第二次大戦中にソ連の侵攻を受けたフィンランドで、500人以上の敵兵を狙撃し、「白い死に神」と恐れられたスナイパーがいた。その名はシモ・ハユハ。ロシアのウクライナ侵攻を受け、北大西洋条約機構(NATO)加盟プロセスを進めるフィンランドでにわかに国防への関心が高まる中、伝説の人物が再び注目されている。いったいどんな人物だったのか。現地を訪ねた。【ラウトヤルビ(フィンランド南東部)で篠田航一】
「元々軍人ではなく、猟師を兼ねた農民で、キツネを撃つことを得意としていました。身長約155センチと小柄でしたが、大きなライフルを使いこなし、一流の狙撃手になりました」
フィンランドの英雄シモ・ハユハ
ロシア国境からわずか4キロのフィンランド南東部ラウトヤルビ。シラカバの森の中に建つシモ・ハユハ博物館で、ガイドを務めるカリ・パルタネンさん(64)はそう話した。ウクライナ危機後、博物館には国内のみならず英国やフランスなど各国のメディアが訪れているという。
パルタネンさんの説明などによると、ハユハは1905年にラウトヤルビで生まれた。20歳前後で徴兵され、その後も農作業のかたわら射撃練習を繰り返した。他の人が休憩時に昼寝をしても、彼だけは森の中に的を作り、休みなく練習に時間を割いたという。
ハユハの名を高めたのは、ソ連が攻め込んできた「冬戦争」(39~40年)だ。気温が氷点下40度にもなる極寒の中、軍に招集されたハユハはフィンランド領コッラ地方(現ロシア領)などの森に侵攻してきたソ連兵を次々に迎え撃った。「あまりに正確な腕前で、1日に20人以上を狙撃したこともあります」とパルタネンさんは話す。
戦時中に射殺した合計人数については諸説あるが、当時の軍の記録などから542人との説が有力で、1人による射殺人数としては世界記録とみられる。ハユハ自身は100~150メートル先の敵を撃つことが多かったと戦後に語っている。
「白い死に神」と恐れられ
強さの秘密は周到な準備にもあった。一面の雪の中、ハユハは白い戦闘服に身を包み、雪と見分けがつかないよう周囲に溶け込んだ。ソ連兵にとってはどこに敵がいるのか分からないまま、白い森の中で次々に味方が射殺されることになる。いつしか彼は「白い死に神」と呼ばれるようになった。
さらに彼は狙撃の際、雪を口に含んだ。寒さの中で吐く息が蒸気となって立ち上れば、自分の居場所を敵に知らせてしまう。そこで雪を口に入れて、吐く息が目立たないようにした。また、狙撃地点を一度決めたら動かず、不用意な移動で敵に居場所を察知させなかった。つまり「完全に気配を消す」ことに全力を注いだのだ。小柄な体も有利に働いた。
ハユハは戦後、多くの勲章を授かった。だが表舞台に出ることを嫌がり、再びキツネやシカを撃ち、穀物を栽培する生活に戻った。2002年に96歳で亡くなるまで生涯独身だったという。
戦争について多く語らず
口の重かった生前のハユハにインタビューをした人物がいる。元軍人で現在は大学講師を務めるタピオ・サーレライネンさん(56)だ。軍務のかたわらハユハの家に通い続け、伝記も出版した。ハユハは戦時中の顔の負傷であごの動きが不自由だったため、会話が聞き取れないことも多く、インタビュー中に撮影したビデオを何度も見直し、執筆したという。
「なぜこれほど射撃が正確だったのか。強さの秘密を…
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