菊澤 律子 (国立民族学博物館/総合研究大学院大学)
マダガスカルの言語、マラガシ語(またはマダガスカル語、Malagasy)は、オーストロネシア語族に属している。オーストロネシア系の他の言語は太平洋および環太平洋地域で話されているのに、この言語はインド洋をはさんだ反対側の「とび地」となっている不思議な存在だ。話者たちがどのような経緯を経てこの地に到達したのかについては、いくつかの説が提唱されているが、まだ解決をみていない。でもその前に、そもそも、マラガシ語がオーストロネシア系の言語に分類されるのはなぜだろうか。そしてなぜ、それが人の移動に結び付くのだろうか。ここでは、言語学における語族や系統分類の定義を概説し、なぜ、マラガシ語がオーストロネシア系だということがわかるのか、ということについて説明する。
1.言語の系統関係とは? 「語族」や「言語の系統分類」は、なじみがあるようで、実は、定義がよく理解されないまま使われることが多い言葉であるように思う。たとえば、マラガシ語と系統が同じマレー語が「似ている」、というコメントはよく耳にするが、似ているかどうかは系統分類の根拠にはならない。言語の系統分類とは、複数の言語が同じ祖先(祖語)から発達したかどうかに基づく分類のことをいう。共通の祖語から発達した言語をまとめて語族と呼ぶ。同じ祖語から発達したかどうかについては、歴史言語学における「比較方法(the Comparative Method)」という手段を用いて検証する。オーストロネシア語族のほとんどの言語は、近年まで書記法がなかった。そのため、比較方法を用いて、現在話されている言語を比較し、過去の言語形を再建することにより、その発達史を明らかにする。言語には「変化する」という性質があり、その変化の過程を科学的にたどることで、それが可能になる。 2. 系統特定の手法 比較方法では、言語の音の変化を手掛かりとし、そこに語彙の分布を組み合わせて言語史を遡る。それが可能であるのは、音の変化が起こるときに対象となる音すべてに同じ変化が起こるからだ。たとえば、ある言語でliがdiに変わる と、そのとき使われているすべての語彙においてliがdiに変わる。diはその後、各語彙で、diのまま、もしくはさらに別の言語音に変化して継承されてゆく。同様に、tiがtsiに変わると、すべての語彙においてtsiに変わり継承される。このような変化の蓄積は、現在話されている言語には「規則的な音対応」として反映される。規則的な音対応とは、対象となる言語に広範な語彙にわたって、一貫してみられる音の対応のことだ。 表1に具体例をあげてみた。「数字の3」と「数字の5」のふた組の語彙リストとなっている。地理的にできるだけ広い範囲のオーストロネシア系の言語における語形を集めてみた。パイワン語の「数字の3」のみっつめの音はlとなっており、他の言語ではこれに対応する部分の音が順に、l, l, l, n, l, l, l, l, r, rとなっている。つぎに、「数字の5」をみると、パイワン語では最初の音がlとなっているが、こちらでも他の言語では順に、l, l, l, n, l, l, l, l, r, rとなっている。ここではこの2単語のみをとりあげたが、パラワン語でlが出てくるとき、同じl, l, l, n, l, l, l, l, r, rという組み合わせがこれらの言語の広範囲の語彙にわたってみられる。このように、同じ音の組み合わせが複数の語彙を通してみられるとき、「規則的な音対応がある」という。規則的な音対応は、共通祖語にあった言語音が、言語の分岐に従い変化した名残りであると考えられ、言語の系統関係の特定の手がかりとされる。 このようにみると、さらに、共有形(tɘluやlimaのような形)に対して、キリバス語では数字の3でも数字の5でも語末に-uaが、ハワイ語では語頭にe-が加わっていることがわかる。また、ヴァヌアラヴァ語では、語頭にそれぞれni-, tafa-という形が加わっている。全体の分布から、マラガシ語にみられるふたつの形limi, dimiは、前者が継承形、後者がマラガシ語分岐後に、一部の方言で変化した形であることもわかる。 ここでの説明は省略するが、規則的な音対応をみることで、借用語を特定することもできる。歴史言語学の論文に音対応の表が出てくるのは、このように、音の対応関係やそうでない関係が、言語の発達史を特定する根拠となるからだ。 表2には、Adelaarによるマラガシ語の音対応のまとめを引用した。左から二番目の列Malagasy (inherited)は直接継承形にみられる音対応、Malagasy (borrowed) は、借用語にみられる音対応となっている。右端は、マレー語の音で、たとえば、マラガシ語でb, v, -kra のときには、マレー語の対応する単語にはbがみられる、ということを表している。マダガスカルの言語がオーストロネシア系、すなわち、オーストロネシア祖語から発達した言語であることがわかるのは、このように、マレー語やその他のオーストロネシア系の言語と規則的な音対応がみられること、またその変化の経緯を特定できるからだ。マラガシ語、マレー語を含む、情報が得られるすべての言語の音対応を総合して祖語の音を再建したものが、左端のオーストロネシア祖語の音になる。歴史言語学では、再建形には語頭に「*」をつけて、実際に話されている言語のデータと区別する。 3. マラガシ語の方言分類 言語と方言の区別は言語学的なものではなく、政治的・社会的要因で決まる部分が大きい。言語が分岐して多様化した結果であるという意味では、方言もまた、系統を同じくする言語の集まりだと考えることができ、理論的には歴史言語学の手法により、その分岐の過程(=系統関係)を知ることができるはずだ。