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序章
1) 吉原、1989年、24頁、参照。この二つの流れのうち、後者について、吉原は、以下のように述べている。
 「〔二つの流れのうち〕一つはHerbert Blumerに代表されるSymbolic interactionismの流れである。自我の探求に焦点を据えて立ちあらわれたこれらの学派は、まぎれもなく Meadの仕事に源を発し、Thomas,Park,Hughesの影を追っていた」(吉原、1989年、24頁)。
 ちなみに、フェアリスは、この派をさして「シカゴ学派第三世代」と呼んでいる(Faris,1967=1990年、177頁)。
2) というのも、ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、研究手法とは、ブルーマーが分析枠組みにおいて描いているとする行為者が日常的に行っていることを洗練させたものに他ならないからであり(Blumer,1980,pp.415-416;Hammersley,1989,p.44,p.46)、そのため、ブルーマーの研究手法の原型を探るという意味でも、まずもってこの分析枠組みから検討することが必要となるからである。
 こうしたブルーマーの立論は、プラグマティズムの思想と深く関連している。シンボリック相互作用論が「まず何よりもプラグマティズムの影響下にアメリカで誕生」(Martindale,1960=1970年、406頁)したことは今や周知のことであるが、もとより、ブルーマーのシンボリック相互作用論の場合も例外ではない(船津、1976年、27頁)。ハマーズレイによれば、プラグマティズムの思想においては、科学や哲学とは、人間の思考の雛形と捉えられていた(Hammersley,1989,p.46)。そのことについてハマーズレイは以下のように述べている。
 「科学や哲学は、日常生活における諸問題から立ち現れ、その問題の解決に向けられる。・・・・多くのプラグマティストたちは、科学を、人間の知識がそうあるべき雛形と捉えており、同時に、人間の知識を発展するものとして、その結果として、人間同士の相互適応および人間の環境に対する適応を漸進的に促進するものと捉えていた」(Hammersley,1989,p.46)。
 さらにこうした思想が、ブルーマーのシンボリック相互作用論の分析枠組みと研究手法の形成過程に多大な影響を及ぼしたとハマーズレイは見ている。彼によれば、「シカゴ学派社会学、さらに、ハーバート・ブルーマーの方法論的な諸見解に対して、最も重要な影響を与えた哲学思想はプラグマティズムであった。ブルーマーやそのほかのシカゴ学徒が、人間の社会生活の特性に関する自らの諸見解の多くや、同時に方法論的な見解のいくつかを引き出したのは、まさにこのプラグマティズムからであった」(Hammersley,1989,p.44)。
 こうした見解を、事実、ブルーマーも認めている。ブルーマーにとって、科学とは、人間の内省的知性の理想的形態を意味する。また科学的手法とは、日常的手法を単に伸長ないしは洗練させたものに他ならない。ミード同様に、ブルーマーのシンボリック相互作用論においても、こうした考え方は変わらない。このようにブルーマーは述べている(Blumer,1980,p.415)。さらに、ブルーマーが提示する(社会)科学的手法としての「自然的探求」(naturalistic investigation)法もまた、日常的手法を単に洗練させたものとして、ブルーマーにおいては捉えられている(Blumer,1980,p.415)。
3) Blumer,1977;1980.詳しくは本論第1章第4節を参照のこと。
4) Blumer,1931;Denzin,1970,p.454.こうしたことは、厳密にいうならば、たとえそれが「翻訳」という研究行為であっても例外ではない(佐藤、1992年、92−97頁、参照)。
5) 学説研究というものを、自らの依拠する視点を明示・自覚した上での創造的解釈と捉え、そうした立場から、シカゴ学派社会学の論考を検討しているものに、宝月、1989年がある。
6) 例えば、船津、1976;1989年;宝月、1990年、参照。とはいえ、ブルーマーのシンボリック相互作用論による、ミード思想の継承の如何については、周知のように、その是非をめぐって種々の論争が繰り広げられてきた。古典的には「自己」(self)把握をめぐるブルーマーとR.F.ベールズらとの論争、そして、その後に展開された、ミードの人間観、社会観、方法論把握をめぐるブルーマーとイリノイ学派との論争などがその主立ったものである。前者の論争については、稲葉、1973年;村井、1974年、53−54頁を参照。また後者の論争については、伊藤、1998年が詳しい。なお、シンボリック相互作用論とシカゴ学派社会学・プラグマティズム哲学との理論的・学説史的関連を詳しく論じたものに、伊藤、1995年bがある。
