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人類は破滅に向かっているのか?──大学の人気講義「人類存続の危機」学から考える

核兵器、気候災害、生物兵器、誤情報、AI──目がくらむほど恐ろしい見出しを正しく理解するために毎回、世界クラスの専門家がゲスト講師となる「Are We Doomed?」はシカゴ大学の人気講座だ。学生たちがそこから受け取るメッセージとは。
Illustration: Ben Denzer

1月、コンピューターサイエンティストのジェフリー・ヒントンがシカゴ大学で「人類は破滅に向かっているのか?」というタイトルで講義を行ない、人工知能(AI)が人類の存続を脅かすことになるかという問いについてZoom経由で話した。彼はとても陽気で、饒舌で、すべてが悪い方向へ進むと、しかも時間はほとんど残されていないと、確信しているようだった。76歳のヒントンは「わたしの人生はタイミングが完璧だった」とクラスの学生たちに言った。「第二次世界大戦のあとに生まれ、10代を過ぎてからエイズが現れ、そしていま、終末が来る前に死ねるのだから」

数十人の学生はいっせいに笑った。そのほとんどは21世紀に生まれた。ヒントンの講義に先立って、学生たちはAIが合成生物兵器の製造を容易にし、少数のエリートに監視権力を集中させ、ならず者AIが人間の意図を無視して自らの目的を追い求めるようになる、要するにすべてが台無しになると主張する論説を読んだばかりだった。

かつて機械学習の開発チームを率い、昨年グーグルを退社してからはAIの脅威を公の場で訴え続けているヒントンに、ある学生がAIに対する安全対策は有効なのかと質問した。「わたしは全員が76歳になることを勧める」が答えだった。学生たちは笑った。次の学生が、AIによってどの職業が人間から奪われていくと予想しているかと尋ねる。「年をとってよかったと思ったのはこれが初めてだ」。ヒントンはそう答え、学生たちに配管工になることを勧めた。「人は知性こそが人間を特別な存在にしていると考えているが、結局のところは肉体が……最後に残された優位性なのかもしれない」

わたしには、ヒントンが人類存続の危機のことを、『リア王』の道化のような存在ととらえているような気がした。一方のわたしは、不安と安心のモールス信号のように感じている。ただし、その強度という点では、自分のペットやお気に入りのジンジャークッキーを思う気持ちよりも弱いぐらいだ。AIの脅威、死にゆく海、大量の核兵器、あるいは総合的にかなり説得力のある終末論などといった話を、若い学生たちはどう受け入れ、どう拒絶しているのだろうか? 若者は若さゆえに未来に希望を抱くと言われる。しかし、この言い回しからは、若者自身が希望をもっているのか、それともそう思い込んでいるだけなのかという点がはっきりしない。

核兵器、気候災害、生物兵器、誤情報、AI……

「人類は破滅に向かっているのか?」には学部生と大学院生が参加し、木曜日午後におよそ3時間開かれた。毎週、異なる専門家が講義を担当し、核兵器、気候災害、生物兵器、誤情報、AIなどといった人類存続の危機に関連するトピックを扱う。講座用の資料は、分野、論調、視点などにおいて多岐にわたる。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2023年に発表した報告書、スタンリー・キューブリックの映画『博士の異常な愛情』、ピクサーの『ウォーリー』、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『所有せざる人々』、バイオディフェンス超党派委員会(Bipartisan Commission on Biodefense)とマックス・ブルークスが出版した『Germ Warfare: A Very Graphic History(絵で見る細菌戦争)』、哲学者トビー・オードの著作『The Precipice: Existential Risk and the Future of Humanity(危機:存亡リスクと人類の未来)』からの数章などだ。

天体物理学者のダニエル・ホルツとコンピューターサイエンティスト兼社会学者のジェームズ・エヴァンズがこの講座を共同開催した。エヴァンズはコンセプトアートのプレゼンをしようとしているかのように、ホルツはいまからハイキングに行くかのように見える。どちらもジーンズ姿だ。ホルツは若々しく、明るいがどこか陰鬱な部分があり、やさしく、穏やか。エヴァンズははつらつとしていて楽しく、こちらが引け目を感じるほどさまざまな分野の本をたくさん読んでいる。