ただし、方言のように地理的に隣接した地域で話されている言語の発達史の研究は、言語接触による借用関係や地域特徴の発達などの影響で、実際の分析は、地理的・系統的に離れた言語の比較よりも複雑になる(cf. macro- vs. micro-comparison, Kikusawa 2018)。 マラガシ語方言の比較研究の問題点は、Adelaar 2013にまとめられている。その中でAdelaarは、マラガシ語の方言研究では、地理的分類(地図1)および形態に基づく分類が基盤になっており、系統分類との区別がされていないことを指摘している。言語の系統分類は、言語の発達過程を、どの言語がいつ分岐したかに基づいて示すものである。枝分かれのプロセスは、共有変化に基づいて特定する。たとえば生物の場合、ある突然変異が起こると、その後に分岐したものはすべてその突然変異の結果を共有している。一方で、変化せずに継承されている特徴は、分類の手がかりにならない。その意味で、liとdi、tsiとtiの分布に基づきマラガシ方言を二分する方法は、地理的分類・形態に基づく分類であり、系統分類ではない。 | | 地図1: マラガシ語の地理的分類(Adelaar 2013: 459から引用) |
たとえば先に、マラガシ語におけるliとdiは、liが継承された特徴で、マラガシ語の一部の言語でliがdiに変化したことが、他言語との音対応をみることでわかることを述べた。この変化をli > diと示すが、これは変化なので、系統分類の手がかりになり得る。一方、liは祖語からそのまま受け継がれている形なので、系統分類の手がかりにはならない。変化していない継承形はli > diという変化をしたグループには属していなかった、ということ以外、分岐の経緯に関する情報をもたないからだ。li > diの情報に基づいて、描き得る系統図を図1a. に、対する形態に基づく分類を図1b.に 示してみた。図1a. の左端のふたつに分岐している言語は、li > di以外の変化に基づき分岐が特定できるが、liについてはいずれの言語でもそのまま継承されていることを示している。このように、実際の系統分類では、ひとつだけではなく、複数の共有変化を総合して系統関係を特定する。 4. マラガシ語の諸方言と系統研究 前節3. で述べた観点から、Adelaar & Kikusawa 2014では、音対応および代名詞形に焦点をあて、マラガシ語諸方言の発達史の一部の解明を試みた。表3は、その中の音対応の表を引用したもので、地理的・形態的にli/di, ti/tsiの分布のみをみていたときと比べて、複雑な様相を呈していることがわかる。また、この表にあがっているのはこの論文の分析対象である代名詞に関連する音のみに限られており、全体像をみるためには、すべての音についての対応関係を含める必要がある。マダガスカルにおける言語の情報は、一時期と比べれば増えてきてはいるが、このような観点からは、まだまだ記述研究の発展が望まれるところとなっている。 なお、言語には、音や語彙以外に、統語(文法)構造や意味の再建、言語の場面による使用方法の特徴をみる語用論的な側面など、さまざまな側面がある。歴史言語学の研究は、音の対応と語彙の発達史から始まったが、現在では研究が進み、音や語彙以外の要素についても比較再建の手法が発達しつつある(cf. Kikusawa 2015)。筆者はこれまで、オーストロネシア語族における統語構造の発達史の研究をすすめてきた。マラガシ諸方言には統語構造が多様で、それがマラガシ祖語の分岐後どのような経緯を経て変化したのかを解明することは、マラガシ諸方言の発達史という観点のみだけでなく、比較統語論的観点からも興味深く、意義のある研究テーマとなっている。
5. 歴史言語学の応用―ことばから過去を探る ヒトがいるところには言語があり、言語はヒトなしには存在しない。言語の系統関係を知ることは、言語の分岐の歴史を知ることであり、その成果を現在話されている言語の地理的な位置と照らし合わせることで、話者集団の移住の解明につなげることができる。また、言語間で借用語がみられるということは、話者集団の間に何らかの接触があったということを示唆しているので、特定の言語と他の言語の借用関係を特定することは、ヒト社会の接触誌を知ることにつながる(菊澤2013)。視点を変えて、語彙ひとつひとつの意味変化や形成史をみることにより、話者がおかれた環境の変化や植物の栽培化などの歴史を解明することができることもある。どのような経路をたどったにせよ、マラガシ語の祖先となった言語を話していた話者は、マダガスカルに定住すると同時に分岐元の言語が話されていたボルネオ島とは、異なる環境に直面し、その中で生活を営まなくてはならなかった。その具体的な内容は、祖語からの継承語形に意味変化を組み合わせることで追うことができる。たとえば、もともとクワズイモ(Alocasia spp.)を指していた *biRaqという語が、マダガスカルでは今日、viha, vihana, via という形になり、これが形態と利用方法が似たTyphonodorum lindleyanumを指す語となっている(Kikusawa 2010)。また、インドネシアでは黄色の染料やスパイスとして使われるうこん(Curcuma spp.)を指していた語 *kunij が、マダガスカルではつる性の染料植物を意味するようになった(Kikusawa and Reid 2007: 349, cf. 崎山2009)。 言語は、コミュニケーションのツールであると同時に、人間の社会や文化、生活様式や世界認識を反映する器でもある。近年では、遺伝学の分野でコンピューターを用いた大規模データ解析(cf. Wichmann and Rama 2018)や地理情報システム(GIS)を言語にあてはめる試みもすすんできている(cf. Kikusawa 2013, 菊澤他 2018)。言語を分析することは、ヒトの移動誌や文化誌へのよりよい理解につながる。多くの言語(方言)が話されているマダガスカルは、そんな隠された知識の宝庫であると同時に、今後の言語研究の発展が望まれるフィールドでもある。