7) それ故に、ブルーマーのシンボリック相互作用論に対しては、それが「主観主義」的な立場を標榜するものであるとする批判が、かねてより寄せられてきた。詳しくは、本論第1章第2節を参照のこと。
8) 本論第2章第3節を参照のこと。
9) 拙稿(桑原、1997年、67頁)、参照。また、この点については、本論第3章も、参照のこと。
10) ブルーマーの諸論考が持つ、こうした特異性を考慮に入れる限り、ブルーマーのシンボリック相互作用論を研究する者には、その者による、ブルーマーの諸言説の、ある一定の観点ないしは視点からの、整理(取捨選択)・統合・洗練という作業が必要となる。ここで求められるのは、その諸言説を一つ漏らさずありのままに提示するという作業ではない。
11) そもそも、何故にブルーマーは、社会が、それ自体のメカニズムに基づいて作動するという理論的立場ないしはパースペクティブを誤りであるとして批判したのか。この点を正確に追求するためには、ブルーマーのシンボリック相互作用論が生まれた土壌であるアメリカ社会と、ブルーマーの分析枠組みとの関係に関する知識社会学的研究が必要となるが(片桐、1989年、iii;1991年、7−8頁;下田、1987年、349−350頁)、本論ではそれを行う余裕はない。
12) なお、こうした見解は、ブルーマーの論考の随所に見られる(Blumer,1969b,pp.19-20=1991年、24−25頁;1966=1969a,pp.74-76=1991年、95−99頁;1962=1969a,pp.88-89=1991年、114−115頁)。
13) この点については徳川、1987年、69−74頁を参照。
14) 本論第1章第2節を参照のこと。
 
第1章
1) 換言するならば、この自己相互作用という概念を看過した社会理論は、もはやシンボリック相互作用論ではない(船津、1976年、19−26頁、参照)。船津も言うように、シンボリック相互作用論による人間の捉え方(「主体的人間」観)は、構造機能主義社会学の人間把握(「社会化過剰の人間観」)に対する鋭意な批判を含み持っているが、シンボリック相互作用論が、そうした人間把握の妥当性を確証する経験的根拠として強調していたのが、個々人の解釈的営みであり、それを捉えるための分析枠組みとして提示していたのが、この自己相互作用という概念であった。またシンボリック相互作用論が、そうした人間把握を武器にして、自らの社会学理論としてのレゾンデートルを主張してきた、と言っても過言ではない(船津、1976年、参照)。
2) 構成心理学とは、複雑な精神現象を諸要素に分け、そうした諸要素を相互に結合することによって心理現象を説明しようとする心理学の一流派を指し、この流れに位置する心理学者に、W.ヴント、E.B.ティチェナー、W.ジェームズらがいる。この立場では、そうした諸要素として「感覚、心像、感情」などが挙げられ、そうした要素を構成することによって、意識内容やその構造を解明しようとする方法論が採られている(外林、1981年、138頁)。なお、こうした方法論を排し、人間の心理現象を、その「内容」ないし「構成」という観点から分析するのではなく、それを、個人の環境に対する適応における「機能」という観点から分析しようとする立場が「機能主義心理学」(functional psychology)に他ならず、ブルーマーのシンボリック相互作用論立論の出発点となった考え方である(Blumer,1931=1969a,pp.155-156=1991年、203頁;植村、1989年、92−94頁、参照)。
3) 『新明解国語辞典 第3版』、三省堂、1985年、における「世界」の狭義の定義を引用。
4) Charon,1989,pp.39-46,参照。例えば、モールス信号という「言語」を例に取ってみよう。周知のように、モールス信号とは、ある一定の光ないしは音のパターンを、大気中の音の振動ないしは発光という物流にのせることにより、ある一定の情報を、伝達者から被伝達者へと伝達することを目的として考案されたものである。とはいえ、この信号は、それを理解する能力を持ち合わせていないものにとっては、まるで「意味」を持たないものとして存在することになる。この信号が、ある人間にとって、「意味」あるものとして、すなわち、「対象」として存在するためには、この信号に関する、その人間に対する、他者たちによる定義活動が、まず先行しなければならない。すなわち、軍隊という集団において、その人間が、その集団に所属している他者たちから、定義活動(軍隊訓練)を受けることで、初めて、その信号がその人間にとって「意味」(情報)あるものとして、立ち現れてくることになる。
5) この点については、逸脱行動論におけるラベリング理論の成果にも明らかである(木村、1991年、参照)。
6) Blumer,1969b,p.5,pp.20-21=1991年、6頁、26−27頁;1966=1969a,p.84=1991年、84頁.
