第10話 武者亡霊の供養願い

「銭湯なんていつぶりだろうな」


 朔夜は男湯の脱衣所で服を脱ぎつつ、何気なく呟いていた。

 大人八〇〇銭貨という料金を支払い、ロッカーに衣服を詰め込んで鍵をかける。ゴムバンドの輪を右手首に嵌めて、掛け湯をした。熱めの湯が全身の穢れを祓い流していく気がするが、自分の血は呪物が吐き出す穢れを常に孕んでいるので、本当の意味で清められるのは死んで焼かれてからだろうな、となんとなく思った。

 熱めの湯のピリピリした感触を感じながら、椅子に座って体を洗い始めた。

 体を洗って、頭を洗って、シャワーで流して湯船に向かう。六十代くらいの年配の男が二人、談笑しながら湯に浸かっていた。


(水の流れが澱むと情念が滞り、穢れが溜まる……だから古く流水は聖なるものとされ、悪霊は川という境界を嫌ったし、川に棲むカッパやなんかは時に水神として祀られた。妖怪は神が降ったものだから流水も平気だろうから、琴音は問題ないな。……地鎮やお祓いはしたんだろうが、それも随分前だろうし。確かにここは怪異の気配がする)


 湯船に浸かりながら考え事をする。

 銭湯は、大浴場に大きな浴槽が一つと、サウナと、水風呂だけのシンプルなもの。今でこそ各家庭に風呂場があるのが当たり前だが、浄嵐後の混乱期――浄化の嵐の間も無く文明を復興させた人類の社会は、各家庭に風呂場が行き渡っていなかったので銭湯なんかが重宝された。ここもそんな銭湯の名残だろう。

 ついでに言えば、冷蔵庫さえ満足になかったので、牛乳業者は銭湯に目をつけ、牛乳なんかを卸売していたらしい。銭湯といえばコーヒー牛乳というのは、その影響だ。


(それにしても湯が嫌に熱いな。ご年配方は熱いのが好きっていうが、これは流石に……熱すぎる)


「おい、誰か水を出してくれねえか」

「出しとるよ。でも、冷たくならねんだ。なんでだろうなあ」


 六十代くらいの二人組が、そんなやり取りをしていた。

 水道設備の故障――霊障は、電化製品、特に電気に影響を出しやすい。カメラレンズの副実像という現象では説明がつかないタイプの心霊写真や、霊素汚染地帯での家電の明滅現象、暴走などはその最たる例だ。


「すみません、ここの給湯設備はボイラー……蒸気じゃないんですか?」

「いや、何年か前に電気に変えたって聞いたよ」

「ありがとうございます。……お二人はひとまず湯船から上がってください。俺が少し見てきます……専門家なので」

「へえ、お兄さん電気屋? おいトクさん、出よう。ちと涼んだほうがいい」

「そうだなケンさん。さすがに茹だっちまう」


 朔夜も二人に続いて湯船から出る。トクとケンという二人が出たのち、朔夜は湯船を見た。

 まさにその時、湯が真っ赤に濁り、ぼこぼこと沸騰し始めたのだ。怪異化現象。……霊気圧の異様な高まりを感じる。

 ペテンの占い師の守護霊に感謝した。厄介な怪異を、最小限の被害で食い止められそうだ。

 朔夜は側にあった手拭いを腰に巻き付けて結び、構える。

 すると、あたりがぐにゃり、と歪んだ。

 空間構造に綻びが生じ、デジタルノイズめいたひずみが駆け巡る。電灯が明滅したのちに真っ赤に染まり、大浴場の構造物に異変――あたりは竹林に変じる。


(土地開発前の光景か? ただの怪異じゃねえな)


