謎の遺跡として知られる、熊本と広島のトンカラリン。
実はこの遺跡を調べてみたら、天橋立(あまのはしだて)に関連づいた、誰も知らない真実(想像)が湧き上がってくるのでした。
熊本のトンカラリンと広島のトンカラリン
熊本のトンカラリンは、江田船山古墳で知られる和水(なごみ)町の、清原(せいばる)古墳群に接する隧道遺跡です。
トンカラリンは全長464.6mもあるとかで、タンタン落しと呼ばれる開口部から始まって、切石で組まれた狭いトンネル、細い溝、階段などが随所に見られる謎の構造物。
以前は邪馬台国の遺跡だとか言われてましたが、最近は平安時代の頃に作られた説が有力だそうですが、奈良時代、弥生時代説もあります。
トンカラリンは単なる水路だとか朝鮮人が作ったとか、夢のない説が重視されるみたいですが。
そして広島の安芸津町三津の山中にも、トンカラリンと呼ばれる謎の石組みの地下トンネルがあるのです。
こっちは横穴と竪穴のL字構造で、長さ18mと短いもの。熊本のトンカラリンにあやかって命名されたとかで、本来の名前は不明でした。
2つのトンカラリンの共通点は、むかしのものであること、石組み隧道であること、山の中にあること、とんがりコーンみたいな名前で、それ以外は何にもわからないみたいです。
しかしこの2つのトンカラリンを結びつけると、なんか未知の情報を見つけることになりました。
トンカラリンを結びつけると見える天橋立
熊本のトンカラリンと、広島のトンカラリンを結びつけたら、何かわかるかも。
ということで、線を引いてみました。
なるほど、わからん。
しかしその延長線に、丹後国与謝郡(京都府北部)があるのでした。それでトンカラリンの「トンカ」と「タンゴ」は似てるなと思ったのがきっかけだったわけですが。
つまりトンカ、トンカ、タンゴ、と並んでるわけで。ダンゴっていうかトンカ三兄弟みたいな印象。
丹後と言えば天橋立(あまのはしだて)が、古代から知られてました。
日本神話でイザナギとイザナミが淤能碁呂島を作った「天の浮橋」が、海に落ちて天橋立になったとか、言い伝えられてたらしいです。
天橋立は南北に細長く伸びた湾口砂州で、長さは3.6km。日本三景として古代から親しまれてたそうな。縄文時代に海面上昇と共に砂州が作られ始め、弥生時代後期頃には、今と同じような形になってたそうです。
なんか熊本トンカラリンと、天橋立って、蛇のように細長い形なのも似てませんか。どちらもL字型になっていて。広島トンカラリンも「J字型」になっているし、形をあわせてる気がしました。
しかも天橋立、音読みしてみるとなんか、トンカラリンぽかったのですよ。
トンカラリン Ton-Kara-Rin
天橋立 Ten- Kyo- Ritsu
丹後 Tan-Go
こんなふうに子音で一致させている感じがしますね。
256kmと256km・・・2つのトンカラリンは2つで1つ
それに変な要素も見つけてしまったのですが。
熊本のトンカラリンと広島のトンカラリン、距離を測ると256kmだったんです。そんでもって、なんとなく天橋立のほうも測ってみました。
すると何故か256kmだったのでした。まさか256kmと256kmでまったく同じだとは。
これは明らかに、中央の広島トンカラリンを起点として、東西に距離を合わせて、成り立っていると思うんですが。
やっぱり天橋立と2つのトンカラリンは結びついていたわけで、2つのトンカラリンは同一の集団により同じ時期に作られたんじゃないですかね。
そして天橋立がトンカラリンの要素を持ってることの暗示の気がします。
他の地名も一致した件
さらに詳しく調べようと思い、丹後国時代の郡や郷や神社の名を調べてみました。
するとこの熊本のトンカラリン付近、広島のトンカラリン付近、京都(丹後)の天橋立付近の3地点は、地名も一致しているようだったのですよね。
・トンカとタンゴ
熊本と広島のトンカラリンの「トンカ」と、丹後は似てる
トンカ to-n-ka
タンゴ ta-n-go
・長力と長延
熊本のトンカラリンのある場所は大字瀬川で小字が「長力」だが、丹後へ延長した線の末端には大字「長延」があり、「長」で一致する