エヴァンズとホルツは「人類は破滅に向かっているのか?」を21年春にもオンライン開催したことがある。「パンデミックは厄介な問題でしたが、わたしの気分は当時のほうが明るかったものです」と、とても大きな波の写真が入った額縁で飾られたオフィスでホルツがわたしに言った。ブラックホールや中性子星、あるいは重力波に関して画期的な研究を行なったのち、この講座を開くことを思いついた。「当時のわたしは、いわば産後うつのような状態でした」とホルツは言う。「もっと身近な何かを扱いたかったのです」。ホルツは天体物理学の研究チームを率いているのに加え、シカゴ大学にXLabこと「Existential Risk Laboratory(存亡危機実験室)」も開設した。同施設の説明によると、「人類文明の長期的存続を脅かすリスクの解析および緩和」のために活動しているそうだ。学生時代、ホルツは詩にも興味があった。

エヴァンズの研究は知識、特に科学的知識の構築に焦点を当てている。シカゴ大学で「ナレッジ・ラボ」を開設し、同ラボの所長としてコンピューターサイエンスなどを駆使しながら、伝統的なやり方では対応できない問題に取り組んでいる。最近、エヴァンズはほかの執筆者と共同で『Nature』に論文を発表し、数千万の論文や特許を分析した結果として、最も影響力があり頻繁に引用されている研究は、当該分野の専門外の研究者が行なった研究であると発表した。物理学者が生物学的な研究を行なう、などといったケースだ。エヴァンズは「複雑系」についても研究し、何がそれらを崩壊させるかに特に注目している。基本的にワクワクすることが好きで、驚きに対してオープンだ。

「ダニエルとわたしは、同講座が遊び心をもち、不確実性、無知、考え違いをある程度許容できるものであることを望みました」とエヴァンズは説明した。そして、未来を予想するのは難しいとも付け加えた。なぜなら、「今日は昨日と同じように感じられ、何も違いがないように思えても、そこには脈絡もなく非直線的にネガティブな何かが起こる可能性が実際に存在する」からだ。講座の様子を見ているうちに、「非直線的(ノンリニア)」がとても身近な言葉に思えてきた。ある場所での、もしくはある数値でのちょっとした変化が、とてつもない変動を、あるいは大惨事を引き起こすという考え方だ。

授業の最初の日にホルツは、さまざまなバージョンで伝えられているが学者のあいだではとても有名な物語を学生たちに話して聞かせた。第二次世界大戦からおよそ5年後、ロサンゼルスを訪れていた物理学者のエンリコ・フェルミが数人の仲間とともに、昼食に向かっていた。彼らは水素爆弾を開発しようとしていた。日本に落とされた原子爆弾よりも100倍も強力な兵器だ。学者のひとりが『The New Yorker』誌に掲載されていた挿絵を披露した。絵のなかでは、エイリアンが宇宙船から衛生局と書かれたゴミ箱からゴミを捨てている。会話は別の話題になった。そのとき、ふいにフェルミが尋ねた。「でも、みんなはどこにいるんだ?」。仲間たちは笑った。どういうわけか、彼らにはフェルミがエイリアンの話をしていると理解できたのだ。地球人に挨拶できる程度にまで進化した宇宙人は確かに存在しているはずなのに、人類はいまだにそのような挨拶を受け取ったことがない。なぜだろうか?

この「みんなはどこにいる?」問題はのちに「フェルミのパラドックス」と呼ばれるようになった。このパラドックスに対する最も説得力のある応じ方は、「ある文明は、自らを破滅に追い込むことなく、地球に接触できるほど技術的に進歩することが可能だろうか?」と問い返すことだ。フェルミと仲間たちにとっては、想像力を飛躍させることなしに、核による絶滅を予想することができた。

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ロスアラモスでマンハッタン計画に携わった人々の平均年齢は25歳だった。いま、シカゴで授業を受けている学生とさほど変わらない。若者のエネルギーと信念は、良くも悪くも超がつくほど強力だ。しかし、若者たちは、人類文明という傾きかけたタワーの最上階にいる。階段が崩れ始めたとき、このタワーから逃れるのが最後になるのが、つまり失うものがいちばん多いのがこの世代なのだ。

「絶望していないが楽観的でもない」

学期の半ば、天気のよい2月の午後、天文学部と天文物理学部がある建物の4階にある会議室で、わたしは数人の学生たちと話す機会を設けた。その部屋からはヘンリー・ムーアの彫刻作品(観察する角度によって、頭蓋骨のようにも、兵士のヘルメットあるいはキノコ雲のようにも見える)とガラスドームの大学図書館が見える。この図書館では、15mの地下からロボットが本を持ってきてくれる。