 スズムシやクツワムシがガチャガチャ鳴く。時間帯は現実時間と同じく、夜だ。

 竹の葉が揺れる音、生ぬるい風。

 そこへ、ガシャ、ガチャッと重たい音。そちらに体を向けると、白骨が鎧を着込み、そこに佇んでいた。

 落武者だ。浄嵐前の――戦国時代の亡霊だろうか。


「儂らの血を、踏み躙る不遜な者どもに――血の謝罪を。腹を切り、こうべを垂れ許し乞え!」

「過ぎたことを引きずりすぎだ。あんたらのしでかしたことの結果だろう。素直に受け入れて成仏しな」

「仏は儂らを、見捨てたではないか!」


 武者亡霊が大気を振るわせ、黒ずんだ赤い球体を放った。緩やかな速度で、合計五つ宙に漂いつつこちらに迫ってくる。

 朔夜はどういったものか判断に困ったが、どう考えたって攻撃である。右手に刀印を結んで、エーテルショットを叩き込んだ。

 青い白い霊力の弾丸が赤黒い球体に接触した瞬間、爆発。ボゴン、と音を立てて爆圧と爆風を撒き散らし、竹林の竹やぶを吹っ飛ばす。


(低速誘導してくる機雷か! 数が増える前に撃墜しないとまずいな)


 朔夜は残る四つの機雷を探る。視界は、舞い上がる土煙で機能しない――霊視を使うしかないな、と両目に霊力を浸透させ、霊力で形成された機雷を炙り出す。

 四つのそれは上下左右に散って、四方向からゆっくりと迫っていた。

 朔夜は後ろに下がりつつ上空の二つを爆散させ、轟音に顔を顰めながら右の一つを撃墜、エーテルショットの射程ギリギリのところにある最後の機雷を撃ち抜く。

 激しい爆発が都合五回、こんなのを繰り返していたら霊力が尽きる前に三半規管が狂う。

 朔夜は本体である武者亡霊を探るが、いなくなっていた。


(どこだ?)


 霊視圏外……霊視の範囲は、せいぜい半径五〇メートルほど。

 すると、前方やや斜め上から飛来してくるものが見えた。

 朔夜は右に転がってそれを回避する。地面に突き立ったそれは一本の矢だ。羽根の尻部分には札が一枚。それが結界術の札であることに気づき、訝った。


(閉じ込める気か? 閉じ込めて、機雷で圧殺――)


 離れろ、と本能が怒鳴った。直後、札が作動。

 結界が――斥力としての機能を全開にして発動した。

 朔夜はその勢いに吹っ飛ばされて、竹を三本へし折ってようやく止まる。地面で酸素を求めて呼吸を繰り返し、口に入った土を吐き出す。


「トチ狂った使い方しやがる!」

「平和ボケした現代の術師には思いつくまい」どこからともなく、武者亡霊の声。

「……いないとは言い切らないが、思いつくやつは変態だな。守りに使う結界を攻撃に転用なんて」

「儂の時代には当たり前の運用法だぞ。結界は防ぐものという認識がまず間違いだ」

「……弾く力がその本質だ。それを膜状に固着して壁にするのが現代の画一的な運用法だろう。あんたは弾く力に霊力を全振りして、衝撃波にして放ったんだ。固着に回す霊力も全部弾く方に回しやがったな」

「ご名答」


 言ってしまえば、結界版シールドバッシュである。現代の忌術師も決して思い付かないわけではないだろうが、逆転の発想である。思いついても、やろうとは思うまい。下手すれば自分もその斥力で吹っ飛ぶのだから。


「そうだ、儂は術師指南方であった。教えるのは好きだ」

「自分の首を取ろうとする俺に教えてどうする」

「教えられたところで実行できねば、教えられてないも同然と思わんか、若造」

「舐めやがって」


 朔夜は素早く印を結ぶ。外縛印。金剛力の付与――身体強化を行う上での基礎とも言える印である。

 両手に霊力を纏わせ、徒手格闘の構え。全身を、薄い霊力の膜で覆う。肉弾戦闘特化の構えだ。

 金剛の術。肉体強化の一段上、肉体の単子の硬化による耐久度の上昇と筋力の増加を促す術だ。


「ほう……基礎はできるらしいな」

「締め上げて、腹の内を吐かせてやる」

「骨の、腹の内を?」

「言ってろ!」


 直後、矢が降り注いだ。

 朔夜は外眼筋を強化して動体視力を底上げして矢を回避していく。不可能なものは金剛の術の拳で弾き、その場にとどまらず矢が降ってくる方向へ走る。直後、背後で激しい爆発が巻き起こった。例の結界衝撃波だ。

