File2 穿つ爪牙の閃き

第8話 不倶戴天

「自分の術で切ったおでこを縫った感想はどう?」

「味わい深いですよ。威力を落としていてよかった。全力で撃ってたら頭がぱっくりいってた」


 若干怒ったような、呆れたような声で星羅が言ったのを、朔夜は後ろ頭を掻きながら答える。右のこめかみには、縫合された跡が生々しく残っていた。内側を溶ける糸で、外側をホチキスのようなもので止めている。予想外に傷が深く、あのあとすぐに忌術師向けの医者に見せられるに至った。敵が、幸い死なれては困ると応急処置をしていたが……塩を贈られたようなものだ。あまりいい気分ではない。

 あれから数日がして、状況はあまり良くなっていないが……まあ、朔夜の「姫宮堂に反省させる」という方針は受け入れられていた。

 これだけ舐められたことをされて黙っていられるような神経は、星羅にもない。己が立ち上げた会社を舐められたのだ。相応の報いは受けさせると息巻いていた。


「小面と平太面……三式と二式って言ったか。あいつらは末端だったみたいですね」

「それか姫宮堂が協会に口止めしたかね。尋問結果がここまで芳しくないのは」


 星羅はコーヒーを啜った。このクソ暑い中、わざわざ淹れたてのホットコーヒーなんて飲んでいる。ミルクと砂糖たっぷりの。

 糖尿病になりますよ、といってやりたいが、やめておいた。

 まあ、拒食症で水さえ飲むのを拒否していた頃に比べれば健全か……と朔夜は思う。大学時代に人間関係のストレスで過食症になり、次第に食べたらその分吐き出すようになった。そしてお決まりのように今度は拒食症になって、一年ほど経ってようやく少しずつ食事を取れるようになっていた。それまでは点滴やサプリメントでなんとか生きながらえつつ、社長業をやっていたのだ。

 彼女が痩せすぎているくらいにスレンダーなのは、それが理由だ。その割に胸は人並みにあるのだが、不思議だ。人体の神秘だろうか。


 忌術師協会とて一枚岩ではない。企業やなんかの影響は受けるし、ましてや相手は忌術師に呪具を卸す大企業である。都合の悪い尋問結果を有耶無耶にし、身柄を釈放させるのを早めるくらいは普通にやってくるだろう。

 一事務所が太刀打ちするには、あまりにも強大すぎる相手である。


「手がかりを持ってきたわ」


 事務所の玄関が開いた。入ってきたのは毒島ネア——女郎蜘蛛とアラクネのハーフである妖怪だ。無論普段の外見は人間だが、本体は蜘蛛の胴体を持つ女体という異形である。目も、いつもは二つ目だが、本来なら八つあるのだ。腕も足と合わせて八本であり、朔夜には同時に八つの目と八つの手足を動かす感覚を想像するだけで、脳みそが熱を持ちそうになる気分である。

 彼女が手にしていたのは、一台のエレフォン。傍には琴音の姿もある。


「ほら、まずは言うことがあるでしょう」


 ネアに促されて、数歩前に歩み出た琴音が、その場で土下座した。


「本当に、申し訳ありませんでした……っ! お金と命惜しさに、皆さんを……騙して、朔夜さんに至っては、なんども死にかけさせて……本当に。……っ」


 ここ数日、彼女はイリスのもとで匿ってもらいつつ、心の整理をつけさせていた。このまま手を引いてこれまでの生活に戻るか、それとも共に戦うかという。

 ネアは今し方イリスのもとにうかがい、解析を頼んでいた琴音のエレフォンの回収ついでに、琴音自身の答えを聞きにいったのだ。


「どう、空閑君。許してあげられる?」

「許すよ。……俺たちはどう足掻いたって昨日には戻れない。変えられない過去にこだわっても仕方ない。それに、俺は怒りをぶつける相手を履き違えたりはしない。琴音、いいから立て。服が汚れる」

「ごめんなさい……ありがとうございます」


 立ち上がりつつ琴音は目元を拭った。


「琴音、私に話したことを社長たちにも説明してくれるか」

「はい……。私が姫宮堂の秘密取引を目撃して、撮影したと言うのは事実なんです。ただ、そのあと私はあっけなく捕まって、取引を持ちかけられました」


 それが、朔夜を誘き出せというものだったのだろう。


「私は金銭面で心配がいらない生活に憧れていて、ほいほいとその嘘に乗ったんです。本当は私も口封じで殺すつもりだったのだろうに……。ですが、お金に釣られて、けど本当にそんなことをしていいのか不安になって、もう一度逃げ出そうとしました。そうしたら二式と呼ばれていた男に捕まって、殴られて、蹴られて、従わされたんです。逆らえば生きたまま焼き殺すとまで言われました」