数学を専攻する4年生のルーシーが無表情のまま、この講座を履修したのはそれが数学ではなかったからだと言った。「それに、わたしには災害に対して備える心みたいなものが芽生え始めているんです」とも。同じく4年生のオリヴィアは、「どうすれば、わたしたちは同意のうえで不同意になれるか?」という疑問を中心にして履修科目を決めているそうだ。以前は爆弾の歴史を扱う授業を受けたこともある。また、家庭環境も自分の関心に影響していると言う。「家族にホロコーストを生き残った人がいると、『人類は破滅に向かっているのか?』という問いが本当に身近に感じられます」

物理学を専攻しているオードリーとエイダンは、核の脅威に関心がある。社会学を勉強するアイザイアは、個人的にも、社会的な意味でも、問題を長期的に考えるよう努力している。社会学大学院生のミッコは核に関連する仕事に就いている親戚がふたりいるため、核問題に関心が強い。また、同講座が持続可能性をどう扱うかという点にも興味があった(のちになって明かしてくれたが、ミッコが個人的に研究していたのはまったく異なる分野、いわば「逆フードポルノ」で、人々がまずそうな食品の写真を投稿するオンラインコミュニティを調査対象としていた)。

学生たちは饒舌で、自信満々で、陽気で、とても楽観的で、そして賢かった。例えばアイザイアは、「破滅」は古い時代の血なまぐさい言葉で、偶然と確率に強く結びついた新しい用語「リスク」とはまったく違うと指摘した。表現こそさまざまだったが、学生たちは一様に、この授業はある種の社会療法だと言った。皆、自分のことを「とても悲観的」あるいは「絶望していないが楽観的でもない」と表現するが、グループとしては本質的に「現実主義・説得可能・専門家」であり、時と場合に応じて役割を変えるように見えた。

しかしトレンチコートを愛用し爪を黒く塗っている長髪のミッコは、クラスの意見にいつも異を唱える反対論者とみなされていたようだ。ミッコは「人類は破滅に向かっているのか?」という問いは、気候変動の進歩的未来を見えにくくしているため、非生産的だと主張した。また、AIから最も大きな影響を受ける人々ではなく、AIメーカーがAIに関する議論を主導している点を問題視しているそうだ。ぼくは生まれつき、嫌いなものが多いんです」とミッコは言い、ときどき学生仲間たちから、全員が乗れるはずの救命いかだを全速力で動かそうとしているかのような目で見られることがあると認めた。

正直なところ、わたしは必要以上に学生たちに魅了された。若者たちはわたしよりも明るく、その思考は驚きで満ちていた。小さなグループだったので、学生全員がそうだと一般化することはできないが、大衆文化で描かれるような典型的な「若者」とはまったく違っていた。環境やほかのリスクが「家族をもつ」という決断に何らかのかたちで影響するか、と問いかけたところ、まるで哀れな破滅論者を見るような眼差しでわたしを見つめ、「いや、まったく」と答えた。

0時90秒前

ホルツは、毎年「世界終末時計」を発表している『原子力科学者会報』誌で、科学および安全委員会の会長を務めている。同誌は、シカゴ在住でマンハッタン計画に関与した過去のある学者たちが、人々の意識を高めるために1945年に創刊した。学者たちは「核兵器の恐ろしい効果とそれらを使用することで生じる結果」について書いた(当時はシカゴ大学のフットボール場があり、いまは図書館となっている土地の地下において、フェルミ主導のもとで世界最初の持続的核連鎖反応の実験が行なわれた)。

同誌創刊号の表紙には午前0時7分前の時計が描かれていた。ホルツの説明によると、見た目がよかったからその時間が選ばれたそうだ。しかし、この絵が呼び起こす印象は強烈だった。時を刻む時計のイメージが昔から物語に比喩として登場するのは、偶然ではない。「この時計の針が0時から最も遠くを指したのは、0時17分前、冷戦が終わったときでした」とホルツは言う。この時計には絵ではない実物がある。厚紙のようなものでできていて、文字盤の4分の1しか見えないのだが、公共政策学部と同誌編集部が入っているキャンパスの1階の隅に保管されている。現在、その時計は去年と同じ0時90秒前を示している。これほどまで0時に近づいたことはこれまで一度もなかった。

ホルツの日常には、生物兵器の脅威、核のリスク、気候変動、そのほかの新興テクノロジーがもつ危険性について、まったく考え方の違う専門家の懸念や評価を詳しく知る活動が欠かせない。そんな活動をしていると、きっと、真っ黒な雲に笑ってしまうほどしつこく追い回されているような気になることだろう。「恐ろしいことに、たったひとりの人物が30分で文明を破壊できるのです。それが現状です」。エレベーターを待っていたとき、ホルツが言った。米大統領が核兵器を使う決断を下したら、誰にもそれを拒否する権利がない、と。

