またはてなブックマークが一人の書き手を潰してしまったらしい
はてなブログは割と気に入って使っていたものの、はてなブックマークがついたという通知がくるという最悪の機能がついています。
はてなブックマークは最低のコメントがつく最低のサービスだと思いますが、
目にしなければまだいいのですが、それを通知で目にして最悪の気分になったりするのが嫌だなと思うので
もう積極的に使いたいブログではなくなりました。
コレに対して、ユーザー側から何一つ反論が出てこないサービスってどう考えてもおかしいでしょ。さっさと潰れたほうが良いのでは
dobonkaiさん・・・
dobonkai 2012~2015くらいのブログブームの頃は、はてなブログのSEOが異常に強かったからブログ飯(笑)に憧れた有象無象が集まってきたけど、ブクマカにこてんぱんにやられて捨て台詞残して去っていくパターンクソほど見たな
いや、dobonkaiさんって
「2012~2015くらいのブログブームの頃は、はてなブログのSEOが異常に強かったからブログ飯(笑)に憧れた有象無象」の典型例みたいな人だったし
「(中途半端にプライドが高いから)ブクマカにこてんぱんにやられて捨て台詞吐いてる人」の典型例の人でもあったよね。
なんで他人事みたいに語ってるんだろうこの人は……。
「パターンクソほど見たな」じゃなくて「自分もそうだったなー」って言えると思うのだけれど「はてブでは」言えないのが面白い。
twitterでは言えるあたりがさらに面白い。
はてブをやるってのはこういうこと
ドボン会さんに限らず、我々一般人はとても器が小さい。
器が小さい人間というのは、なにかの文章を読んで不快な感情を抱いた時に、脊髄反射でまず嫌味を言うのってのが我慢出来ないのだと思う。
幼稚園児が「馬鹿と言われたらバカって脊髄反射で言い返す」ようなものだ。そういう幼稚な部分がむき出しになる。
ここまではTwitterでもはてなブックマークでもブログでも同じだ。
しかし、ドボン会さんのような人でも、嫌味を言ってスッキリした後冷静になった後でなら「でも自分もそういうところあったな」と言える。
どんな人間でも
・文字数に余裕があれば
・インプットからアウトプットまでに間があれば
ちゃんとまともなことが言える。
まともな人間のふりをして取り繕うことができる。
実際、はてなブックマークをやってる人だって、リアルではそこまでヤバい人は多くないのだろう。
だが、はてなブックマークだと此処から先がおかしくなってしまう。
はてブは100文字しか書けないし、twitterのようにツリーをつなげて書くこともできない。
文字数が足りないから、常に「器の小さい部分」「幼稚な部分」を書いたらそれでもう文字数が尽きてしまう。
その後の「時間をおいて落ち着いてから出てくる本音の部分」や「理性的であろうとする部分」を書くスペースがない。
よほど自分を律することができる人間でないと、「器の小さい部分」「幼稚な部分」を書いてしまう。
残念ながら、ドボン会さんは自分を律することができない人間だったようだ。
さらに不幸なことに、はてなブックマークではそういう発言が誰からも咎められない。それどころか★すらもらえてしまう。
赤信号みんなで渡れば怖くない理論だ。 ほとんどの人間が自分を律することができてないため、なあなあになってしまう。
その結果として、人によっては取り繕うことをやめて「器の小さい部分」「幼稚な部分」を表に出すことの抵抗感が薄れていくのだろう。
昔はあんなにイキってたdobonkaiさんがもはや有象無象のただの一ブックマークユーザーとして、こういう言葉を吐いている心境を思うと俺、悲しいよ。
ドボン会さんのコメントははてなブックマークが人の心をいかに堕落させるのかのわかりやすいサンプルになっている
上の内容を裏付けるような脊髄反射コメントが返ってきた。
dobonkai なんか通知が来たから見てみたらよくわからんやつに一方的にレッテル貼られて罵倒されてたわ。
よく知らんけどこのtyosihikiってこうやって誹謗中傷する迷惑系なん?
ドボン会さんがどういう人かは知らないけれど、これなんか、まさに「はてなブックマーク以外では書けない」セリフだろう。
はてなブックマークのなかでしか通じないミームだけで構成された、頭を全く使わずに書かれたコメントだ。実際なにも考えずに書いたのだろう。
実際彼のツイッターを見てもそういうことは書いてない。
ツイッターで書いても誰も共感されないということはよく分かっているのだろう。
ドボン会さんにはそれを考えるだけの知恵も、体裁を取り繕うだけの小賢しさもある。
そんなドボン会さんも「はてなブックマークだったらこれを書いても良いだろう」って甘えが出てしまうのだ。
なんだったら「はてなブックマークだったらこういう物言いが受けるだろう」とすら思っているだろう。
これこそが、はてなブックマークの恐ろしいところなのだ。
この「環境に甘えきった大人」が口を半開きにして、よだれのように垂れ流しているのがはてなブックマークのコメントなのだ。
実際ドボン会さんは自分もはてブでさんざん他人に好き勝手言ってるし、普段はてなブックマークでの暴言や誹謗中傷を全部スルーしている。
本当はこの程度のことは誹謗中傷だなどと全く思ってないということだ。
思ってたらたまにはそれを戒めるコメントを書くだろうし、はてなブックマークなんかとっくに辞めてるはずだからだ。
あくまでも「はてなだったらこういう風に言えばマウントが取れる」と学習しているだけだ。
そこには何の信念も、責任も、思考すら感じられない。ただの幼児性と甘えだけがあるのみだ。
繰り返しになるが、彼だって、はてなブックマーク以外ではさすがにこういう立ち回りはしないだろう。
でもはてなブックマークを使っていると出来心でこういうコメントをしてしまうのだ。
ドボン会のコメントは、本当に骨の髄まではてブの毒にヤラれた人の成れの果てって感じがする。
やはりはてなブックマークは、人の心を蝕むのだなという一つのサンプルとしてとても興味深い。
「はてなブックマークは最低のコメントがつく最低のサービス」とはどういことか。 なぜはてなブックマークは存在そのものが表現者にとって毒なのか
ここからはただの想像なのだが。
こういうドボン会さんのコメントのように「思考を介しない、甘えただらしない大人たちのコメント」こそが、優れた表現者には一番ダメージになるのだろう。
表現者というのは、読者を信じなければやっていけないのにはてなブックマークのコメントからただよう甘えと無思考と無責任さとだらしなさはは、読者というものの信頼性を失わせる。
はてなブックマークユーザーというのは、存在そのものが毒であると言ってよいだろう。
だから結局、優れた表現者ははてなブログの中からは余り生まれなかったし、人気になったらみんなはてなブログから出ていくか、はてなブックマークを閉鎖している。
一方、私は表現者ではない。
このブログはただのメモ書きだと思っているので読もうが読まれまいがどちらでもいい。
だから私ははてなブックマークのクソコメントを見ても、その毒にヤラれることはない。
表現者とただのブロガーでは全然条件が違う。
ドボン会さんはそういう想像力も働かず、自分とピエール手塚先生を同じ土俵の上に並べて評価しようとした。
さすがにブログをそこそこ真面目に書いていた時期のドボン会さんだったら、ここまで短慮なコメントは書かなかっただろう。
ドボン会さんのコメントは「はてブをやっていると考えまで浅くなる」ことを示すサンプルでもあると思う。
恐ろしい話である。
やはり人間は、はてブなんかやるもんじゃないと思う。