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斎藤知事が就任後の予算で削ってきた補助事業は、防災や福祉の予算だった。 県内の市町は皆、この通知書を見てびっくりしたという。防災と福祉を真っ先に切ってきたからだ。 これが、維新県政の始まりだった。 就任後の8年間で450億円の歳入不足を「錦の御旗」に1300億円を削減するとした斎藤県政に、県内市町は驚きを隠せなかった。 箱物をはじめ、県道や河川、港湾整備など景気を直接刺激する「投資的事業」を大幅に削減したが、当時、この削減分の用途は県から示されなかった。 その後、大阪万博や淡路島のパソナ関連等々、お友達関連と宗主の大阪府知事へのご奉公は厭わない、未曾有の兵庫県政がスタートした。 斎藤知事は大阪との連携には興味があるが、そのほかにはほとんど無関心で、県内の市町長、県議にも会わない異常事態が就任後、続いていた。 市町長が付けたあだ名が「引きこもり知事」。 片山副知事や牛タン倶楽部に担がれた裸の王様は、その後、パワハラで職員を脅しつけ、本庁は地獄の日々を送ることになる。
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