しかし、ホルツに天文物理学に関係する質問をすると、明るさが戻ってくる。「ブラックホールは希望と光の標識です」。このたとえが気に入っているようだ(彼の論文には、「ブラックホールがスカッとする方法:重力放射反動再考」や「叫びとつぶやき:個々の重力波源と確率論的背景を組み合わせてブラックホール連星の歴史を測る」などのタイトルがある)。「われわれの小ささに肯定的な価値を付与するという意味で、宇宙論は慰めとなるのです」とホルツは言う。

宇宙は巨大などという言葉では表現できないほど大きく、人類はあまりにも小さく、特別でも何でもない。そして、わたしたちが出合うことすらできない文明が山ほどある。広大で無関心な宇宙を見ていると、ホルツは逆に、人類に最善のチャンスを与えるために働くことが刺激的に思えてくる。「これは虚無の反対です」と彼は言う。「わたしたちは特別ではないので、違いを生み出すことはわたしたちの責任なのです」

学生たちにも感情的な変動がある。国際関係と政策を研究する大学院生のロートンは、「ここでは自分がおそらくいちばん楽観的」と言った。彼は政府で働くことを希望していて、わたしに対して、生き残りたいという人類の望みをあてにしていると語った。この願いがある限り、人類は大惨事を逃れることができるだろう、と。彼はまた、シカゴ大学のほかの学生と自分はまったく違うと感じると話した。その理由として、彼がかつてフロリダ州のレイクランドで小さな大学に通いながら、3つのアルバイトをかけもちしていたことを挙げた。そのうちのひとつがビデオ編集で、その仕事ではおそらくいますぐにでもAIに負けるだろうと、軽い口調で指摘した。

子どものころ、ロートンは学校が大好きだった。家にいるのはあまり好きではなかった。だが誰かに意見を求められるのをわずらわしく思い、自分の話をするのが嫌いなので、そうしたことはできるだけ避けているそうだ。年齢を尋ねると、00年の辰年生まれだと答えた。わたしも辰年だと伝えた。つまり、わたしは彼の倍も年をとっているということだ。わたしは自分が彼よりもふたまわりも年上だとは感じなかったが、電子レンジが技術発展の終着点だと思って育ったのも事実だ。

わたしは、学生たちがどんな出来事をきっかけにして終末について考えるようになったのかを知りたいと思った。ミッコは子どものころ、ディスカバリーチャンネルで放送されていたリアリティ番組の予告を見たそうだ。出演者たちが偽の終末後の世界で生き残りをかけて戦う番組だった。アイザイアはハリケーンの「サンディ」に襲われて停電した日のことを思い出した。「ロウソクをともしてモノポリーをして遊んだのを覚えています。初めのうちは、テクノロジーのない雰囲気が新鮮だったんですが、とても陰鬱でもあって、そのときに気候変動は誰の生活にも影響すると実感しました」。彼は中学生のころに大惨事に対する備えにとても強く興味をもつようになり、Redditの関連スレッドを読みあさった。「たいした備えはできませんでした」と言って、アイザイアは笑った。「お小遣いがありませんでしたから」

ディストピア小説という青写真

講座6週目の冒頭、ホルツが地元の映画館で上映予定の映画のタイトルを読み上げた。『ゴジラ』、『ウォー・ゲーム』、『ドント・ルック・アップ』、『コンテイジョン』の4本だ。その週のゲスト講師は、ウォータールー大学哲学教授のジャクリーン・フェケ。彼女は「ユートピア」という単語の語源を説明した。この単語を初めて使ったのは哲学者で政治家でもあったトマス・モアで、彼は反逆罪で処刑された。

この単語は、モアの1516年の著作のタイトルにもなっている。空想上の牧歌的な場所を描いた作品で、現代の基準から見れば、ジャンル的には「スペキュレイティヴ・フィクション」に含まれるだろう。モアの造語は「どこにもない」(ギリシャ語の否定詞「ou」)と「場所」(ギリシャ語の「topos」)を合成したものだ。その週の参考文献には、E・M・フォースターの『機械が止まる』やプラトンの『国家』からの抜粋が含まれていたが、ウィリアム・J・ペリーとトム・Z・コリーナの『The Button: The New Nuclear Arms Race and Presidential Power from Truman to Trump(ボタン:トルーマンからトランプにいたる、新たな核競争と大統領の権力)』や、デヴィッド・ウォレス・ウェルズの『地球に住めなくなる日』などを読む必要のあった別の週に比べれば、それほど大変ではなかった。

