「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」は定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由
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欧米では、織田信長に仕えた弥助が正式な武士だったとか、日本の大名の間で黒人奴隷を使うのが流行していた、という話が流布されている。ところが問題なのはこの件に反論しているのは主に一般人で歴史学者は誰一人反論していないことだ。日頃、学問の自由とか言って国民の税金を使いまくっている連中が日本の歴史に対する事実無根の話についてまるで無関心であり、そういう問題が発生しているに反論しようとしない。肝心な時に役に立たないのでは税金を使わせる意味がない。
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戦国時代、九州では数多くの日本人が東南アジアの白人の慰み者や奴隷になってました。宣教師は利益を得る為に協力 秀吉がそれを知り、伴天連追放令を発したのです。 スペインやらポルトガルがやらかした日本人奴隷 オランダが奴隷の買い戻しに協力してくれたから、家康はオランダだけ貿易を許した歴史を知って欲しい。 黒人は、当時の日本には1人だけで信長の好奇心の賜物です。
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弥助が信長に召し抱えられたというのは事実だろう。それを侍と言うかは意見が分かれるところだが、少なくとも戦場での槍働きを期待されていたということはないだろう。見せ物兼荷物持ちといったところではないだろうか。 弥助に関する資料が少ないからフィクションが入り込む余地はある。始めからフィクションと言えば良かったのに、ゲーム開発会社は「史実に忠実に作った。オレたちが正しい歴史を教えてやる」みたいなことを言っちゃった。そんで出てきたのは神社と寺の区別もついてない、季節感もメチャクチャななんちゃって日本。そしてなんちゃって日本に透けて見えるのは「日本ならこんなもんでよかんべ」というテキトー感、日本軽視の姿勢なんだよ。 アサクリが炎上してるのは、弥助よりも日本軽視の方が大きいと思うね。
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国内の学者が声をあげないのは、そもそも物証に乏しい即興的妄想話に確たる検証が出来ない点にある。 またロック・リー自身が公の場に出てこないのでは話にならない。 この話にならないところが重要で、長引けば長引くほど根が伸びて根本的な解決が難しくなる。 早々に当人を呼び出し、自説の証明を行わせ、出来ないのであれば自分の妄想と自分の本を売るためのマーケティングだったと証言させるべき。
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弥助が生きていた時代に士農工商の明確な身分の差はあったのでしょうか。 侍が特別な身分になったのは秀吉の刀狩り後、または江戸の時代からという認識です。 それと、奴隷って単純な重労働に就かされているイメージを持っています。侍になれるのならば奴隷ではないですよね。
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弥助が侍かどうか、侍であったらロマンがあるなとは思いますが、その可能性はかなり低いし、ゲームに出てくるような高価な甲冑は指揮官クラスの人がつける装備なので、ぽっと出の弥助ではほぼ不可能という至極真っ当な指摘を、きちんとしていく必要がありますね。 ヒステリックな反論をしたくなりますが、こういう場面では淡々と事実と考察を積み重ねるほうが良いのでは。 弥助は信長のお気に入りとして、他のお侍方に引けを取らない良い待遇を受けた可能性は高いですが、たったの一年ほどしかいなかったのに、そんな大出世なんて、普通に考えて不可能。 人種差別制度が撤廃された現代だって、一年目の新人が、いくら有能だって、そんな簡単に外国の会社の管理職にはなれないし、もし簡単に出世出来たとしたら、むしろその会社は信用がなくなりますよね。 そういうことを淡々と説明していく必要があるのでは。
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織田信長配下の正式な武士であるならば本能寺の変で明智光秀に容赦なく討たれているはずだ。命のやり取りをしているんだから。 連れて歩いているだけで京に織田の力を誇示できたはず。信長のアクセサリー的立ち位置だったように思う。
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士分も武家奉公人もどっちかと言うと、江戸時代とかになって身分が安定してからの区分け見たいなので、 信長さんの末期にそのまま当てはまるのか(成立過程)?という視点/論点もありそう。 侍と言うのも実態?なのか、身分なのか、なにを指す/規定するのか分からないし・・・ 侍≒騎士≒領主(≒国人領主など)のように、西洋に当て嵌めての理解なら(ちょっと調べたが?西洋の騎士の時代による変遷なども複雑ぽい)、弥助は知行(地)を貰った領主ではない(その様な歴史資料は無さそう)。
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弥助が例外的に取り立てられたのは事実だろうが、ブルボン王朝時代のフランスに黒人貴族集団がいたというぐらいな変な話だろう。 さらに黒人奴隷が流行と書いてあるが、それが事実なら、そもそも奴隷を連れてきたのは西洋人なのは明らかなので、彼ら奴隷は日本で解放され士分を与えられたと解釈できる。
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バランスの取れた記事。 呉座氏の慎重なスタンスこそ最も好ましいものだろうが、しかし「侍だったかもしれないしそうで無いかもしれない」と「黒人初の侍だった」では後者の方が遥かに膾炙しやすい。いきおい「侍だったというのはデマだ」と広めたくなるのを抑えて、曖昧で誠実な説明を広められるか。かなり難しいアナウンスの問題になりそうだ。
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