2022年 03月 22日
言語はロマンだ |
ハンガリーの作家マーライ・シャーンドルの日記を読みはじめた。1943年から1948年まで、激動の時代をハンガリーから見た日記ということで興味がわいた。
ハンガリーのことはほとんど知らない。わずかに知っていることも、ものすごく偏っている。アゴタ・クリストフ。ベラ・バルトーク。チャールダッシュ。ハンガリー狂詩曲。ハンガリー舞曲第5番(幼稚園の昼寝終了の音楽がこれだったので、いまでもあまり好きになれない)トカイワイン。グラーシュ。とりあえずwikipediaでハンガリーの基本知識を仕入れるかと読み始めたところで、ハンガリー語についての記述に目が止まった。
ハンガリーは地理的にみればスラヴ語派であってもおかしくない場所に位置する。それなのにハンガリー語はスラヴ語派ではないと書いてある。さらにいえばインド・ヨーロッパ語族ですらない(スラヴ語派はインド・ヨーロッパ語族)と。なんとなんとウラル語族だった。ウラル語族ってどんな言語よと思って調べてみれば、ツンドラ地帯で伝統的な生活を続けるサーミ人やネネツ人などが使う言葉がこの仲間だと言う。その言語がどうしてハンガリーに?近隣の国を眺めても他にウラル語族の言語を話す国はない。一番近いところでエストニア、フィンランドがあるけれど、それだって間にはいくつものインド・ヨーロッパ語族(バルト・スラヴ語派)地帯がある。ハンガリー語は言語的陸の孤島でぽつねんと在る。周辺の国を一覧にしてみるとよくわかる。
オーストリア(インド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派)
チェコ(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
スロヴェキア(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
ポーランド(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
ウクライナ(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
ルーマニア(インド・ヨーロッパ語族・ロマンス語派)
モルドヴァ(インド・ヨーロッパ語族・ロマンス語派)
セルヴィア(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
クロアチア(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
ボスニア・ヘルツェゴビナ(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
スロヴェニア(インド・ヨーロッパ語族・スラヴ語派)
ハンガリー(ウラル語族・フィン・ウゴル語派)
ルーマニアやモルドヴァで話されているルーマニア語も、まわり中がスラヴ語系言語に囲まれた中にぽつんとあるロマンス語系言語ということで興味をひかれる。でも、ハンガリーの特異さはそれをはるかに上回る。なにせ語族が違うんですぜ?
ハンガリー語はウラル語族の中でもフィン・ウゴル語派と呼ばれるグループに属し、この言語を話す民族を総称してフィン・ウゴル系民族と呼ぶらしいのだけれど、wikiにはこんな風に書いてあった。
フィン・ウゴル系民族は、ユーラシア北方の針葉樹林またはツンドラ地帯において狩猟採集とトナカイ遊牧を生業にする民族が多い。テュルク系(パシキール人)などの遺伝子を持つマジャール人のように騎馬遊牧民族もあった。(wikipedia「フィン・ウゴル系民族」)
なるほど、マジャール人である。マジャール人についてはwikiにこうある。
マジャル人はウラル山脈の中南部の草原で遊牧を営み、5世紀ごろからアゾフ海北岸付近でテュルク系のオグール(ブルガール人の祖)と混合を繰り返した。9世紀ごろになると東ヨーロッパにむけて集団移動を開始して、西方の黒海北岸に到着した。さらにロシア南部のヴォルガ川南岸を拠点とした大首長(ジュラ)アールパードは名誉最高首長(ケンデ)クルサーンとともにマジャル人を率いてハンガリー平原に移住し、その後彼らは生活圏を広げた。(wikipedia「マジャル人」)
