と名付けた(k.1416)

「マンハッタン計画」は、テネシー州オークリッジの精製工場で原材料となるウランやプルトニウムを生成する「プロジェクトX」と、ロスアラモス研究所で原子爆弾を設計し製造する「プロジェクトY」の主軸二本で進められていた。「X」と「Y」は、機密保持のために付けられた暗号名(k.1755)

ベルリン大学に入学した当時のノイマンは、「戦争を早期終結させるためには、非人道的兵器も許される」という「化学兵器の父」フリッツ・ハーバーの思想から影響を受けた可能性がある。
 ロスアラモスでは、「非人道的兵器」を開発する「罪悪感」に 苛まれていた若い物理学者リチャード・ファインマンに対して、「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と断言して、彼を苦悩から解き放っ
た(k.1820)

ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」(k.1826)

日本が真珠湾攻撃成功で沸いていた頃、ノイマンは、未来のコンピュータやロボット、そしてブラックホールに関連する基礎研究を進めていた(k.1690)

七月一六日の「核実験成功」のニュースは、外国通信社が配信している。日本の大本営も情報を得ていたし、物理学者の湯川秀樹は広島が投下目標であることまで知っていて、友人に広島を離れるように伝えたという証言も(k.1914)一発だけでは、それしかないと日本が判断して抗戦を続けるから、二発にしたというのが定説(k.1918)もし日本が降伏しなければ、八月一九日に「東京ジョー」と名付けられたプルトニウム型原子爆弾を東京に投下する予定があった。それでも日本が抗戦を続けたら、札幌から佐世保まで、全国一二の都市へ順番に原爆を投下する計画もあった。大本営の「抗戦命令」が、どれほど時代錯誤で非科学的な妄想だったか(k.1928)ナチス・ドイツはユダヤ人を「大量虐殺」したが、当時の日本の戦争犯罪者は、日本人を「大量虐殺」した(k.1938)

 一九四四年の夏から秋にかけては、原爆設計の最終段階に差し掛かり、ノイマンは、爆縮設計の責任者として超多忙だった。彼の自由時間は、プリンストンとロスアラモスを往復する列車の中だけだったが、そこで彼は、コンピュータの「論理構造」を考え続け、手書きのメモを何枚も書いた。
 そのメモを受け取ったゴールドスタインは、一〇一ページのタイプ原稿にまとめた。そこに描かれているのは、ハードウエアとソフトウエアの分離した、かつて人類史上に存在したことのない、まったく新たな機械の定式化だった。
 その後、この定式化が「バイブル」となって、世界中に「ノイマン型」コンピュータが誕生することになったわけである(k.2088)

同じハード(機械) を使いながら、ソフト(プログラム) を変換すれば、多目的に対応することができる。その「プログラム内蔵方式」の概念を史上最初に明確に定式化したのが、ノイマン(k.2165)

ノイマンは、「純粋数学」の限界を見極めて、「応用数学」の重要性に目を向けるべきだと主張しているわけである。「経験的な起源から遠く離れて『抽象的』な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性がある」というのが、ノイマンが未来の「数学」に強く抱いていた危機感(k.2330)

ラッセルによれば、終戦後に設立された「国際連合」のような緩い機関では、とても将来の世界平和を保障できない。彼は、連合国が民主的な「世界政府」を樹立し、そこにソ連の加盟を要求するべきだと提案した。  共産党による一党独裁政権の頂点に立ち、恐怖政治でソ連を支配するヨシフ・スターリンが、そんな要求に応じるはずがない。そこで、その拒絶を「開戦の理由」にして「正当な戦争」に踏み込めばよいというのが、ラッセルの主張だった(k.2474)

(ソ連への先制核攻撃のために)アメリカは、第二次大戦終結直後から原爆の大量生産を開始し、一九五〇年を迎えた時点で、ようやく二九二発を保有することができた。これでソ連に圧倒的優位に立てたと思った瞬間、フックス事件が起こった(k.2549)

人類史上稀に見る天才ノイマンは、数学における「集合論」と物理学における「量子論」の進展に大きく貢献し、過去に存在しなかった「コンピュータ」と「ゲーム理論」と「天気予報」を生み出した。彼の生み出した「プログラム内蔵方式」の「ノイマン型アーキテクチャー」がなければ、現代のあらゆるコンピュータ製品はもちろん、スマートフォンも存在しない
(k.2707)

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経済紙の記者をやっておりました http://pata.air-nifty.com/
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