「偽・誤情報」削除等を促進する総務省案 ファクトチェック団体や研究者ら懸念表明
総務省が先月公表した偽・誤情報対策に関するとりまとめ案について、ファクトチェック団体が相次いで懸念を表明した。
調査報道やファクトチェックに取り組んできた独立系メディア「インファクト」(立岩陽一郎編集長)は8月11日、「官製ファクトチェック」を出現させるおそれがあるとの声明を発表。
ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ、瀬川至朗理事長)もとりまとめ案の懸念点をまとめ、「政府主導のファクトチェック組織や新協議体の出現を許容しかねない」との見解を公表した。研究者などからも危惧する声も上がっている。
他方、とりまとめ案を作成した有識者会議の宍戸常寿・東京大教授はフロントラインプレスの取材に対し「官製ファクトチェック」への懸念に理解を示し「あってはならない」と強調。ただ、今後、官民協議会を設置して制度の具体化を進めることになるとの見通しも示した。
同省は8月20日まで意見募集を実施したうえで、法案化を視野に検討を進める方針とみられる。
デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会とりまとめ(案)についての意見募集(e-govパブリック・コメント)
総務省の偽・誤情報対策のとりまとめ案は、昨年秋に設置された有識者会議「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」(座長:宍戸常寿・東京大教授)での議論を踏まえて作成された。
「ファクトチェック機関」などと連携し、インターネット上の「偽・誤情報」の削除等の「コンテンツモデレーション」を促進する制度や、民産学官の協議会設置などを提言している(詳しくは後述【解説】参照)。
ただ、ファクトチェック(情報の真偽検証)に取り組んでいる世界各国の主なメディアや団体が加盟するIFCN(国際ファクトチェックネットワーク)は「ファクトチェックは検閲ではない。検閲は情報を削除するが、ファクトチェックは情報を追加する」「誤りであるという理由だけで削除すべきでない」などと偽・誤情報の削除に反対するサラエボ声明を6月に公表している。
これに署名したインファクトは、総務省のとりまとめ案が「サラエボ声明の精神とは異なる」と問題視。「『偽誤情報』という言葉によって極めて不明確な対象に対応しようとするもので、健全なファクトチェックの実施に悪影響を与えるのみならず日本の言論空間そのものに禍根を残す内容を含んでいる」と危惧を表明した。
ファクトチェック推進団体のFIJも、ファクトチェックを「ジャーナリズムの重要な役割の一つ」と位置づけた上で、「政府等公的機関からの独立が必須」と指摘。とりまとめ案の「ファクトチェックを専門とする機関の独立性確保に留意」との表現が曖昧である点や「民産学官のマルチステークホルダー」による協議会設置を提言している点などに懸念を示し、政府からの独立性の明確化を求めた。
今回のとりまとめ案に先立って公表された素案に対しては、インターネット企業が中心となった「新経済連盟」や「ソーシャルメディア利用環境整備機構」からも、「極めて慎重な議論が必要」「副作用への懸念・考慮を欠いている」などと懸念を表明する意見書が提出されていた(6月19日公表資料)。
研究者からも懸念の声が相次ぐ
危惧する声はファクトチェック団体関係者以外の識者からも出ている。
8月12日、インファクトが主催した緊急シンポジウムで、海外の偽・誤情報問題の研究に詳しい一田和樹氏(新領域安全保障研究所)は「偽・誤情報に関する研究の多くが方法論的に問題があり、過剰に評価されている」と述べ、過度な「警戒主義」が規制容認論を招くリスクを指摘した。
ドイツの憲法やメディア事情に詳しい鈴木秀美・慶応大メディアコミュニケーション研究所教授は「ドイツでは国が情報の中身には決して関わってはならないとされ、ファクトチェックを政府から遠ざけるための仕組みが議論されている」と紹介し、こうした議論の必要性を訴えた。
志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法学)も「(検討会に加わっている憲法学者が)国が情報の中身に関わるべきでないとわかっていても、制度がいったん作られると本来の目的を外れて独り歩きする危険性がある」と指摘した。