参考文献 Adelaar, K. A. 2009. Towards an integrated theory about the Indonesian migrations to Madagascar. In P. N. Peregrine, I. Peiros and M. Feldman (eds), Ancient Human Migrations: A Multidisciplinary Approach. Salt Lake City: The University of Utah Press, pp. 149-172. Adelaar, K. A. 2013. Malagasy dialect divisions: Genetic versus emblematic criteria. Oceanic Linguistics 52 (2): 457-480. Adelaar, K. A. and R. Kikusawa 2014. Malagasy personal pronouns: A lexical history. Oceanic Linguistics 53 (2): 480-516. DOI: 10.1353/ol.2014.0020. Kikusawa, R. 2010. The movement of people and plants in the Pacific: Reconstructing culture-history based on linguistic data. In M. Z. Gadu and H-M. Lin (eds), 2009 International Symposium on Austronesian Studies, Taitung: National Museum of Prehistory, pp. 77-96. 菊澤律子. 2013. 「ことばから探る人の移動」.『人類の移動誌』, pp. 264-277. 印東道子(編). 臨川書店. Kikusawa, R. 2015. The Austronesian language family. In C. Bowern and B. Evans (eds), The Routledge Handbook of Historical Linguistics, London, Routledge, Taylor & Francis Group, pp. 657-674. Kikusawa, R. 2018. What the tree model represents: Language change, time depth, and visual representation. In R. Kikusawa and L. A. Reid (eds), Let’s Talk about Trees: Genetic Relationships of Languages and Their Phylogenic Representation. Senri Ethnological Studies 98, pp. 171-193. Kikusawa, R. and S. Kinugasa. 2005. An application of GIS to historical linguistics: With Malagasy dialect data as an example. The XIIth International Conference on Historical Linguistics (ICHL17). (Wisconsin, August 2, 2005). 菊澤律子, J. Lowry, P. Geraghy, A. Tamata, 岡本進, 佐野文哉, 寺村裕史. 2018. 「地理情報システム(GIS)を利用したフィジー語諸方言の歴史研究プロジェクト」. 第35回日本オセアニア学会研究大会, 2018年3月22日, 海洋博公園内・美ら海水族館イベントホール. Kikusawa, R. and L. A. Reid. 2007. Proto who utilised turmeric, and how? In J. Siegel, J. Lynch and D. Eades (eds), Language description, history and development: Linguistic indulgence in memory of Terry Crowley, Creole Language Library 30, Amsterdam and Philadelphia: Benjamins, pp. 341-354. 崎山理. 2009. マダガスカルにおけるオーストロネシア系言語由来の植物名称の意味変化. 『国立民族学博物館研究報告』33 (2): 227-264. Wichmann, S. and T. Rama. 2018. Jackknifing the black sheep: ASJP classification performance and Austronesian. In R. Kikusawa and L. A. Reid (eds) Let’s Talk about Trees: Genetic Relationships of Languages and Their Phylogenic Representation. Senri Ethnological Studies 98, pp. 39-58. ▲ページトップへ |