第9話 居酒屋

 ある仕事帰り。朔夜は琴音を伴って、外食を兼ねて飲まないかという提案をした。

 あたりは黄昏時。今日の依頼は封印を施したはいいが解けなくなったという金庫を開けるという仕事だった。朔夜は解術なんて細かい作業はできなかったので電流操作という細かい作業ができる琴音ならと思って彼女に仕事を任せ、無事封印を解いてもらっていた。

 その礼——というわけではないが、まあ、朔夜の行きつけである居酒屋で夕飯兼飲みをしようと思ったのだ。


「いいんですか?」

「たまには贅沢したってバチは当たらないだろう。もちろん俺の奢りだ」

「では、お言葉に甘えて」


 星暦二二九二年七月三十一日、日曜日。なんだかんだ琴音と出会って半月くらいは経つだろうか。

 これまで外食自体していないので(琴音は妖怪仲間ということで副業持ちのネアに可愛がられているので何度か出かけているが)、琴音も意外だったかもしれない。


「店は……そうだな、俺の馴染みの店でいいか?」

「はい!」


 ちなみにこの裡辺皇国では十八歳以上から飲酒喫煙が許される。狐から妖怪化し、今の肉体年齢から加齢が始まった琴音は狐時代から数えて十八歳。今年で十九になる。十分酒は飲める。まあ、妖怪なので人間の法など適用されないが。

 朔夜は現場からバス停に向かう。ちょうどバスが来ていて、それに乗った。向かうのは秋雨荘がある地区である。あの辺は飲屋街が多く、事務所もそこのビルである。というか、事務所の下はまさしくキャバクラで、一階は居酒屋である。

 琴音も目的地から、朔夜が事務所のビル——神室ビルディング一階の、神室屋に向かうことを察したらしい。


「神室屋、ですよね」

「ああ。安いし、美味い。お前レバー食えるか?」

「大好物ですよ!」


 バスの中で思わず上擦った声を出した彼女は、周りの視線を感じて「スミマセン」と謝る。


 彼女が雷獣であることは知っているが、獣としての種族は狐らしい。雷獣はその獣としての種が定着しておらず、一説には平晏へいあんのキメラたる鵺(雷獣の祖先ともされる、黒雲と共に現れる有名な妖怪だ)の子孫であるが故、さまざまな種族として雷獣に分化したのではないかと言われている。これはある妖怪学者が発表した説だが、ほぼ定説として語られている。

 まあ、狐なら確かにモツも平気か、と思った。


「神室屋は常闇之神社の神使の一柱である武神を祀っている神棚があってな。その武神が肝を好んだことから、店でも肝料理を出したら繁盛したらしい」

「へえ……」

 朔夜は少し声をひそめて、「妖怪の客も多いから、ネギやらの類は最初はついてない。俺ら人間はあと乗せするか、オーダーしなきゃ運ばれてこない。安心していい」

「それはいいですね」


 バスが、目的のバス停で停まった。朔夜は定期券——燦月市内はどこから乗ってどこへ行っても定額であるため、定期券があれば乗り放題というわけだ——で運賃箱をタッチ。琴音も、自前で買った定期券をタッチする。

 降りると、昼間よりはマシになったがまだ熱気のこもる外気が漂っていた。今夜も熱帯夜になりそうだと、朔夜は思った。

 ビルに向かって歩いていると、道路脇に占い師が露天を開いていた。

 関わり合いになるなよ、と朔夜は琴音を一目見て、視線で伝えた。彼女も顎を引く程度に頷く。


「そこのお兄さん、憑き物が見えるよ」


 若い声だった。男だろう。ローブから覗く顔は、典型的な裡辺人のそれ。特徴らしい特徴はない。

 無視してやろう。あれはモグリだ。だって、自分の背後霊に気づいていないのだから。


「無視するのかい? 早死にするよ」


 こんな商売してりゃあ長生きできねえよ、と思った。

 が、そこで背後霊の方が声をかけてきた。


「お兄さん、お兄さんのビルの近くにある銭湯に情念が溜まってる。気をつけた方がいいかも」

「忠告、感謝する」


 朔夜はそう言った。占い師にではなく、背後霊に。しかし当の占い師はそれを相手をしてもらえない合図と思ったのか、よほど図太い神経をしているようで舌打ちした。まあ、詐欺師なんてのは心臓に毛が生えるくらい太々しくなければできないだろう。