ユートピアとディストピア──どちらを思い描けば、いまよりも優れた場所にたどり着ける、あるいは少なくとも、世界をこれ以上ひどい場所にせずに済むことができるだろうか? 議論の最中、会社で働いた経験もある社会学大学院生のミアが「レッドチーム」という概念を話題に載せた。テクノロジー業界や国家安全保障で広く知られる手法のことで、自分たちのどこに弱点があるのかを、外部の者に指摘してもらうことを指す。例えば、自分たちがつくったセキュリティ・システムにハッキングしてもらう、などだ。この意味では、レッドチームがやることはディストピア的な言説に通じる部分がある。何がどう失敗につながるかを、すべてさらけ出すことになる。

しかし、誰かにシステムへの侵入を許すということは、そのシステムに不法に入り込む道筋を示すことにもなる、と別の学生が指摘した。人類がどう絶滅するか、あるいは世界をどう破壊してしまうのかについて考えることは、人類の根絶計画を不必要なまでに立てやすくするのではないか?

「確かに、『トーメント・ネクサスをつくるな』のような話だ」と、誰かが言って笑った。トーメント・ネクサスとは人類のために決してつくってはならないもののことを指し、このミームは誰かが人々を警告するために想像した何かが、現実世界でも必ずまもなく誕生することを示唆している。たとえばフランク・ハーバートが65年に発表した小説『デューン』で披露した、自らターゲットを探す小型の暗殺ドローンなどだ。

「ディストピア小説が青写真になってしまう……」

「いい刺激になるかも……」

「最終的にはターミネーターとスカイネットが誕生するさ」と、誰かがアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画をもち出した。みんな許可なく話し始めたため、議論は脱線していった。

「つまり、ディストピア小説は規制すべき、ということかな?」ホルツが助け船を出した。

エヴァンズがその線で話を進める。「プラトンは『国家』で、人は短調の音楽は演奏できないと書いている。痛々しいからだ、と。われわれはそんな音楽を望むだろうか?」

学生たちは誰もそれを望まなかったが、その理由が説明できなかった。

「いますぐこの授業をやめようか」。エヴァンズが提案すると、学生たちはいっせいに笑った。「でも、やっぱりやめない」

「生きているうちに核に遭遇する可能性は高い」

H・G・ウェルズは「人類の絶滅」と題したエッセイのなかで、人間文明崩壊の原因の可能性として、「中央アフリカからやってきた外来種のアリ」を挙げ、「誰もそれに抵抗できない」と書いた。ウェルズがそのように想像しがたい例を選んだのには、人間の想像力の乏しさを示唆する意図もあった。哲学者のニック・ボストロムが02年の論文のなかで「人類存続の危機」を初めて提唱したと言われることもあるが、人類の絶滅についてははるか昔から考えられてきた。

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16世紀に生きた多才な学者ジェロラモ・カルダーノの功績のひとつに、一連の出来事のすべてには異なる可能性があったという概念がある。つまり、偶然が、あるいは確率性が存在するということだ。この概念は──運命や神の意志という考え方がいまよりも深く根付いていた時代では──わたしたちがいまのような存在になったのは非常にまれなことであり、今後どう発展していくのかについても、何も決まっていないということを意味していた(噂によると、カルダーノの母親はカルダーノのきょうだいの3人を疫病で亡くしていて、カルダーノを身ごもったときも中絶しようとしたそうだ)。

この考え方をもっと現代風にアレンジしたものが、天体物理学者リチャード・ゴットの作品のなかに見つかる。彼は、わたしたち人類がまず間違いなく特別な時空間にいないという理由に基づいて、ベルリンの壁だろうが、人類そのものだろうが、あらゆる物事の寿命を予想できると主張する。いまのわたしたちが人類の長い歴史における「ごく普通の」場所にいると仮定することで、あとどれぐらい存在できるかが推定できるというのだ。

ブランドン・カーターという天体物理学者も、これまで存在してきた人の数と、今後存在するであろう人々の数を応用して、80年代前半に同じような主張を繰り広げた。このふたつや別の似たような考え方が「破滅論」の傘の下に集まってきた。破滅論は特定のリスクを評価したものではない。むしろ、冷徹な計算の結果だ。だがそれでも、氷山に直進しようとしている船の航路を少しだけ左に曲げることすらできないのか、という疑問が残る。生物学者レイチェル・カーソンが62年に書いた『沈黙の春』は、この問いに取り組んだ作品と呼べるだろう。