7) なお、船津もまた、人間による自己内コミュニケーション(「自己相互作用」)を、他者とのコミュニケーションが内在化されたものと捉えている。
 「自己内省的コミュニケーションはそれ自体内部においてなされるというよりも、他者とのコミュニケーションを通じて生み出される。他者とのコミュニケーションを内在化することを通じて、自己とのコミュニケーションが行なわれるようになる」(船津、1996年、116頁)。
8) Alexander,1987,pp.214-227;Lewis,1976;Warshay and Warshay,1986;Zeitlin,1973,pp.217-218;Coser,1976,p.157;Stryker,1980,p.150;Smelser,1988,p.122.
9) ちなみに、ルイスによる批判は、わが国においても、ブルーマーのシンボリック相互作用論の主観主義的な性格を批判する上で援用されているものでもある(伊藤、1991年、48頁、50頁;徳川、1987年、70−71頁)。
10) なお、同様の指摘は、わが国においても下田によってなされている(下田、1987年、64頁)。またこうした批判は、村井がよりダイレクトに行っている。村井は以下のように述べている。
 「〔ブルーマーによる〕ミード理論の『主観主義』は、・・・・『自己存在的実体』としての対象(客観的実在)の存在を軽視もしくは抹消し、対象はそれが行為者にとって持つ意味に従って行為者によって構築されるものとして、対象をあくまで主観による構成物とする主張として現れる。・・・・このようないわゆる『主観的観念論』は、必然的にあらゆる実体概念の軽視ないしは否定につながり、さらには社会の構造的現実の軽視という結果をもたらすことになる」(村井、1974年、58頁)。
11) なお、この点について言うならば、船津もまた、同様の批判を行っている。船津によれば、ブルーマーは、「解釈過程のよって立つ基盤、とりわけ社会とのかかわりを無視し、社会による形成と規定の側面をほとんど閑却してしまっている」と言う(船津、1976年、41頁)。
12) Blumer,1977;1980.この二つの論文は、ブルーマーとルイスならびにマックフェイルとレックスロートとの間に交わされた論争という形態をとっている。その経緯を示すならば、まずルイスが、ブルーマーの主著『シンボリック相互作用論』(Blumer,1969a)におけるブルーマーの立場を主観主義的な性格を有したものであると批判し(Lewis,1976)、それに対してブルーマーが反論(Blumer,1977)、さらにブルーマーの主著における立場とルイスに対する反論における立場の双方に対して、今度はマックフェイルらが批判を展開し(McPhail and Rexroat,1979)(内容については後述)、その後、ルイスならびにマックフェイルらの双方に対して、再度ブルーマーが反論を行っている(Blumer,1980)。なお、この論争は、「シンボリック相互作用論史上の一大事件」を構成する、ブルーマーと批判者との間に交わされた諸論争のクライマックスとしての位置づけを有するものであるが、そうした諸論争の経緯と全容については、伊藤、1998年が詳しい。
13) ブルーマーによるこうした「適応」の捉え方は、プラグマティズムの思想、ならびにそれより派生した「機能主義心理学」(functional psychology)の思想と深く関連している(Blumer,1931;Hammersley,1989,p.44,p.46;Morrione,1988)。
14) ブルーマーのシンボリック相互作用論において、人間(またその人間が行う行為)とは如何なるものと把握されているのか、ということについてよく参照される文献に、メルツァーらの研究(Meltzer et al.,1975)があるが、メルツァーらは、この研究において、ブルーマーのシンボリック相互作用論における人間観ならびに行為観を、次のように特徴づけている。すなわち、ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、人間の行動とは、それを観察する他者から見て、本来的に予測不可能なものと捉えられている。では、何故に予測不可能なものと捉えられているかと言えば、そうした行動が外的刺激によってではなく、内的刺激すなわち「衝動」(impulses)によって生じるものと、ブルーマーにおいては捉えられているからである、と(Meltzer et al.,1975,p.62)。とはいえ、こうしたメルツァーらの特徴づけは、上記のブルーマー自身による説明を見ても、妥当性を欠くことがわかる。