ウラル語族の原郷は遼河地域〜サヤン山脈だとされる。つまり中国北東部(満州)、モンゴル、ロシア、カザフスタンを繋ぐ線あたり。それがサモエード系(ロシアの北極海沿岸で話される)とフィン・ウゴル系(北欧、ロシアのウラル山脈周辺で話される)の祖語に分岐したのがおよそ紀元前4000年ごろと考えられているとか。フィン・ウゴル系はやがてハンガリー語を含むウゴル諸語、フィンランド語を含むバルト・フィン語諸語やペルム諸語などに分岐して行く。
文献は後述するように16世紀に初めて現れるが、言語自体は紀元前12世紀ごろには存在していた。(wikipedia「フィンランド語」)
ウゴル諸語の祖語は紀元前3世紀から紀元前1世紀前半の間、シベリアの西部地域の、ウラル山脈の中南部から東側の草原地域で話されていたと伝われている。(wikipedia「ウゴル諸語」)
ウラル山脈中南部といえばマジャール人が遊牧を営んでいた地域である。彼らが西へ移動するのにあわせて言葉も運ばれ、ハンガリーという飛び地的な場所に根付いた。一方、バルト・フィン語はハンガリー語よりも早い時期に現在使われている土地に根付いたようだ。
言葉が発生し、人の移動とともに離れた地に運ばれ、そこに根付き、それが今わたしたちが眺めている言語地図につながっているのかと思うと、あまりの壮大さに心が震える。もちろん綺麗なばかりの歴史ではないだろうし、そうして根付いて伝えられた言語が消えかけている土地もある。それでも、インド・ヨーロッパ語族のなかに孤高の佇まいで在るハンガリー語のことを考えるとき、ロマンやねぇと思わないではいられない。
どんな語族があるの?興味がある人はこちら(語族の一覧)をどうぞ。
by poirier_AAA | 2022-03-22 23:19 | 言葉を学ぶ | Comments(6)
Commented by ひかり at 2022-03-23 08:40 x
ほおお…壮大な時代の流れにちょっと感動です。
自然科学系よりで来た私には地球の歴史、
例えばプレートの動きや地質の話にも心浮き立ちますが
言語の系統を通して人の営みや移動が連綿とわかる、
というのが新鮮です。面白い!
自然科学系よりで来た私には地球の歴史、
例えばプレートの動きや地質の話にも心浮き立ちますが
言語の系統を通して人の営みや移動が連綿とわかる、
というのが新鮮です。面白い!
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Commented by イソロク at 2022-03-23 14:28 x
数日の語学つづきで「言語はロマンだ」というタイトルから、フランス語を遡るうちにルーマニア語に行き着いた知人を思い出しましたが、梨の木さんが手にしているのはハンガリー語でしたか。
お昼寝オワリがハンガリー五番って強烈ですね、曲は嫌いじゃないけどそれは私もいやだ!
「実はこれもハンガリー由来ですよ」と言われなければ知らない、知っている物もありそうですね(美味しいものとか美味しいものとか!)
意外な地域にある意外な文化は飛んだというより、取り残されたものが多いかもしれません。道中の要所は他の文化に塗り替えられて、後世から見ればなんでこんなとこにこんなものが、となるのでしょうね。
子供の頃に「掃く」を「はわく」と発音する方言を聞いて、古文の世界?と驚いたことがあります。言葉だけでなく地面を掘っても色々出てきちゃう地域でした。通じないので使いませんが、はわく方が音が綺麗だし他のハクと区別し易いのにと思っています。言葉は進化すると大抵は短くなるというのもなんだか残念です。
お昼寝オワリがハンガリー五番って強烈ですね、曲は嫌いじゃないけどそれは私もいやだ!
「実はこれもハンガリー由来ですよ」と言われなければ知らない、知っている物もありそうですね(美味しいものとか美味しいものとか!)