冬の午後に開かれた授業では、カリフォルニア州知事を2度務め、3度大統領候補指名選挙にも名乗りを上げたジェリー・ブラウンがゲスト講師として登場することになっていた。ある学生はマカロニ&チーズを食べ、別の学生はプラスチックカップに入ったアイスティーをストライプ模様のストローで飲んでいる。ホルツがブラウンと電話で話しながら教室に入ってきた。ブラウンの声が教室の端まで聞こえた。その声は、「この世代の学生たち」はダニエル・エルズバーグという人物を知っているのか、それとも前もって説明が必要なのか、と尋ねていた。ホルツは、学生たちはその名を知っているだろうと答えた。

教室のスクリーンにブラウンの顔が映し出された。頬を赤らめ、カメラに顔を近づける。「わたしにはみんなが見えないよ」。スピーカーから聞こえてきた。「何も聞こえない」。テクニカルアシスタントがノートパソコンをいじった。すると、ブラウンが話し始めた。話すことならいくらでもあった。「きみたちはまだ若い。生きているうちに核に遭遇する可能性は高い」。そしてこう付け足した。「この事実をオブラートに包みたくはない」

86歳で、習近平と話したこともあり、全世界で何兆ドルも軍事兵器に費やされている事実について誰よりも深い造詣があるにもかかわらず、ブラウンはまるで60歳ほど年下の人物であるかのようにエネルギッシュに話した。「われわれは困った状況に陥っている」。ブラウンは話した。そして長年にわたって核兵器の削減を訴え続けたエルズバーグの名を挙げた。ブラウンの話によると、昨年6月に他界したエルズバーグは、核戦争勃発の原因として最も可能性が高いのは、人為的なミスによる誤射だと考えていたそうだ。

実際に勃発寸前にいたったケースは数多く存在する。1980年6月、北アメリカ航空宇宙防衛司令部のミサイル警報器が、ソ連から発射された2,200発の核ミサイルが米国へ向かっていると示した。深夜にもかかわらずその情報は当時の大統領、ジミー・カーターの国家安全保障顧問だったズビグネフ・ブレジンスキーにもたらされた。ミサイル捜索のため戦闘機が発進し、合衆国の弾道ミサイルの発射キーが金庫から取り出された。報復攻撃を許可するか否か、ブレインスキーに残された時間はわずか数分。そのとき、電話が鳴った。警報は誤りであり、原因はコンピューターのエラーだったと伝えられ、飛来するミサイルは存在しないことが明かされた。

83年には、ソビエトの早期警戒衛星が、米国が5発の核ミサイルを発射したと報告した。だが、司令部に勤務していたスタニスラフ・ペトロフが上官に対して、誤報の可能性がとても高いと説得した。もし米国人が攻撃してくるなら、ミサイルの数がこんなに少ないはずがない、と。どちらのケースも、ほんの一握りの人間があいだに入ったおかげで、核のホロコーストが避けられたのである。

「世界というものは何千年と存続しても、やがて地獄に変貌する」。ブラウンは主張した。非直線的だ。彼はガザ地区住民、ウクライナ人、そして1930年代のドイツのユダヤ人を挙げた。アメリカ先住民にも言及した。それらは現実になった最悪の恐怖であるだけでなく、予測されなかった大惨事でもあった。最後の原子爆弾が戦時中に投下されてから75年、新たな原子爆弾が落とされなかったのはただの幸運でしかないと、ブラウンは指摘する。

授業は学生たちが質問する番になった。議会が可決した核兵器パッケージについては? 原子力を否定することなく、核軍縮について話し合う方法は存在する? 人類滅亡の危機に関しては試行錯誤が許されないという考え方についてどう思う? これまで起こったことがない事象に基づいて予測を立てることは可能だろうか? 時間が飛ぶように過ぎ、ホルツがブラウンにあと5分ほど延長してくれないかと頼んだ。「いつまでも相手をするよ」が、ブラウンの答えだった。「なにしろ、世界の終わりの話なのだから」

『原子力科学者会報』誌のCEO兼社長のレイチェル・ブロンソンがゲスト講師を務めた学期最初の授業でも、核による破滅がテーマだった。初め、学生たちの半分以上が最大の関心事として気候変動を挙げていた。その授業が終わったときには、核の脅威がより強く懸念されるようになっていた。学生たちは気候変動を、移民、不平等、紛争を増やし、核戦争のリスクを高める「触媒」とみなすようになっていた。