山田健太・専修大教授(言論法)は近年、表現の自由への配慮を装いながら規制を強化する法律が増えてきていると指摘し、「政府の下での自主規制は自己矛盾の(制度)設計」と批判した。
(関連記事)
・官製ファクトチェック懸念 識者ら、国の対策案巡り議論(琉球新報、2024/8/14)
・ネットの健全性 行政が「偽情報」選別も 表現規制 悪用の可能性(山田健太教授の<メディア時評>、琉球新報、2024/6/14)
有識者会議メンバーも懸念に理解
シンポジウムには、とりまとめ案の作成に関わった「検討会」メンバーも参加した。
奥村信幸・武蔵大教授は、海外で政治家がファクトチェック活動を巧妙に利用する危険性が議論されていると説明し、そうした時に「拠り所になるのはジャーナリズムの原則。(とりまとめ案が提言しているマルチステークホルダーの)協議会はおそらく機能しない」と言及。
奥村教授はYahoo!にも寄稿し、今年開催された世界ファクトチェック会議(Global Fact11)での議論を紹介しながら「現在の日本で議論されている偽・誤情報対策の議論は、少し前提の理解に『ずれ』がある」「政府の影響を受けた『ファクトチェッカーのように振る舞うが、実はそうではない組織やインフルエンサー』が、『ファクトチェックという体裁』をとって情報発信するような事態が、最大の民主主義の危機ではないか」と指摘した。
また、総務省での議論に早くから注目し、「検討会」でも参考人としてヒアリングを受けた藤代裕之・法政大教授も「サラエボ宣言とずれた、国際的なファクトチェックの潮流と違う動きをしようとしている」との見解をラジオ番組(8月17日)で示した。
・「ファクトチェックの原点」を問い直す動き:グローバルファクト11報告 その②(Yahoo!ニュースエキスパート(奥村信幸) 2024/8/16)
一方、「検討会」ワーキンググループで制度化の議論に参加してきた曽我部真裕・京都大教授(憲法学)は「(とりまとめ案には)政府が真偽を判定するということは一切書いていない」として理解を求めた。曽我部教授は今年4月、「国家による情報空間への介入」は憲法上の責務だとする見解を公表し、波紋を呼んでいた(スローニュース4月14日配信)。
「検討会」座長を務める宍戸教授はシンポジウムに参加していなかったものの、フロントラインプレスのインタビュー取材に応じ「国家がスポンサーとなって、ファクトチェックの名の下で科学的な知見なども含めて言論を封殺するなどはあってはならない」「官製ファクトチェックが現実のものにならないようにするという点で、学識経験者ら検討会の構成員の意見は一致している」と懸念の払拭に努めた(スローニュース8月15日配信)。
だが、後述する【解説】のとおり、総務省のとりまとめ案には、行政機関による真偽判定を踏まえて情報流通を抑制することを想定した記述が盛り込まれている。
ファクトチェック団体とメンバー重複 利益相反の指摘も
とりまとめ案には「ファクトチェック機関」の役割なども記載されているが、その作成に関わった「検討会」で中心的な役割を担った有識者委員は、一般社団法人セーファーインターネット協会(SIA)が運営する日本ファクトチェックセンター(JFC)運営委員なども兼任している。
このような兼任状況は「利益相反」に当たるのではないかとのフロントラインプレスの指摘に対し、宍戸教授は「そのように見えるというのは、全くおっしゃる通り」と認めた上で、偽情報対策に関して「表現の自由や社会的な必要性も分かっている人」が他にいないことを理由に挙げた。
SIAは2022年9月にJFC設置を発表した際、宍戸教授を委員長とする「監査委員会」設置も発表。JFCも「運営委員会と編集部全体のガバナンスが適正か確認する監査委員会も設けています」と説明してきた。
ところが、2年近く経った今も、監査委員会が立ち上げられていなかったことが判明(スローニュース8月16日配信)。これについて、宍戸教授は人選が難航していることを認め、「本来であれば、監査委員会はJFCの活動開始からすぐに立ち上げるか、あるいは3カ月、半年ぐらいで立ち上げなければならない」とコメントした。
※ 記事内容と利害関係についての説明
インファクト主催の緊急シンポジウムには筆者もパネリストの一人として参加した。なお、筆者は2021年までインファクト共同編集長としてファクトチェックに関わっていたが、現在は離れており、今回の緊急声明の作成には関わっていない。また、2023年までFIJ事務局長・理事を務めていたが、現在は離れており、今回のFIJの見解の作成に関わっていない。