意外な地域にある意外な文化は飛んだというより、取り残されたものが多いかもしれません。道中の要所は他の文化に塗り替えられて、後世から見ればなんでこんなとこにこんなものが、となるのでしょうね。
子供の頃に「掃く」を「はわく」と発音する方言を聞いて、古文の世界?と驚いたことがあります。言葉だけでなく地面を掘っても色々出てきちゃう地域でした。通じないので使いませんが、はわく方が音が綺麗だし他のハクと区別し易いのにと思っています。言葉は進化すると大抵は短くなるというのもなんだか残念です。
Commented by poirier_AAA at 2022-03-24 00:31
> ひかりさん、こんにちは。
ほほう。ひかりさんは自然科学系でしたか。それはまた楽しそう。大学時代、自然科学系をやっている人がまわりにいなかったのです。話、聞いてみたいなぁ。
壮大とおっしゃいますが、ひかりさん、プレートの動きや地層の形成に比べれば言語なんてたかだか1000年単位のスケールですよ。地学の壮大さは規模が違いますよね。でも、どっちもロマンがある。わたし、諸々の条件の影響を受けて何かが少しずつ変わって行くさまを追うのがすごく好きみたいです。
ほほう。ひかりさんは自然科学系でしたか。それはまた楽しそう。大学時代、自然科学系をやっている人がまわりにいなかったのです。話、聞いてみたいなぁ。
壮大とおっしゃいますが、ひかりさん、プレートの動きや地層の形成に比べれば言語なんてたかだか1000年単位のスケールですよ。地学の壮大さは規模が違いますよね。でも、どっちもロマンがある。わたし、諸々の条件の影響を受けて何かが少しずつ変わって行くさまを追うのがすごく好きみたいです。
Commented by poirier_AAA at 2022-03-24 00:49
> イソロクさん、こんにちは。
お昼寝の終わりにハンガリー舞曲5番って、誰が選んだんだよ!と思います。子ども心にちょっとしたトラウマになりました。同じ経験をしている弟とは、今でも不快な経験を分かち合っております。はい。
以前、遠い昔のブリテン島を舞台にした物語を読んだ時、そこに登場する人たちのめまぐるしさに驚きました。もともとの原住民がいたところにローマ人が攻めてくる。やがて入れ替わってアングロ・サクソン人が入ってくる。次にヴァイキングのデーン人も攻めてくる。。。言語が変わる、消える、優勢劣勢になる、どれも侵攻や衝突の結果、力関係や経済力が如実に影響を及ぼしていると考えるといたたまれなくなりますが、それでもいろいろな歴史の結果として今の言語ができていると考えると、やはり興奮してしまうのです。日本だって土地によって言葉が違うわけで、それを辿ったらすごくおもしろいと思うんですよねぇ。つくづく、もっと若い頃(大学時代)にこの世界に目覚めていたら、もっと広い世界がみられただろうにと思うのです。
お昼寝の終わりにハンガリー舞曲5番って、誰が選んだんだよ!と思います。子ども心にちょっとしたトラウマになりました。同じ経験をしている弟とは、今でも不快な経験を分かち合っております。はい。
以前、遠い昔のブリテン島を舞台にした物語を読んだ時、そこに登場する人たちのめまぐるしさに驚きました。もともとの原住民がいたところにローマ人が攻めてくる。やがて入れ替わってアングロ・サクソン人が入ってくる。次にヴァイキングのデーン人も攻めてくる。。。言語が変わる、消える、優勢劣勢になる、どれも侵攻や衝突の結果、力関係や経済力が如実に影響を及ぼしていると考えるといたたまれなくなりますが、それでもいろいろな歴史の結果として今の言語ができていると考えると、やはり興奮してしまうのです。日本だって土地によって言葉が違うわけで、それを辿ったらすごくおもしろいと思うんですよねぇ。つくづく、もっと若い頃(大学時代)にこの世界に目覚めていたら、もっと広い世界がみられただろうにと思うのです。
Commented by H.W. at 2022-03-24 10:35 x
はじめまして。ハンガリーの隣オーストリアに四半世紀長暮らす、やはり言語に非常に興味を持つ者です。
私自身は大学時代にロシア語を主に、おまけでポーランド語とセルボ・クロアチア語(と当時は言ったのです)を少し囓りました。後にドイツ語で生活していく事になるとは想像もしていなかったので、ドイツ語はこちらに来てから学びました。
