<一首のものがたり>ツイッター「いいね」続々 歌集もヒット

2023年6月27日 14時00分

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし
岡本真帆『水上バス浅草行き』

「傘」の歌がツイッターではやり、第1歌集『水上バス浅草行き』もヒット中の岡本真帆。若者を中心に、それぞれの思いをつづった読者カード(左下)が続々と届いている

「傘」の歌がツイッターではやり、第1歌集『水上バス浅草行き』もヒット中の岡本真帆。若者を中心に、それぞれの思いをつづった読者カード(左下)が続々と届いている

 題は「傘」。二〇一六年夏、短歌投稿サイト「うたらば」に出す歌を作ろうと、東京・中野坂上の自宅アパートで岡本真帆(33)がまず始めたのは、傘にまつわるキーワードを紙に書き出すことだった。思い出をたどりながら、フレーズを書き連ねていく。その時、玄関のビニール傘が目についた。傘を持たずに家を出て、雨に降られるとコンビニでビニール傘を買う。そんなことの繰り返しで、増えてしまった傘、ずぼらな自分…。
 <ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし>
 「するっとできちゃった」歌ではあるが、自分でも手応えを感じた作品は、投稿された七百五十八首中三十二首の入選作として掲載された。既発表作も受け付けていたネットプリントの「毎月歌壇」にも出し、ゲスト選者の谷川電話(36)に選ばれたが、この時は「狭い界隈(かいわい)で評価してもらっただけ」だった。
 それが、二年近くたった一八年五月に突然、バズった(ネット上で話題になった)。きっかけは、岡本が「毎月歌壇」の谷川の評とともに「傘」の歌をツイッターに上げたことだ。岡本のツイートは次々にリツイートされ、五万七千も「いいね」がついた。やがて下の句を変える改作もはやりだし、歌は岡本の手を離れて広がっていく。二〇年四月、岡本が写真とともに、自作のパロディー<ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし凍ったいくら風呂で解かすし>を投稿すると、こんどは十三万六千の「いいね」がついた。ツイッターには今も毎日のように誰かが改作を投稿している。
 高知県四万十市出身。地元と東京の二拠点で暮らす岡本の短歌との出会いは、〇九年のことだ。大学の図書館で月刊誌『ダ・ヴィンチ』を手に取り、投稿コーナー「短歌ください」の投稿歌や穂村弘の評に興味を持った。「自分でもできるのでは」と作ってみたが「誌面の歌との差にうちひしがれて、しばらく遠ざけていました」
 再び歌を作りはじめるのは五年後の一四年のことだ。広告制作会社でコピーライターなどの仕事を始めて三年目、表参道の書店で笹井宏之(一九八二~二〇〇九年)の歌集『えーえんとくちから』を手にした。木下龍也(35)の歌集『つむじ風、ここにあります』などにも刺激を受け、「今ならできる」と本格的に詠むようになった。
 ネットの投稿サイトや「短歌ください」のほか、最初は穂村が選者を務める日経歌壇、東直子が選者の東京歌壇など、新聞歌壇にも投稿した。だが、新聞歌壇は、投稿から掲載まで日数がかかる。「ツイッターならすぐ反応があるので、ネット中心にシフトしていきました」
 二〇年五月、岡本は歌集制作の準備を始めた。いくつかの出版社に打診し、その中で、社長の村井光男(46)率いるナナロク社(東京)に決めた。歌集は自費出版がほとんどだが、同社は初刷り7%、増刷10%の印税を払う、例外的な存在だった。
 出版を受ける際、村井は一つ条件を付けた。「これから一年で新作をつくること」。ツイッターで人気だったが、話題性に頼る安直な作り方では魅力的な本にはならない。「新しい短歌を生み出して、本当に強い歌集を作りましょう」。村井はそう言って、毎月、岡本に作品を作って出すよう求めた。
 岡本にとって、これが難しかった。当時、極端なスランプに陥っていたからだ。「作っても手応えが感じられない。過去の歌の方がいいのではと…」。努力しても、月に十首がやっと。二一年に歌仲間と会話アプリで「生きるための短歌部屋」を始め、リスナーから出された題を元に定期的に歌を作るようになり、ようやく不調を脱した。
 村井は送られた歌に意見を言うが、指図はしない。「テニスの壁打ちの、壁役です」。<平日の明るいうちからビール飲む夏の光を教えるように>という歌があった。村井は「上の句が魅力的。完成すれば皆に愛される一首になりますね」と、下の句を再考するよう促した。五日後、岡本は<平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ>と直してきた。こうして歌の愛唱性が一気に高まった。
 小ぶりのサイズは、漫画「ドラえもん」のてんとう虫コミックスと同じ。活字は、漢字がゴシック、かなが明朝のアンチック体。これも漫画に多い書体だ。イラストを入れ、親しみやすさを演出。タイトルを『水上バス浅草行き』とした。
 二二年三月二十一日、初版三千五百部が刊行されると、すぐに重版となり、歌集としては異例の七刷、計一万七千部を発行するヒット作となった。「こんなにのめり込んでときめいたのは久しぶりです。(略)私、言葉が好きだった!」。こんなメッセージとともに二百枚以上の読者カードが寄せられた。
 歌集出版を機に、岡本の歌はレトルトカレーのCMやサイダーのボトルなどにも使われた。自身、クリエーターエージェンシーで漫画作品のブランド戦略に携わりながら、早朝、仕事の前の時間を利用して、日々短歌の表現を模索しつづける。
 「ルービックキューブの色を合わせるように、どうしたら面白いか実験しています。なるべく自分に飽きたくない。三十一音の世界は奥深いから、いろんな歌を作りたいんです」 =敬称略 (加古陽治)

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