満知子せんせい(77)真央さんとの日々、言葉にできない輝き
2024年8月20日 05時10分 (8月20日 05時10分更新)
フィギュアスケートの名コーチ、山田満知子さん(81)の人生をひもとく連載「満知子せんせい」第4部では、後に2010年バンクーバー五輪で銀メダルに輝く浅田真央さん(33)と過ごした日々を振り返ります。
そのうちの約2シーズンを、私は地元紙の担当記者として2人と間近に接しました。そこで見たのは、満知子先生の優しさに包まれ、真央さんが天真らんまんに躍動した、とても幸せな関係でした。
18年の時を経て、2人に「あのころ」を語ってもらいます。フィギュアに必要な全てを備えた「申し子」との出会いに、満知子先生の心は躍ります。一方、懐かしそうに真央さんが明かしてくれたのは、スケートの楽しさを知った少女時代の「愛の物語」です。
何と表現したらよいのだろうか。圧倒的な輝きに当てられ、目眩(めまい)すら覚えた。
2002(平成14)年12月、本紙運動部の駆け出し記者だった私は先輩に連れられ、京都市で開かれた全日本選手権に来ていた。これがフィギュアスケート取材の初体験だった。
国内最高峰の舞台。そこで優勝した村主章枝(すぐりふみえ)ら「お姉さんたち」をも凌(しの)ぐ注目を、小学6年生が集めた。浅田真央-。当時12歳だったが、特例でシニアの大会に参加していた。
薄紫色のコスチュームで登場したフリーの演技。幼く、愛くるしい。でも、次々と高難度のジャンプを跳びまくる。ポニーテールが楽しげに揺れ、パアッと笑みをあふれさせると、その度に観衆はぐいぐい引き込まれていく。
トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を、3連続の3回転ジャンプを跳び、最後は円を描くように左手を振りながら、ニッコリとポーズ。瞬間、どっと拍手が湧き起こる。
群を抜く存在感。いや、未知の存在と言った方がピッタリか。一体何なんだ、この子は-。ひたすら戸惑ったことを、とてもよく覚えている。なぜなら、この躍動を記事でうまく伝え切れず、後に上司にこっぴどく叱られたから。余計に記憶は鮮明だ。
これが私の真央とのファーストコンタクト。それは、リンクサイドでこれ以上ないほど目を細めていた、山田満知子との初対面でもあった。
この大会、上位10人中、6人を愛知勢が占めた。そのうち安藤美姫、鈴木明子を除く4人が満知子の門下生。2位の恩田美栄(よしえ)、6位の中野友加里、7位の真央、8位は姉の舞だ。姉妹での躍進に、真央は「お姉ちゃんに勝ててうれしい」との談話を残している。 (本文敬称略)
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