そもそも、ブルーマーのシンボリック相互作用論において、人間の行動とは、外的・内的な要因(刺激)によって引き起こされるものと捉えられているわけではない。むしろ、ブルーマーは、まず何よりも、人間の行動を、外的な要因か内的な要因かの何れかに帰属させようとする二分法的な考え方それ自体を退ける立場に立っている(Blumer,1969b,p.14=1991年、17−18頁)。シンボリック相互作用論において、人間の行為(適応活動)を方向付けるものとされているのは、あくまで、その人間の解釈ないしは定義なのであり、その人間に作用する(とされる)内的・外的な刺激それ自体ではない(片桐、1996年、12頁;徳川、1998年、参照)。また、ブルーマーにおいては、そうした刺激が、その人間(の行為)に対して、どのように作用するか(もしくは作用しないか)は、その人間の解釈・定義(=「状況の定義」)の如何にかかっているものと捉えられている。
15) とはいえブルーマーは、この「プロセス」に関する詳細な分析を行っていない。ミードの「役割取得」の議論については、ここではさしあたり、山尾、1996年を参照。なお、ブルーマーは、その後の議論において、上記三つの段階に先立つ段階として「準備段階」(preparatory stage)(=「意味なき模倣」(meaningless imitation)の段階)を提示している(Blumer,1993,p.187)。
16) 本論の参照・引用文献リストに掲載されている、船津の全著作を見る限り、ブルーマーのこの概念に対する言及はない。リストに掲載されている他の邦文献を見ても、この概念に対する言及は見られない。この概念に対して明確な言及を行っているのは、参照・引用文献リストに掲載されている文献のなかでは、マリオーネの論考(Morrione,1988)のみである。
17) Blumer,1977=1992,p.155;1980,p.410.このように、ブルーマーは、「パースペクティブ」というものを、ある一定のものの見方ないしは解釈枠組みと捉え、こうした「パースペクティブ」理解をミードから継承したものとしているが、徳川によれば、ミード理解という観点からすれば、こうしたブルーマーの「パースペクティブ」把握は妥当性を欠くかもしれない。徳川によれば、ミードにおいて「パースペクティブ」とは、単なるものの見方ではなく、“there in nature”に客観的に存在する関係性をあらわす概念として提示されているものであるという(徳川、1993年、25頁、30頁、31頁、36頁)。なお、ブルーマーにおいては、この「パースペクティブ」という概念は、「概念」(con-  cept)と同義で用いられており、それをブルーマーは「常識的概念」と「科学的概念」の二種に大別している(Blumer,1931=1969a,pp.160-163=1991年、209−213頁)。彼の概念論については、別項を用意したい。
18) 皆川も言うように、シンボリック相互作用論、およびその知的源泉となったシカゴ学派社会学においては、人間を「ものそれ自体(thing itself)とは異なった『人間の世界』をつくりだし、その世界に生きている」存在と捉えることが、その立論の前提となっている(皆川、1989年、63頁)。
19) なお、シャーロンによれば、こうした立論は、何もブルーマーのシンボリック相互作用論に限られたものではなく、シンボリック相互作用論一般に前提とされているものでもある。シャーロンは、その前提について以下のように述べている。
 「仮に、ある人間の面前に対象(object)が物的な形態を取って存在していたとしても、そうした対象は『ありのままの形で』(in the raw)、人間に見られているわけではない。そうではなく、人間は、その対象を、何らかのパースペクティブを通してのみ見ることが出来る」(Charon,1989,p.37)。
20) おそらくはMead,1917に基づくものと思われる(Blumer,1977=1992,p.157)。
21) Morrione,1988,p.4.なお、こうした「一般化」の洗練・改良が、人間の環境に対するコントロール力の増大をもたらす(Blumer,1931,参照)。
22) 船津は、ブルーマーの「自己相互作用」の議論に関して、一方でそれがミードの「主我」概念を明確にする手段を提供したと評価しつつも、他方で、ブルーマーの分析枠組みにおいては、「〔行為者による〕『解釈』がどのようになされるのか、また『解釈』の妥当性が如何にして知られるのかについては何も触れられていない」(船津、1989年、224頁)と論難しているが、まさにこの「語り返し」という知見は、こうした指摘に対する有力な回答であると言えよう。
