映像の世紀バタフライエフェクト「砂漠の英雄と百年の悲劇」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

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6月20日、NHK総合で映像の世紀バタフライエフェクト「砂漠の英雄と百年の悲劇」が放送されていました。興味があり早速見ました。

番組内容は以下の通りです。

「古来パレスチナは、アラブ人とユダヤ人が共存して暮らす場所だった。そこに対立の火種を持ち込んだのは、イギリスだった。両民族に独立国家建設を約束したのだ。イギリスの情報将校ロレンスは、第一次世界大戦中にオスマン帝国に潜入、アラブ民族独立をあおり、オスマン帝国打倒をもちかけた。しかし一方でイギリスはユダヤ人にも同じ約束をしていた。百年前のひとりの英雄の裏切りから始まる、憎しみの連鎖の物語である。」とあります。

なお、ロレンスに関しては、当ブログ(2021.6.26)で紹介させてもらっています。「新・映像の世紀(百年の悲劇はここから始まった)」。今回は、その拡大版です。

古来パレスチナは、アラブ人とユダヤ人が仲良く暮らしていた。エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの宗教の聖地があり巡礼の対象となっていた。

20世紀初頭、パレスチナを含む中東を支配したのは、トルコ人が建国したオスマン帝国であった。

参考としてオスマン帝国の領土を現在に置き換えると、トルコ、シリア、イラク、レバノン、イスラエル、ヨルダン、サウジアラビアの一部であることがわかります。

1914年、第一次世界大戦の勃発。オスマン帝国は、ドイツと同盟を結んでいたため、英仏露の連合国側と対決することになる。

オスマン帝国では、新たなエネルギー資源として石油がみつかる。

オスマン帝国の石油にイギリスは、目をつけた。当時、オスマン帝国では、アラブ人の独立の機運が高まっていた。イギリスは、内部崩壊させることを考えた。

イギリスは、アラブ人指導者に次の書簡を送る。

「イギリスは、アラブ人の独立を認め支援する用意があります。」

詳しく書きますと、オスマン帝国からの独立をめざすアラブ民族主義をも利用すべく、メッカの太守フセインに対してイギリスへの協力の代わりにこの書簡を送りました。(「フセイン・マクマホン協定」)

そこで大学で考古学を修めアラビア語を話せるロレンスをアラブに侵入させた。

ロレンスは、アラブの指導者ファイサルにオスマン軍に対しゲリラ戦をするように申し入れた。

「イギリス政府は、約束を守る事を保証する」とロレンスは、ファイサルに言った。

一方で、イギリス政府は、ユダヤ民族に対しにも同様な密約を結んだ。

イギリスは、戦争資金(第一次世界大戦)を調達するためユダヤの財閥ロスチャイルドに次のような書簡を送った。

「イギリス政府は、パレスチナにユダヤ人の民族郷土をつくることを支持する。」(「バルフォア宣言」)

今回の放送では、省略されていましたが、そしてさらにイギリスは、同盟国であるフランスとは、戦争終結後はオスマン帝国をイギリス、ロシアと分割するという協定(「サイクス・ピコ協定」)を秘密裏に結びます。

イギリスの三枚舌外交であった。

アラブとユダヤは、自分の国を建設する意欲による反乱でオスマン軍は、敗退していく。

1917年、エルサレムが陥落しユダヤ人が入城する。1918年、アラブ人によりダマスカスが陥落しオスマン帝国は降伏した。

アラブ人指導者ファイサルが入城する。この時、自分たちの国ができると思えたが、イギリス軍司令官がファイサルに建国できないと伝える(これは「サイクス・ピコ協定」があり、オスマン帝国を英仏露で分割するため)。通訳を伝えたのは、ロレンスであり、ロレンスは、仕事を止めたい旨を伝える。アラブを裏切った罪の意識にさいなまれる。

戦争終結と英仏露同盟国側の勝利により、パレスチナとヨルダンはイギリス、レバノンとシリアはフランスの委任統治領になった。

第一次大戦後、多くのユダヤ人がパレスチナに入植する。ユダヤ人とアラブ人の共存を模索する。

それを打ち砕く事態が発生。

1930年代、ヒトラーの出現により、ユダヤ人迫害が始まる。多くのユダヤ人がパレスチナに集まり、パレスチナは変貌していき、アラブ人とユダヤ人の対立が始まる。イギリス政府は、ユダヤ人の入植を制限するようになった。遂に第二次世界大戦勃発。

ナチスにより600万人のユダヤ人の命が奪われた。

ユダヤ人の国家建設を求める運動であるシオニズムが高まりをみせる。

1947年、国連はパレスチナの土地にアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択する。(土地の53%がイスラエル、47%アラブ)

イギリス軍がパレスチナから撤退後、1948年5月14日。イスラエル国家成立。

1948年、イスラエル建国に反対する周辺国との第一次中東戦争勃発。イスラエルの勝利。

イスラエルは、分割決議による領土と新たに領土を獲得した。結果、75万人のパレスチナ難民発生である。

土地をうしなったアラブ人は、ゲリラ組織を結成し、テロリズムにより考えを主張しだした。

1972年5月、テルアビブ ロッド国際空港で日本人3人による乱射事件である。24人が殺害された。実行犯の一人が自爆したことである。イスラム教では、自殺は禁止である。しかし、ゲリラ司令官は、「自爆テロは、信仰の深さの表れだ。聖なる戦士だ。」と褒めたたえる。これ以降、自爆テロは、弱者の戦術として定着。世界に恐怖をばらまいている。

2002年、イスラエルは、高さ8mの分離壁の建設に着手した。その壁にハンクシーが絵を描き続ける。

他のアーチストも絵を描き続けている。

いまも衝突は、続いている。

2021年、アラブ人が住むガサ地区に空爆され256人がなくなる。

100年前、対立の火種を持ち込んだ砂漠の英雄ロレンス。

ロレンスは、第二次世界大戦から17年後にバイク事故でなくなる。46才。

英雄と呼ばれながら罪悪感にさいなまれる後半生を送ったようです。

最後までご覧になりありがとうございます。

イギリスがアラブとユダヤ双方に対し相反する約束をしたことが、二つの民族主義の衝突の芽となった。

オスマン帝国をフランスとイギリスで分割する密約(サイクス・ピコ協定)を両国は交わしており、パレスチナをアラブにもユダヤにも渡す気はなく、単に利用しただけである。

調べてみると国連の「分割決議案」時の人口は、アラブ人120万人、ユダヤ人60万人なのに、土地の比率は、逆転し47%、53%である。最後、土地を奪われ難民化するのは、どうもアラブ人は、可哀そうです。かといって自爆テロ等によりテロリズムに訴えるのは感心できない。

ただ、イスラエルとパレスチナという二つの独立国家が隣り合わせで共存するという構想が少しでも早く実現する事を望むばかりです。

 

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