・日置と日置
熊本の玉名郡の日置郷に対し、丹後国の与謝郡(宮津市)にも日置郷がある
・熊本と熊野郡
・伊奈と伊根
熊本の玉名郡は元は「多万伊奈(たまいな)」だったが、丹後の与謝郡に伊根町がある。伊奈と伊根で一致
広島のトンカラリンがある場所は、安芸国の安芸津町。一方で丹後の与謝郡には、速秋津彦神を祀る弥刀神社(いやと・みと)がある
・三津と弥刀
広島のトンカラリンがある場所は、安芸津町の「三津」で、丹後の弥刀神社は「みと」と読まれている。みつ、みとで一致
天橋立は創造神イザナギ夫妻が、淤能碁呂島を作った天の浮橋だと言い伝えられてました。淤能碁呂島が国生みと神産みの舞台になっています。つまり天橋立はイザナギ夫妻の力の宿る場所だったわけです。
一方で熊本トンカラリンの場所には、一見してイザナギの要素は何にもないようですが。地名の「瀬川」がなんかイザナギ関係ぽいです。
イザナギが黄泉の国から帰還して禊ぎ祓いをした場所が「日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原/あわきはら)」というのですが。そこの川が「上つ瀬」「中つ瀬」「下つ瀬」というのですね。イザナギの禊ぎ現場は「瀬」だったわけです。
つまりトンカラリンのある瀬川は、このイザナギの「瀬」なんじゃないかと思います。
天橋立がイザナギがいた天界であることに対し、トンカラリンはイザナギが黄泉から脱出する道のりを表してるみたいな感じもしますね。
トンカラリンは試練とご利益を得る「胎内めぐり」だったかもしれん
上記に示した通り、トンカラリンのある熊本、広島、天橋立のある丹後は、色々と地名が一致してました。というわけでトンカラリンは、天橋立に関係するような感じもしました。
おそらく熊本と広島のトンカラリンの成立には、古代の丹後の人々が関係するのかもしれんです。そして2つのトンカラリンは2つで1つの関係だったようです。
そのために、天橋立から距離を測って、同じ距離になるように広島と熊本にトンカラリンが作られたんではないかと。
そういえば肥後の和水町のトンカラリンの終点には、菅原神社があるんですよね。学問の神さま菅原道真を祀ってるところですが、菅原道真は845~903年に生きた人で、怨霊として恐れられた後に神となりました。
菅原道真は生まれが京都の菅原天満宮だったとかで、現在の丹後は京都の一部なので、つながりが感じられるところ。
菅原道真のご利益には、「学業成就」」「厄除」「正直・至誠」「冤罪を晴らす」「渡唐天神「五穀豊穣」「芸能上達」などがあったとかで。最強の怨霊と恐れられつつ、ありがたい存在とされたのが菅原道真でした。
トンカラリンのトンネルは入り込めば恐ろしく、引き下がれない道だったでしょう。そのため個人的にトンカラリンは「胎内めぐり(戒壇めぐり)」説があたってると思いますです。
日本各地のお寺にある胎内めぐりは、恐ろしい暗闇を進んで精神を鍛え、ご利益を得たり極楽浄土に行けるようにする、お寺のアトラクションや修行みたいなもの。
トンカラリンは、胎内めぐりや菅原道真と、役割が被ってることに注目してください。
天橋立 イザナギが淤能碁呂島を作った場所、ご利益を得られる所
黄泉から脱出(神話) イザナギは恐ろしい黄泉から地上へ脱出した
胎内めぐり 恐ろしい暗闇を進んで神仏のご利益を得る
トンカラリン 恐ろしい暗闇を進んで神のご利益を得る(菅原神社に出る)
菅原道真 恐ろしいながらもご利益をもたらす神
当初のトンカラリンは、黄泉に入り込んで脱出したイザナギの神話や、天橋立の姿と関連付けて作られたかもしれんです。いわば試練を乗り越え、イザナギのご利益を得るための胎内めぐり。
その後にトンカラリンの出口に菅原神社を建立して、菅原道真からご利益を得られる施設に変化したものの、人々の間から本来の役割が忘れ去られたという気もします。
まぁ適当な感じで、想像するしかないところです。
ぽちされたすかりm
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