■浄土宗・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く3
□寺院訪問・寺跡調査の意味を完全に勘違いしていた前代未聞の勘違い男・吉野日神(智応)
英昭彦は2005年に「mixi」でアカウントを取得し、正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗系コミュニティを設立。
それ以来、「mixi」や「GREE」の「アンチ日蓮正宗」コミュの他、「mixi」日記で日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団批判シリーズを執筆。
「アンチ日蓮正宗系」コミュニティのメンバーやマイミクの皆さん方と、日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団批判について、さまざまな意見交換を行ってきました。
これは2012年2月にライブドアブログに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗系」オフィシャルブログと「仏教宗学研究会のブログ」を立ち上げるまで、つづけてきました。
吉野日神(智応)なる人物も、その当時は「アンチ日蓮正宗系」コミュニティのメンバーであり、英昭彦のマイミクであったわけでしたが、「アンチ日蓮正宗系」コミュニティでの発言は全くなく、ゼロ。
「mixi」日記の日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団批判シリーズでは何度かコメントがあり、イイネ機能が付いてからは、やたらめったらイイネを付けていたころがありました。
しかし吉野日神(拳骨和尚)は、池田大作氏のことを「池田大作先生」とよび、大石寺67世日顕のことを「大石寺貫首上人」「御法主上人猊下」とよぶ他、「偽書」である「本尊七箇相承」や「御義口伝」「産湯相承事」を何と日蓮の真書と認定するお粗末僧でありました。
それ故に、「日蓮正宗系」離檀・離宗・脱会確認後から起算して最低5年間は『様子見期間』とする「最低5年様子見ルール」により、「仏教宗学研究会」の吉野日神(拳骨和尚)に対する基本的スタンスは、最低でも2007年から2012年までは『様子見期間』ということでありました。
英昭彦は、2006年ころから「mixi」日記で日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団批判シリーズや今の「仏教宗学研究会のブログ」の原型のような寺院訪問記を執筆していました。
これに何度か吉野日神(拳骨和尚)のコメントがあったので、こちらとしてはそのお返しのコメントをする。
そういう形で「mixi」日記でコメントのキャッチボールがつづいていたのでしたが、そういう中でこの吉野日神(拳骨和尚)という人物、なかなかの「勘違い男」「勘違い僧」であることがわかってきました。
何を勘違いしているのかというと、こうした「mixi」日記でコメントのキャッチボールをつづけていることが、潰れる寸前宗派「大日蓮宗」に、何か英昭彦が心を寄せているかの如くに錯覚し、勘違いしているということ。
まことにもって呆れ果てた話しです。
英昭彦が全国各地の仏教寺院を訪ね歩いていたのは、寺跡調査や仏教宗学の研究等のためであって、その寺院の信者になりたいからではありません。そんなことは、当たり前の話しです。
英昭彦が全国各地の仏教寺院を訪ね歩いているから、仏教寺院の信者になりたがっているなどと勘違いし、「mixi」日記でコメントのキャッチボールをつづけていることが、潰れる寸前宗派「大日蓮宗」に、何か英昭彦が心を寄せているかの如くに錯覚し、勘違いするなど、正常な人間の発想とは、とても思えません。
自称「大日蓮宗僧侶」吉野日神(拳骨和尚)は、吉野智応(ちおう)という僧名を、吉野痴呆(ちほう)と改名したほうがいいのではないかと思ったほどであった。
(吉野日神(拳骨和尚))
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