大学の専攻は東欧が対象だったのですが、ハンガリーはやはり全く系統が異なり、当時は専門とする先生もいらっしゃらなかったので、ほぼ対象外でした。
私自身は、騎馬民族であるフィン族のマジャール人がダーッと(?)西にやって来て、彼らにとって生活し易い大平原に定住してしまったために、今のような“孤高”な状態になってしまったのではないかと考えます。乱暴でプリミティブな言い方ですが。実際アッティラは、後のモンゴル/タタールのようにかなり西の方にまで侵攻していたようですが、(ハンガリー)大平原よりも西の土地は、騎馬民族が住むには向かなかったでしょうし。
ところでそれよりも... ご近所には「バスク語」というのがあるではないですか!こちらの方が更にロマンに満ちているのではないかと思うのですが。実は2年前に、日本の友人と一緒に、カルカソンヌを訪れる計画を立てていたのです。あのあたりにもオクシタンという他所と少し違う言語がありますよね。彼の地を訪れたことのあるこちらの知人に「あれはバスク語よ。」みたいに言われて、「え?違うだろ?」と思ったのですが... 。
すみません、長くなってしまいました。こういう話になると興味が尽きません。比較言語学とかやりたかったかな...?って、30過ぎてから思いました。
私自身は大学時代にロシア語を主に、おまけでポーランド語とセルボ・クロアチア語(と当時は言ったのです)を少し囓りました。後にドイツ語で生活していく事になるとは想像もしていなかったので、ドイツ語はこちらに来てから学びました。
大学の専攻は東欧が対象だったのですが、ハンガリーはやはり全く系統が異なり、当時は専門とする先生もいらっしゃらなかったので、ほぼ対象外でした。
私自身は、騎馬民族であるフィン族のマジャール人がダーッと(?)西にやって来て、彼らにとって生活し易い大平原に定住してしまったために、今のような“孤高”な状態になってしまったのではないかと考えます。乱暴でプリミティブな言い方ですが。実際アッティラは、後のモンゴル/タタールのようにかなり西の方にまで侵攻していたようですが、(ハンガリー)大平原よりも西の土地は、騎馬民族が住むには向かなかったでしょうし。
ところでそれよりも... ご近所には「バスク語」というのがあるではないですか!こちらの方が更にロマンに満ちているのではないかと思うのですが。実は2年前に、日本の友人と一緒に、カルカソンヌを訪れる計画を立てていたのです。あのあたりにもオクシタンという他所と少し違う言語がありますよね。彼の地を訪れたことのあるこちらの知人に「あれはバスク語よ。」みたいに言われて、「え?違うだろ?」と思ったのですが... 。
すみません、長くなってしまいました。こういう話になると興味が尽きません。比較言語学とかやりたかったかな...?って、30過ぎてから思いました。
Commented by poirier_AAA at 2022-03-24 18:52
> H.W.さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。その語学歴を聞いただけでもう、羨ましいと言うか興味でいっぱいと言うか、家が近くだったらお茶でも(アルコールでも)飲みながら言語の話や文化の話を時間を忘れて語り合えそうなのに!残念です。
そう、バスク語もロマンですよねぇ。ミステリーとも言えるかもしれません。まわりのどの言語とも系統が違うと言いますものね。オクシタニア(オック語圏)は言語も文化も北フランスのそれとはずいぶん違いますね。あのあたりは何年か前に訪ねたことがありますが、とても興味深かったです。アルビ、カルカッソンヌ、またあの地方の雰囲気を味わいに出かけたいです。
コメントありがとうございます。その語学歴を聞いただけでもう、羨ましいと言うか興味でいっぱいと言うか、家が近くだったらお茶でも(アルコールでも)飲みながら言語の話や文化の話を時間を忘れて語り合えそうなのに!残念です。
そう、バスク語もロマンですよねぇ。ミステリーとも言えるかもしれません。まわりのどの言語とも系統が違うと言いますものね。オクシタニア(オック語圏)は言語も文化も北フランスのそれとはずいぶん違いますね。あのあたりは何年か前に訪ねたことがありますが、とても興味深かったです。アルビ、カルカッソンヌ、またあの地方の雰囲気を味わいに出かけたいです。