 と、左右の竹が槍のように伸び上がってきた。朔夜は首を突き刺そうとするそれをスライディングして回避し、足元に迫る機雷にあえて突っ込む。

 直後、爆発。竹槍をへし折りながら爆炎が舞い上がり、土砂が巻き上げられる。


「終わりではないだろう、若造」

「ったりめーだ!」


 朔夜は爆発による勢いを利用し、飛び上がっていた。肉体が四散しなかったのは、ひとえに金剛の術のおかげである。

 斜め下、そこに鎧兜のしゃれこうべがいる。そいつは弓を捨て腰の刀を抜き放つ。

 彗星の如く落下した朔夜は組み合わせた両の拳を、切り上げ軌道の刀剣に叩きつけた。

 甲高い金属音がして、刀身が折れる。


「ほう」

「歯ァ食いしばれ!」


 右拳が振り抜かれる。ご先祖にすることではないが、加減なしの殴打が頬骨をぶち抜いた。

 たたらを踏んだ武者亡者が素早く腕を振って、機雷を生成。数は一つ。


「その打撃力、金剛の術が直前で解けておるな! どう防ぐ、若造!」

「こうするさ」


 朔夜は武者亡者の腰に腕を回した。


「な――」

「自分の術を喰らってみろ、なかなか悪くないぞ」


 ぶん投げる。

 武者亡者が機雷に突っ込み、そして爆発した。

 骸骨の体が爆散し、鎧と骨が粉々に砕け散る。あっけないと言えばあっけない、だが手を尽くして手繰り寄せた勝利であった。

 朔夜は足元に転がってきた頭蓋骨を拾い上げる。


「答えろ落武者。なんのつもりで俺をここに引き摺り込んだ。あの守護霊もグルか?」

「……く、まさか現代の術師に負けるとは」

「答えないなら砕いて、この〈庭場〉を無理やり壊して帰るぞ」

「よせ待たんか! 儂はただ鎮魂して欲しかっただけだ! 経営者が移り変わってから祭祀が執り行われず、穢れが儂に溜まって気持ち悪くて仕方なかったんだ! それであの詐欺まがいの男に取り憑く霊に、使える者を寄越せと頼んだ!」

「なら初めからそう言えよ! なんで殺そうとするんだ!」

「血が疼いた」

「血なんてとっくに枯れてんだろお前は……」


 朔夜は呆れながら吐き捨てた。

 だが、原因を特定できれば同じことは繰り返されるまい。経営者が頭の硬い野郎でも、浴槽の有り様を見せれば信じざるを得まいし。


「伝えておくよ。だからあんたはこれまで通り、見守っててくれ」

「そうか……。……? 見守れ? 祓わんのか」

「悪霊なら祓う。そうじゃないなら興味ない。あんたが満足したら勝手にあの世に行けばいい。俺は何も、現世にとどまることを悪と思ってるわけじゃない」

「変わった術師もいたものだ。……だが感謝しよう、若造よ。今術を解く。……かたじけない。そして、すまなかった」

「ああ。謝ってもらえたんならそれで満足だ」


 竹林に、涼やかな風が吹いた。

 そしてハッとした瞬間、もとの大浴場で立っていた。

 濁った風呂は沸騰こそ収まっていたが、赤黒く染まったのはそのままで、血生臭い異臭を放っていた。


 朔夜はことのあらましを伝えねばと、一旦脱衣所に出て着替えるのだった――。

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