人類存続の危機を体系的にランク付けしたトビー・オードは、AIを最大の危険とみなし、AIが今後の100年で人間の可能性あるいは生存に終止符を打つ確率を10分の1と考えている(ただし、その数字は「知識と判断の蓄積」から導いたものであり、必ずしも正確ではないと指摘している)。核技術が人類を滅亡させる確率は1,000分の1、そしてあらゆるリスクを総合して人類が絶滅する確率は6分の1だそうだ。「人類の未来の保護は、いまのわたしたちにとっての最重要課題」とオードは書いている。彼は興味深い変遷をへて、そう考えるようになった。倫理哲学者として、オードは最も貧しく最も脆弱な人々に対する社会の責任について思いをめぐらせていた。そして、その考え方をどんどん拡大していった。「結果……未来の人々はいまのわたしたちが押しつけるリスクに対して、いまのわれわれよりも無力になっているかもしれないと気づいた」。

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「わたしはフェルミのパラドックスについて、文字どおり毎日考え続けています」。講座が終わろうとしていたころ、オリヴィアがわたしに言った。「この考えを突き詰めていくと、人類を滅ぼすのは別の惑星から来たエイリアンではなく、わたしたち自身、わたしたちの責任感の欠如だと言えます……」。しかし、それでも彼女は恐れてはいない。「わたしは、存続の脅威そのものよりも、脅威に対処する方法のほうに興味があります」

それぞれの期末課題

期末試験の週がやってきた。ある学生は、期末試験期間はキャンパスの時間が止まっているようだ、と言った。授業の合間にエヴァンズはヨガをし、ホルツはコーラを飲んでいる。どちらも、なんだか子どもたちの運動会の閉幕式を眺める親のようで、表には出さないが疲れているようだった。この授業は、参加者の誰にとってもお気に入りだった。それがいま終わろうとしている。学生たちは期末課題に取り組んだ。課題は、授業のテーマに創造的に対処すること。21年のコースでは、ある学生が幼児に人気の絵本『Goodnight Moon(おやすみ、お月さま)』を「終末バージョン」としてアレンジしたものを提出した(「おやすみ、進歩/おやすみ、イノベーション/おやすみ、紛争/おやすみ、救済」)。あるグループは、ドゥームズデイ・インターナショナル・リアルティが販売する住宅のポートフォリオを作成した。豪華な核シェルターや、月面に建てる一世帯住宅などだ。

ルーシーは3人のクラスメートと共同で、別の時代──啓蒙時代、産業革命時代、そして2054年──なら「人類は破滅に向かっているのか?」の授業がどんな構成になるかを想像して、架空のシラバスを作成した。ルーシーは主に産業革命時代のシラバスを担当した。テクノロジーと社会をテーマにした回のゲスト講師はアレクサンダー・グラハム・ベルで、その週の参考文献には、ジョン・スチュアート・ミル、さまざまなラッダイト運動家、トーマス・カーライルの著作が含まれていた。ルーシーはカーライルが「時代の徴候」のなかで、機械化によって失われるもの、教会の衰退、世論がある種の警察権力になることについて警鐘を鳴らしたと語り、どのテーマも現代でも重要だと指摘した。何もかもが地獄を目指し、それはこれまでもずっとそうだった。学期を通じて授業で何度も繰り返し、「わたしたちの生きるいまの時代は、ほかの時代に比べても際立って危機に瀕しているのか」という疑問が浮かび上がった。ほとんどの専門家は、そのとおりだと答えるだろう。

ロートンはふたりの友人とともに終末の日をテーマにしたビデオゲームを作成した。そのゲームでは、プレイヤーは一連の決断を強いられ、それによって世界は核による崩壊へ近づく、あるいはそこから遠ざかることになる。「3人のアドバイザーがいます。科学者、軍参謀、そしてあなたの再選のことだけを考える片めがねをかけた選挙キャンペーン顧問です」。ロートンが説明した。決断には必ず長所と短所があり、下すたびにプレイヤーは、核戦争、気候変動、AI、生物兵器などといった危機がどの程度前進あるいは後退したかをフィードバックとして受け取る。決断の結果として核による絶滅が起これば、画面に「最後の人類は地下室や洞窟のなかでうずくまる。自分たちの絶滅を目の当たりにしながら」と映し出される。

