もっと算数を好きになる
式の順序で「バツ」はなぜ? 答えを出すより大切な、数学的な表現を学ぶ意味
2024.08.19
納得できる算数を学んで
――我が家でも先日、子どものたし算のテストで同じようなことがありました。「赤いペンが2本ありました。青いペンが5本ありました。合わせていくつでしょう」といった問題の式の順序を、5を基準にしたほうが考えやすいという理由で「5+2=7」と書いてバツになりました。これも答えを求める式だったということでしょうか。
たし算教育には、「合わせて」と「増えると」という主に二つの種類の場面があります。結論から言うと、ペン問題は「合わせて」の場面ですので、どちらの式を書いても場面を表していると言えます。
「合わせて」の問題の場合、赤いペンと青いペンは時系列が関係しません。赤いペンと青いペンがどんな状況に置かれているのかわからないのですから、2+5でも5+2でも十分にそのお話の場面を表す式になっています。ぐちゃぐちゃに置かれているかもしれない状況でさえも同じように表すことができるのです。
反対に、「増えるといくつ」の場合は、時系列が関係しています。たとえば、「カブトムシが2匹いました。後からクワガタが4匹やってきました。今、虫は何匹いるでしょう」という問題があったとき、2+4と4+2のどちらが「お話に近い式になっているか」を考えてもらえたらと思います。
――SNS上では「筆算の棒を定規で書かなかった」「繰り上がりのメモを書かなかった」という理由でバツになったという投稿も話題になっています。
筆算の定規に関する話題を見た時、本質的でないなと思いました。なんなら僕は「定規で引いていたら加点してあげても良いかな」なんて思ったくらいです。定規で書いた方が計算の間違いが起こりにくくなるからです。
子どもたちにマス目がない白紙の紙と方眼紙の両方に筆算を書かせると、経験上白紙に書く方が、誤答が増えます。筆算のメモも同じように、ミスを減らすための一つの方法だと思います。
2020年度以降、「主体的に学習に取り組む態度」が評価の観点になりました。単に粘り強く努力しているかだけではなく、その努力の方向が合っているか自分で調整する力を見ています。もし筆算のメモをしないままがむしゃらに計算をし続けてミスをしていたら、それは努力の方向が正しいとは言えません。メモによってミスが減るなら、「努力」のベクトルを調整できたと評価できます。
いずれもバツにするというのはナンセンスだとは思いますが、そうした評価規準があるということが頭にあると、学校の勉強にも向き合いやすくなるかもしれません。
――先生によって、解答の幅や考え方が違うのは不公平という考えもあると思います。その背景にはどんな課題があると思いますか。
ご存じのように、先生方の働き方については問題になっており、教師としての裁量を発揮する余裕が奪われているというのはあると思います。良いことだとは思えませんが、先生方の余裕がなくて、「授業でそうやったから」「他の子の解答でもそうしたから」といった弱い理由で判断されているところはあるかもしれません。
――小学校の算数では式を立てることがとても重要な学びに位置づけられているのですね。子どもたちにはどんな算数を学んでほしいと思っていますか。
算数の世界は思っているよりもずっと便利で、さらにきれいでおもしろいものです。現実世界であり得ない世界を表現することもできる楽しさがあります。
最初の12個の丸の問題に戻りましょう。僕の授業で、この図を「4×4-4」と式に表した子がいました。下の図のように、「正方形にして余分な四つ(左図のピンクの丸)を引く」と考えたのです。ただ、同じ式でも「重なっているところ(右図のピンクの丸)を引く」という考え方を表現できます。一つの式に対する理解は開かれているのです。
また,5-1=4のように答えが一つに決まってしまう算数ドリルばかりではなく,5-1=2+2のように左辺と右辺が同じになる関係を考える「オープンエンドな問題」に取り組むのも良いと考えます。
SFや児童文学にお決まりの構造やルールがあるように、算数にも同じように構造やルールがあります。それらになじめるようになると、算数のおもしろさに気づけるようになります。子どもたちには単純に答えを求める算数ではなく、納得できる算数を学んでほしいと思っています。