23) 本来、科学論の文脈における知見である、この「語り返し」という概念を、社会理論の文脈に導入し、その意義を明らかにした論考として、ミード研究の文脈において、小谷の議論(小谷、1989年)が示唆に富む。
24) 本来、シンボリック相互作用論とは、行為者によるフリーハンドな解釈や定義を強調する理論なのではなく、まず何よりも、そうした解釈や定義が、ある一定の「パースペクティブ」に基づいてなされている、ということを強調する理論なのである。この点についてはCharon,1989を参照。
25) 本章で明らかにされた、ブルーマーのシンボリック相互作用論における「人間と社会的・物的環境との関係」に関する立論は、E.C.ヒューズのそれとも符合する。皆川がヒューズを引いて言う「<絶えず動いているもの>と<固定されたもの>ないしは<絶えず固定化してゆくもの>との相剋ダイアレクティク」(皆川、1989年、61頁)とは、まさに本章で明らかにされた、ブルーマーのシンボリック相互作用論における「人間と社会的・物的環境との関係」を捉えるに相応しい表現であると思われる。この表現の内実については、皆川、1989年、61−64頁、67−68頁を参照のこと。
26) 本章第3節注14を参照のこと。
27) なお、ブルーマーの別稿を見る限り、ブルーマーにおいては、この「完結」の結果として、その人間にとっての新たな「知覚」が、すなわち新たな「パースペクティブ」(→「対象」)が形作られるものと捉えられている(Blumer,1931=1969a,p.155=1991年、203頁)。
 
第2章
1) 拙稿(桑原、1998年、149−150頁)。なお、社会学の根本問題として、「個人と社会との関係」を措定し、それを軸に「社会学」を再構成しようとする、昨今のわが国の社会学界における明示的な取り組みとして、東北社会学会、1995年を参照。
2) 船津、1993年、56頁、参照。なお船津は、別の文献において、パーソンズ社会学における個人と社会との関係を次のように捉えている。
 「D・ロングによれば、現代社会学における人間の捉え方は、『社会化過剰的人間観』(oversocialized conception of man)として規定される。T・パーソンズを中心とする現代社会学は、人間は社会という鋳型にはめ込まれ、個性や独自性を奪われ、画一化された存在として考えられている。それはあまりにも社会化されすぎた人間のイメージに囚われている。・・・・パーソンズ社会学においては、人間による『社会規範の内面化』のメカニズムを解明することが、その中心的テーマとなっている。そのことから、社会の維持、安定を旨として、人間は社会化によって既成社会の中に組み込まれてしまう存在として描かれる。そして、人間が社会から逸脱したり、反抗したりする場合には、必ず社会統制が加えられると考えられている。その理論は、きわめて統合的イメージの強いものとなっている」(船津、1983年、37頁)。
 なお、船津による、こうしたパーソンズ社会学における「個人と社会との関係」把握は、Wrong,1961=1970,p.32,pp.33-34,p.40に基づいているものと思われる。また、こうした人間観に対して、ロングの提示する人間観が、「社会的な存在ではあるが、完全に社会化された存在ではない」(social but not entirely socialized)ものと人間を捉える見方である(Wrong,1961=1970,pp.38-40)。
3) ブルーマーは、別の論考において、「シンボリックな相互作用」を、個々人の解釈に媒介された相互作用と捉え、そうした媒介は「刺激と反応の間に解釈の過程を挿入することと等価なこと」であると捉えている(Blumer,1962=1969a,p.79=1991年、102頁)。この説明を踏まえるならば、その対極に位置する「非シンボリック相互作用」を、そこにおいて個々人が刺激−反応的に反応し合っている相互作用、と描写しても問題ないであろう。
4) 那須、1995年b、93−94頁、参照。後に見るように、ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、「有意味シンボル」とは、「共通の定義」と同義なものとして扱われている。すなわち、自他間において、共有されている何かを指している。
5) 逆に言うならば、人間間の社会的相互作用を概念化するにあたっては、そこに参与する個々人を、互いに相手とは異なった異質な存在と捉えなければならない。相互作用に参与する個々人間の異質性を前提とした上で、人間間の相互作用を概念化しなければならない、という点については、徳川、1992年を参照。
