やりたいがやらなきゃを解決する。
若き日の黒柳徹子さんが、過労でぶっ倒れて入院をした時、ああ、もう病気にはなりたくないなあと思って、医者に「死ぬまで病気をしたくないのですが、どうやるんですか」と尋ねた。医者は「ひとつだけあるけど、できないね」と言った。徹子さんは「わたし、やります」と食い下がった。医者は「できないと思うけど、やるかい」と言った後に、このようなことを言った。進んでやる仕事だけ、やっていきなさい。
医者は「自分から進んでやる仕事をすれば、寝る前に残っているのは肉体の疲れだけだ」と言った。徹子さんは、その日から、自分がやりたいと思うことだけをやってきた。嫌だなあと思いながら生きていると、それが段々と積み重なって、嫌だな嫌だなが残ってしまう。当時は、まだ、ストレスという言葉はなかった時代だ。徹子さんは「わたしは何をしていても、面白くない時がないの」と言っている。その言葉が嘘や強がりでないことは、彼女を見ればわかる。
子育てと仕事の両立に疲れて、静かな時間が欲しいと話す女性A様から「熱海に行きたい」と連絡をもらった。私の正しい使い方である。熱海に来た時点で、A様はかなり満足した顔をしていた。好きな本を読みながら、好きな音楽を聴き、車窓から海を眺める。こんな時間はいつ振りだろうと思ったら、涙が出た。今日は熱海に来て本当によかった。合流した瞬間から、A様はかなり満ち足りていた。俺は要らないんじゃないかと思ったが、そのまま家に行った。お茶を出したら、A様は泣いた。普段は優しくするばかりで、優しくされるのが久しぶりだと言った。頭の中がやらなきゃでいっぱいで、自分のやりたいがわからなくなっていると言った。
家事も育児も趣味も仕事も、最初はやりたいという純粋な気持ちからはじまる。それが、いつの間にか「やらなきゃ」に変わると、遊びの要素がなくなり、義務や責任になる。やりたいは泉。潤う。やらなきゃは雑巾。枯れる。私は、趣味で服を作っている友達を思い出した。友達の家には、物置と化している部屋があった。いつも「掃除しなきゃ」と思っていたが、放置されたままだった。服を作るには、ある程度のスペースが必要になる。服を作りたいという欲求が友達を動かし、その勢いで物置き部屋をババッと掃除して、服の制作を始めた。友達は「振り返って見ると、やりたいがやらなきゃを解決したのだと思う」と言った。掃除をしなければいけないから掃除をしたのではなくて、服を作りたいという欲求が、やらなきゃを解決した。
私自身はポンコツなので、学歴もない、貯蓄もない、資格もない、甲斐性もない、新聞も読めない、政治に興味がない、経済に興味がない、パソコンも使えない、何をやっても続かない、典型的なダメ人間である。だが、文章を書くことだけは好きだったので、それだけをやっていたら、結果的に何もなくても大丈夫になった。参考になる人間ではないが、時折、疲れた時に「こんな風に生きている人間もいるのだな」と思うことで、心に風を吹かせるくらいのことはできる。おそらく、私は、世界中の三十九歳の中で、一番暇な人間だと思う。死に支度も終わっているが、体は元気だ。忙しく生きている人を見ると「忙しいなんてすごいな」と、皮肉ではなく本気で思う。疲れた時は、呼んでくれ。呼ばれた場所には、何処でも行ける。やりたいがやらなきゃになったらゲームオーバー。やりたいが、やらなきゃを解決するのだと思う。やりたいことをやる勇気と同じくらい、やりたくないことはやらない勇気も、大事なのである。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
コメント