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記事に出てくる、岡村弁護士の「反省」という部分は、実務家として非常に示唆深く、考えさせられる。 一部に誤解というか曲解があるのとは異なり、岡村弁護士は、面会交流できる余地があるのであれば、積極的に取り上げて、可能な限り面会交流を実現させようとしてきた。「断絶を推進している」などという評価がどれほど誤っているかがわかる話だろう。それが子どものためになると考えたからこそ、面会交流への同席まで行ってきたのである(ちなみに言うと、面会交流への同席まで行う弁護士は極めて少数派であるし、おそらくほぼ無報酬で立ち会ってこられたのではなかろうかと推測する)。 しかし、「何年かして「もう会いたくない」という子たちが出てきました。理由を尋ねると、ある子は「先生が頑張ろうと言うから我慢してきたけど、もう頑張れない」と涙を流しました。その涙を見て、私のしてきたことは加害ではないかと。」(本文中より引用)よかれと思って粉骨砕身してきたことが、かえって子どもを傷つけていたのではないかと言うのである。 イジメやパワハラなども同様なのであるが、人間の心というのは意外に頑丈に出来ている部分もあって、ダメージを負ってもすぐには症状として表れず、しばらく、ときに年単位で時間が経過してから反応が出るということもしばしばである。 さらに、「弁護士の私が、子どもやDVで傷ついてきた依頼者を説得するのはたやすいことで、自分は説得しやすい人を説得してきたと気づかされました。」という。確かに、早期解決や手続の負担(なるべく訴訟にならないようにしたい、など)などを考えて、依頼者に妥協を求めるというのは、どのような事件にも内在するリスクである。往々にして、よかれと思ってやっているから、自分で自覚するのは中々難しい。 依頼者に寄り添うとはどういうことか?依頼者にとっての利益とは何か?これらを立ち止まって考える契機として、実務家必読の記事であると思われる。
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福岡の弁護士 水野遼
@mizuno_ryo_law
【東京すくすく】DV被害を軽視する危うい共同親権 面会交流を支援してきた弁護士・岡村晴美さんの「反省」とは sukusuku.tokyo-np.co.jp/support/88938/