6) 拙稿(桑原、1998年、161−162頁)。
7) 船津による有意味シンボル論(船津の言葉で言えば「意味のあるシンボル」論)は、まさにこの種の循環論に陥っている。この点については、後に詳しく述べる。
8) ブルーマーは、シンボリック相互作用論の文脈において、人間間の社会的相互作用を「非シンボリック」なレベルと「シンボリック」なレベルという、二つのレベルにおいて生じているものと捉えつつも、前者の「非シンボリック」なレベルにある相互作用を正面から取り上げて議論することはなかった(那須、1995年b、90頁、参照)。とはいえ、彼による集合行動論の理論化においては、それとは反対に、この相互作用(正確には「刺激的相互作用」(interstimulation))には、「シンボリック」なレベルにある相互作用と対等な、否それ以上の重要性が与えられている。ブルーマーの集合行動論については、植村、1989年を参照。
9) なお、この「定義」を、個人の内に内在化された社会的相互作用としての「自分自身との相互作用」(=「自己相互作用」)において、それを行う個人が自分自身に対して行う場合、それは「意味付与」(「意味」の付与、すなわち自分が行為するその様式を定める営み)と呼ばれる。すなわち、それは、自分が如何に行為するべきかに関する表示を、その個人本人が自分自身に伝達することを意味する。
10) Blumer,1962のタイトル。
11) これは前節での「身振り」に関する議論においても述べられていた。
12) 拙稿(桑原、1998年、159頁)。
13) Blumer,1953=1969a,p.111=1991年、144頁,参照。
14) たとえば、船津、1993年、53頁;1995年、7頁;宝月、1984年、87頁;1990年、117頁;伊藤、1995年a、120頁;安川、1993年、などを参照。
15) 筆者の管見する限り、わが国のシンボリック相互作用論理解において、こうした「考慮の考慮」という現象を明示的に考察した研究はない。ブルーマーの立論に潜む、こうした現象に着目した数少ない論者として、N.ルーマン(Luhmann,1984=1995年、566−573頁)が挙げられる。本論で言う「考慮の考慮」とは、ルーマンの言う「期待の期待」に相当するものと思われるが、そうしたルーマンの「期待の期待」に関するわが国の研究として、佐藤、1995年を参照。なお、こうした現象を、明示的にシンボリック相互作用論のパースペクティブから考察した海外の論考として、ルーマンが挙げているものに、Blumer,1953とGlaser and Strauss,1964とSheff,1967がある(Luhmann,1984=1995年、938−939頁,参照)。とはいえ、私見では、こうした「考慮の考慮」という現象への着目は、何も目新しいものではなく、既に、C.H.クーリーの「鏡に映った自己」(looking-glass-self)概念に明示されているものでもある(Cooly,1902=1970,p.184)。
16) なお、社会的相互作用においては、個々の行為者は、相手がどのような存在であるのかのみならず、そうした相手から見て自分がどういう存在であるのか(また、自分の行為がどのように受け止められているのか)をも想定することを余儀なくされる、とする立論は、社会システム理論においても提示されている。この点については、小松、1996年;1997年を参照。
17) では、そうした「有意味シンボル」の成立を可能とするような「考慮の考慮」という解釈的営みは如何にして可能となるのか。それは純粋に個々人の主観に押し込められて良いものなのか。その点については、次節で詳しく述べる。
18) なお、ここで、個人による「他者たちの集団」からの、「解釈の道具」の獲得は、ダイレクトになされているものと捉えられてはならない。そうした道具は、あくまで、その個人の既存のパースペクティブを通して間接的に獲得されるものと捉えられなければならない。というのも、本論第1章第4節で明らかにされたように、人間は、自らを取り巻く社会的・物的環境(そのなかには、当然、「他者たちの集団」も含まれよう)を、ある一定のパースペクティブを通してしか捉えることができないからであり、逆に言うならば、環境(>「他者たちの集団」)からその個人に対して寄せられる種々の影響もまた、すべて、その個人の既存のパースペクティブを通して、間接的にしかその個人には与えられないからである。如何なる影響も、「解釈主体の「指示」〔=自己表示〕というフィルターをくぐる」(井上、1988年、37頁)ことを免れ得ない。