ミッコもまた、期末課題にゲームの要素を採り入れた。以前、ホルツが学生たちに、人類存続の危機に世間の関心を集めるという点で、世界終末時計がどれほど効果的かを考えるよう促したことがあった。そこでミッコとパートナーは、気候変動が存続の危機を高めているという考えをよりはっきりと伝えるグラフィックを考案したいと願った。「すでに膝の高さまで浸水しています。求められるのは緩和と適応です」と、ミッコは言う。彼の考えでは、世界終末時計は効果的ではあるが、少し虚無的でもある。この時計では針が前にも後ろにも進むのではあるが、人は直感的に時間を止まることなく前に進むものと考えるので、世界終末時計は核によるハルマゲドンが既定事実であるかのような印象を与える。

「ヘビとはしご」と名付けられたグラフィカルなゲームには、様式化されたはしごが登場する。「はしごは段を追加したり、減らしたりできます」と言って、ミッコはそれによりアクション要素が強まると説明した。彼は、気候に関しては、諦めるのは逆効果であるだけでなく、「ある種の臆病さ」の表れでもあると感じている。以前の世界を取り戻すことは決してできないが、そんなのは「エデンの園から追い出される前の堕落を知らない人間の理想に過ぎない」と言う。その言葉を聞くと、クラス一の否定論者とみなされているミッコが、楽観主義者に思えてくる。

わたしは、「パンデミックや生物学的な脅威」を扱った週のシラバスに載っていた、クリス・マルケルが1962年に制作した短編映画『ラ・ジュテ』をもう一度観ることにした。『ラ・ジュテ』で、主人公は過去へのタイムトラベルを行なう実験に参加する。映画内ではほとんど触れられていないのだが、主人公は戦争で荒廃した世界に生きていた。実験では、彼は未来へも旅するよう求められた。現在を悲惨な世界大戦から救うための技術を持ち帰ってくるためだ。主人公は過去への旅を好んだ。実験前に一度見かけたことがあった美しい女性に過去への旅で出会い──19世紀のフランス映画のように──親密になっていたからだ。

数年前にその映画を観たとき、わたしはわけがわからず退屈した。だが、アイザイアの「メインストーリーでどんな大惨事が起こったのか、あるいは未来がどんな世界なのかを扱っていないから、とても説得力があった」という言葉を聞いて、興味をくすぐられた。主人公が過去に囚われているあいだも、未来は彼なしで進んでいく。アイザイアは自分の存在が意識されるかされないかの「境目」にあったパンデミック期を思い出した。彼は当時、この映画の主人公のように、未来へ進めと言われなければ前に進めないような感覚に陥っていたそうだ。

学生たちは未来のことを考えても、わたしほど、あるいはほかのほとんどの人ほど、臆したり悲観的になったりしない。学生たちの知らないことを知っている、あるいは学生たちが感じていないことを感じているから、わたしたちは冷静でいられないのだろうか? それとも、学生たちが感じていること、知っていることを、わたしたちが理解していないからそうなのだろうか?

ミッコが最後の週に経験した感情の変化について話してくれた。ぼくは、個人的なレベルと社会的なレベルの両方で、破滅という運命について考えていました」と、ミッコは言う。破滅する運命にあるということは、そこに自律性がないということだ、と彼は理解した。「人はネガティブな最後に向かっている。レールの上を走っている」。社会的な意味では、人類は運命づけられているとは思わないそうだ。だが個人レベルでは、人のほとんどはおそらく運命が決まっている。「それが気に入らない」

しかし、この講座を通じて、彼はずっと、自分たちの生きる世界がまもなく終わりを迎えると信じて生きた人々について考えるようになった。「最後の議論で、ぼくは大聖堂建設問題について書きました」。そのように不確かな人生を生きる人々が、なぜ一生終わらないかもしれない大聖堂の建設に携わることができたのだろうか? 「この問いに対してぼくは、黙示録を信じていて、終末が運命づけられていると確信していた人たちが大聖堂を建てたと主張しました」。彼は少し脇道へそれた。「驚くべきことに、創造の神話と同じぐらいたくさんの終末の神話が語られてきました」。そしてまた、大聖堂に、いや自分に話を戻した。「世界がそのうち終わると確信するのは……変な気分です」。そしてこう締めくくった。「でも、それが起こる正確な時間や日にちはわかりません。だからこそ、自分を何かに捧げたほうがいいと思うのです」

(Originally published on The New Yorker, translated by Kei Hasegawa/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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