【解説】総務省とりまとめ案 違法情報以外の投稿制限への関与も
今回のとりまとめ案には約350ページと分量は多いが、注目されるのは「偽・誤情報に対するコンテンツモデレーションの促進」が盛り込まれたことだ。
「コンテンツモデレーション」とは、一言でいえば「投稿の制限」だ。
SNSなどを運営するプラットフォーム事業者が、ユーザーの投稿に対して、削除、閲覧順位の低下、収益化停止、ラベル付与といった対処を行う。
従来、権利侵害、詐欺や違法薬物など、いわゆる「違法有害情報」はコンテンツモデレーションの対象とされてきた。
とりまとめ案は、コンテンツモデレーションの対象に「偽・誤情報」を含むことを明記し、促進するための制度化を提言している。
対象となる「偽・誤情報」の定義は「誤りが含まれる情報」で、権利侵害や違法性のないものも含め、極めて広範な範囲をカバーする。抑制の対象となるのは、著名人をかたった「なりすまし広告」などの実害を伴う違法情報に限られるわけではないことに注意が必要だ。
過去の行政の関与について検証なされず
「偽・誤情報に対するコンテンツモデレーションの実効性確保に向けた方策」(とりまとめ案326頁以下)では、「行政機関」や「ファクトチェック機関」からの申出・要請を契機としたコンテンツモデレーションに言及している。実効性を高めるため、要請に応じた事業者を免責する制度も提案されている。
「偽・誤情報」を対象とした申出・要請が想定されている以上、その主体となる行政機関やその委託・認証を受けた団体によって「情報の真偽判定」が行われることは避けられない。政府・行政主導で行われた場合、政治的、政策的な見地から不都合な真偽検証はできないだろう。
コロナ禍では事実上、政府・行政の関与のもとでの偽・誤情報取り締まりが行われてきた可能性がある。だが、とりまとめ案は、そうした過去の関与の有無については全く触れておらず、検証が行われた形跡はない(拙稿=厚労省、偽情報対策の報告書2700頁超を不開示 参照)。
制度化にあたって「透明性」を強調するなら、まず過去の行政の関与について検証する必要があるはずだ。
「違法性のない偽・誤情報」の抑制も
とりまとめ案は、「行政法規に抵触する違法な偽・誤情報」や「権利侵害性その他の違法性はないが、有害性や社会的影響の重大性が大きい偽・誤情報」を抑制の対象として挙げているが、範囲が明確でない。
例えば、医薬品等の効能等について虚偽または誇大な記事を流布する行為は、薬機法で規制され、違反者に対する中止措置命令や刑罰も規定されている。だが、とりまとめ案は「行政法規に抵触する」という表現になっており、明文で違法行為と規制されているものに限らず、法律の趣旨に何らかの理由で「抵触」していると判断されれば「違法」と評価され、対象となるおそれがある。具体的な行政法規の範囲はこれから洗い出しを行うとしているが、議論の行方は不透明だ。
もう一つの対象である「権利侵害性その他の違法性はないが、有害性や社会的影響の重大性が大きい偽・誤情報」というのも、極めて曖昧だ。「有害性」や「社会的影響の重大性」に関する基準も指標も具体的に検討された形跡はない。
「情報の可視性に直接の影響がないコンテンツモデレーション」という項目には、「ファクトチェック機関」「行政機関」から申出・要請を容認する記述が入っている(330〜331頁)。 「収益化の停止」が例として挙げられているが、要するに「削除」の要請さえしなければ、行政の関与を認めてよいという考え方を採用したとみられる。
だが、要請を受けて、具体的にどういう種類のコンテンツモデレーションを行うかは最終的に事業者側の判断となる。SNSサービスごとにコンテンツモデレーションの種類も方針も異なる。
いずれにせよ、このとりまとめ案は、「違法性のない偽・誤情報」に対しても行政機関や関係する団体が真偽判定を行い、事業者に干渉する余地を認めている。
申出・要請の主体として「ファクトチェック機関」も想定されているが、ファクトチェック結果を投稿に追加する「ラベルの付与」に限定しているわけではない。
ファクトチェック結果に基づく投稿削除や閲覧数制限を容認する枠組みになれば、「ファクトチェックは検閲ではない」としたIFCNのサラエボ宣言(前出)に抵触するであろう。
このサラエボ宣言には、IFCNに加盟している日本の3団体(インファクト、JFC、リトマス)が署名している。
(関連記事)
・政府が水面下で偽情報対策か 「現代版検閲ありうる」「明示なき言論介入は不適切」憲法学者が懸念(2024/5/3)