 なお、先に、本論第1章第2節で見た、ルイスによる、ブルーマーの自己相互作用概念に関する批判(Lewis,1976=1992,p.148)と、それに対するブルーマーの反論(Blumer,1977=1992,p.154)とを対照する限り、ブルーマーは、「社会構造」(social structure)を、「他者たちの集団」の範疇に入るものと捉えていることになる。かねてより、ブルーマーのシンボリック相互作用論に対して、それが非構造的偏向に陥っている、とする批判が寄せられてきた。例えば、後藤は次のように述べている。
 「・・・・ブルーマー的なシンボリック相互作用論における構造的視野の不足という問題がある。・・・・ブルーマーの社会理論は、さまざまな存在の『過程』としての性質を強調するあまり、いわば、すべてを過程的なものごとに帰着させてしまい、比較的安定的な構造としての社会や社会的相互作用を論じることが少なかった。・・・・そこで、とりわけシカゴ学派のシンボリック相互作用論には、構造的な視点が欠如しており、社会構造や制度・組織などの構造的な社会的カテゴリーを正当に扱うことができないという批判が、早くから行われていた」(後藤、1991年、296頁)。
 こうした批判が寄せられてきていることを考えると、ブルーマーにおける「社会構造」把握を検討することが必須の課題となろうが、ブルーマーの「社会構造」把握の解明については、別項を用意したい。
 
第3章
1) こうした社会把握は、吉原の言う「均衡論的変動論」の立場に相当しよう。吉原によれば、均衡論的変動論とは、社会というものを「OrganizationからDisorganizationへ、さらにReorganizationに至る一連のプロセス」と捉える立場をさすが、こうした社会把握は、まぎれもなく、シカゴ学派社会学より継承されたものである(吉原、1994年、70頁)。なお、こうした立場に立つシカゴ学派社会学の文献としてZorbaugh,1929を参照。
2) 田中、1971年、347頁。
3) 船津、1976年、20頁。なお、村井もまた、シンボリック相互作用論に対して同様の捉え方をしている(村井、1974年)。
 
終章
1) それを考えると、ブルーマーによるsensitizing conceptという表現よりも、デンジンのsensitizing-a-conceptという表現(Denzin,1970,p.455)の方がその内実を的確に表現しているものと思われる。なお、感受概念の内実を的確に描写したわが国の論考として、佐藤、1992年、77−82頁を参照。
2) Blumer,1969b,p.46,pp.47-52=1991年、59頁、60−66頁.ちなみに、こうしたブルーマーの研究手法論については、これまで、それが、具体的な分析方法を備えていない、とする批判や(船津、1976年、44頁;那須、1995年a、45−46頁)、「見て確認するだけの経験主義」(look-and-see empiricism)である(Baugh,1990)とする批判がなされてきた。たとえば下田は、この点について次のように批判している。
 「要するにブルーマーの言わんとするところは、前もって構成された固定的な分析的概念や、理論やモデルを、経験的世界に無理矢理あてはめて、それによって世界を理解してはならないということ、研究者は直接経験的世界を吟味して、その上で分析的諸要素の意味やその関係を確定せよ、ということに尽きる。そこには具体的な分析の方法と言えるほどのものは何も準備されていない」(下田、1987年、71頁)。
 このように評した上で、下田は、ブルーマーの研究手法を、「日常言語」と「社会学原語」との対応を求める「経験主義的方法論」と定義している(下田、1987年、71頁、362頁)。こうした批判に対して、ブルーマーのこの自然的探求法なる研究手法を再検討し、こたえることは、本論の冒頭でも述べたように、本論の趣旨ではない故差し控えるが、こうした批判にこたえうる著作として、デンジンの論考(Denzin,1989a)が挙げられる。なお、わが国において、ブルーマーのこの研究手法を詳細に検討した論考として、那須、1984年が挙げられる。
3) その例外的存在として、伊藤、1993年を参照。
4) 宝月、1990年、130−131頁。なお、以下の論述は、筆者の日本社会学会大会での学会報告に基づいている。桑原 司、「コミュニケーションへのシンボリック相互作用論からの再接近」、第71回日本社会学会大会、学史・学説2、一般報告、於関西学院大学、1998年11月22日。