 琴音は笑いを漏らしそうになるのを必死に堪えていたが、やがて神室ビルディングが見えてきてさっきのことなどすっかり忘れたのか、一階の居酒屋を指差した。


「生レバーありますかね」

「あるさ。基準をクリアしてる店だしな」


 居酒屋——神室屋には酒瓶のパレットや段ボールが積まれ、今どき珍しい煙草の自販機が置いてある。朔夜は煙草は滅多に吸わないので用はない。

 若干窪んだ作りで、階段を数段降りて店に入ると、店主の親父が「らっしゃい。好きな席に座りな」と無愛想に告げる。

 朔夜と琴音は隣り合ってカウンター席に座った。バイトの青年が、熱いおしぼりとお冷を持ってくる。

 朔夜たちはおしぼりで手を拭きながら、


「裡辺酒、水割りと……モツ煮、生キャベツと、コロッケ」

「ええと……ビール、ジョッキで。あと生レバーと、……モツ煮お願いします」

「かしこまりました」


 青年は伝票に書き留めた内容を店主に伝える。厨房には店主とその奥方と思しき女性の二人だけ。客の総数は十数名ほどか。それだけ入れば満席である。

 知る人ぞ知る名店——いや、知る妖ぞ知る名店か。

 店主たちも化け狸の妖怪であるらしく、彼らは妖怪が落ち着いて酒を飲める店をここに用意していた。朔夜も穢者憑きという、人外のようなものだし、仲間といえば仲間だ。


「さっきの話、どう思います?」

「銭湯の話か? ……明日、見に行ってみるよ。女湯に何かあるかもだから、琴音も付き合ってくれ」

「わかりました。放っておけませんからね」


 確実にサービス業務だが、まあ、だからといってこれから起こる被害を看過できるほど彼らは腐っていない。

 と、カウンターに生キャベツが置かれた。ついで、裡辺酒の水割りとビールも。

 酒を受け取った彼らは「乾杯」と言い合って、グラスとジョッキを傾けた。

 ツンと刺すような辛味の奥に、微かな甘い香りがする。

 今までは宅飲みが多かったので、久しぶりの外飲みは美味い。朔夜はキャベツを摘んで、バリバリと音を立てながら咀嚼する。


「キャベツ、いただいても?」

「ああ。好きにどうぞ」


 琴音もキャベツを摘んで食べた。バリ、バリ、と小気味いい音が響く。

 店内は陽気な声や、職場の愚痴なんかが飛び交い、喧騒に満ちている。だが、悪い気はしなかった。決して実家が居酒屋だったわけではないが、実家のような安心感というものを感じる。

 と、モツ煮が盛られた大きめのとんすいが二つと、コロッケと生レバーが置かれた。


「いただきます」「いただきまぁす」


 朔夜はモツ肉を箸で掴んで、頬張る。ここ法泉県は裡辺の中部、やや西寄りだ。この土地の発祥であるどて焼き、モツ煮は汁気のある味噌で甘辛い味わいに仕上げたものである。郷土料理として、燦月市が発祥であると言われている。

 ハフハフと口の中を踊らせながら、コリコリしつつも柔らかいハツを咀嚼する。この土地でどて焼き・モツ煮と言えば鶏モツが普通である。

 余談だが、昔の人々はどて煮とも呼んだらしい。

 溶け出していく肉の旨みが口に染みていく。生きていてよかったと実感する——安すぎる感性かもしれないが、そう思ったんだから仕方ない。

 酒を呷る。幸福感が加速した。甘めのモツ煮を、辛味のある酒で流し込むのが最高だ。


 隣では琴音がモツ煮の大根を食べており、熱々のそれにやはりハフハフしている。そして咀嚼してから、それをジョッキで流し込んだ。

 お互いにまだ若い。食欲も、酒への強さも段違いである。

 朔夜は空になったグラスを掲げて、「ハイボールとだし巻き卵、厚揚げ焼き」とオーダーした。


「いや、やっぱお肉はレバーですよね」


 といいつつ、血の滴るような生レバーを琴音は口に入れた。一切れ、丸ごとである。大きく口を開けて頬張る顔は、まさしく幸せそうだ。ネアが頻繁に外食に連れて行きたくなる理由がわかるし、朔夜も彼女に手料理を振る舞うのは楽しかった。

 とろけるようなレバーの食感、鼻を抜ける血の香りに琴音は目を閉じて味わっている。

 飲み込んで、ふぅと息を吐いてから、やはりビール。

 彼女もビールをおかわりした。


「仕事には慣れたか?」朔夜はコロッケにソースをひと回ししつつ、聞いた。

「ええ。職場環境もいいですし、上司もいい人なので」

「社長はな……部下をよく見てるよ」

「あの……朔夜さんのことを言ってるんですけど」

「俺は上司じゃないだろ。先輩だ」


 コロッケを齧る。ジャガイモの優しい味を引き立てる塩胡椒の存在感。アクセントの挽肉が、もう一口目を誘う。

 ハイボールを一口飲んでから、朔夜は追加で「田楽と、鶏もも、タレで」とオーダー。琴音も「鶏もも、塩と、メンチカツ」と厨房に向かって言った。


 そのようにして、居酒屋での楽しいひとときは過ぎていくのだった。

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