5) この点については、藤沢、1989年、80−86頁を参照。なお、こうした「知っている」把握が、ブルーマーの議論と符合する、とする点については、皆川、1989年、62−63頁を参照。
6) ストラウスらの提示する覚識文脈は、ある一定の変数の組み合わせにより編み出されたものである。彼らが用意した変数とは、二項対立としての「二人の相互作用者」と「虚偽を行うか否か(覚識の承認)」、そして三分法としての「覚識の程度」(気づいている、疑っている、気づいていない)と「アイデンティティ」(相手のアイデンティティ、自分自身のアイデンティティ、相手の目に映った自分自身のアイデンティティ)である。これらを全て掛け合わせると、論理上、36通りの覚識文脈が成立するわけであるが、そのなかより、彼らが経験的に妥当なものと判断した「文脈」が、以下に見る四つの覚識文脈である(Glaser and Strauss,1964,p.678)。
7) なお、ストラウスらは、分析の焦点に据えてこそいないものの、「覚識のない文脈」(unawareness context)という状況が経験的に存在することを指摘している(Glaser and Strauss,1964,p.679)。
8) Glaser and Strauss,1964,pp.673-674.なお、こうした「共通の定義」把握については、Scheff,1967も参照。シェフはこの論考において、相互作用に関わる自己と他者とが、互いに「彼らがあることを認識していることを私たちは認識している」(we recognized that they recognized it)状態を「相互主観的な一次の合意」(first-level-co-orientation)(訳語については、後藤、1999年、3頁、参照)とし、「私たちがあることを認識していることを彼らが認識していることを私たちは認識している」(we recognized that they recognized that we recognized it)状態を「相互主観的な二次の合意」(second-level-co-orientation)と捉え、後者をより高次の「合意」(consensus)成立段階と捉えている(Scheff,1967=1970,p.353)。またこれが第三次、第四次、第五次・・・・第n次と無限後退してゆくことによって、両者の合意の状態が「完全な合意」(complete consensus)に限りなく近づいてゆくものとシェフは捉えている(Scheff,1967=1970,pp.354-355)。
9) 「研究者の研究行為(Research Act)自体が、研究者と行為者の相互作用において成り立っている」(船津、1976年、82頁)。
10) それを設定する上で、ストラウス等の議論が参考となる。彼らは、自らが形成する社会理論を、対象者たちが互いに相手と相互作用を行うための道具と捉え、結果として成立した理論的知見を、対象者が活用することで、より効果的に既存の相互作用を継続することが出来るか否かで、その理論の経験的妥当性の如何をはかろうとしている。詳しくは Glaser and Strauss,1965,pp.259-273=1998年、267−280頁を参照のこと。
11) 本論で浮き彫りにされた社会的相互作用把握が、果たして経験的な妥当性を持ち得るか否か、別言するならば、経験的領域における社会的相互作用を分析する分析枠組みとしてその有効性を発揮しうるか否か、その点を、まさしく「行為者の観点」からのアプローチにより、明らかにすることが、今後のわれわれの必須の作業となる。そうした作業を行う上で、ストラウスらの一連の研究(Glaser and Strauss,1964;1965)が示唆的である。ストラウスらは、1964年の論考において、人間間に生起する社会的相互作用を、互いに相手が不可視的な存在となっている自己と他者とが、「考慮の考慮」を駆使しつつ、互いに「相手のアイデンティティ」と「相手の目に映った自分自身のアイデンティティ」の双方を探り合う過程と捉え、その過程を、先に論じた四つの覚識文脈をもとに分析している。またそうした社会的相互作用把握を、1965年の著作において、終末期現場をフィールドに検証している。なお、ストラウス理論の全体像、および彼らの覚識文脈を議論したわが国の主な研究として、藤沢、1989年;1995年を参照。また、ストラウスらによる終末期現場をフィールドとした研究成果の日本の医療現場の研究への適用を考える上で、中川、1996年;森岡、1996年が示唆的である。
12) Charon,1989,pp.11-21.
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