「……妖怪をなんだと思ってんだ、あいつらは」

「全くね。……琴音ちゃん、知ってることはそれだけ?」

「連中は、他に一式という翁面と、特式という般若面がいました。いずれも、多分銀隊に所属している忌術師です。朔夜さんを狙う理由は教えてもらえませんでしたが、ただ、呪物と人体の融合というものに酷く執着していました」

「ふん……俺は元々霊力への適合があったから、呪物を取り込んでも共生することができただけだ。一般人に呪物食わしてみろ、呪物側に自我乗っ取られて歩く公害になる」


 過去にもそうした症例は数えきれないほどある。わかりやすい例で言えば取り憑きだ。呪物の怨念が人を侵食し、自我を変容させたりあるいは丸ごと乗っ取る霊障である。

 ましてや呪物を体内に取り込めば、霊的な乗っ取りだけでなく物理的な融合まで果たし、分離はできなくなる。その場合の対処は、被害が拡大する前に対象となった人物——「穢者」を殺すことである。

 それは想像するだけで胸糞の悪い、最悪のケースだ。

 朔夜も、そうなっていてもおかしくなかった。というか、今も自分は半分は穢者である。だからその血には不浄が宿っており、出血した場合は速やかに止血して穢れを撒き散らすのを防がねばならない。穢れはそれを好む怨霊や怪異を惹きつけ、最悪土地そのものを汚染する。


「どうして穢者憑きが欲しいんでしょうね、姫宮堂は。普通に考えれば忌術師をスカウトする方がコスパはいいはずよ」

「社長、忌術師はマイノリティだ。自分らで作る方が手っ取り早いと考えてのことじゃないんですか? よしんば穢者憑きを量産したところで、それで何を成そうとしているのかがさっぱりですが」


 姫宮堂は、呪物の管理・流通を行う企業である。表向きな商売としては医療メーカーへの製薬販売、医療機器の売買などだが、忌術師界隈では別だ。

 彼らもまた自前の忌術師部門を持ち、それがあの銀隊なのだろうが、それ以外にも末端の兵隊はいるだろう。忌術師部門の強化のために朔夜を狙ったのだろうか——なんとも、腑に落ちない。


「その答えがここにあるんじゃないの? 琴音、操作してくれ。君のものだし——あーっと、悪いがSIMは抜かせてもらったわ。ついでに位置情報の改竄も行なっている。君には別途、社長からエレフォンを支給されるから安心して」

「え、あ……はい。大丈夫です。……動画ファイル、消されたと思っていたんですが復元できたんですね。さすがイリスさんです」

「お前、イリスと何してたんだ?」

「えっと、食事の用意やお掃除を手伝ったり、サーバーのメンテナンス中はボードゲームなんかの相手をさせられました」

「体のいい家政婦じゃないか。まあいい、嫌なら嫌って言っていいんだぞ、あの引きこもりには」

「あはは……」


 琴音は良くも悪くも素直な子だ。嘘が下手というのは、この一件でよくわかった。おまけに断りきれない性格ときている。妖怪にしては純粋で、いい子すぎる。

 彼女はエレフォンの動画を再生した。画面を、ホログラフィック投影する。


 動画は、画質が荒い。一度削除されていたものを——どうやら姫宮堂が削除してしまっていたらしい——復元したのだから仕方ない。

 音声はノイズが激しく、ほとんど機能していなかった。

 夜間の倉庫裏——一人の男が、アタッシュケースを渡していた。もう一人がそれを受け取り、茶封筒を渡す。

 封筒を渡しアタッシュケースを受け取った男が振り返り、その顔が映った。

 人を小馬鹿にしたような目つき、通った鼻梁と、常に嗜虐的に歪む口——美形だが、腹にいちもつ抱えていそうな顔。見覚えがある。

 こいつは、まさか。

 動画が終わる。——朔夜は、思わず拳を握り締め、


額狩武則ぬかがりたけのり……!」

「額狩って……」

「社長は知ってるよな。あんたにしつこく口説いてた男さ。……俺の親友を殺した元凶。俺が、クズの才能で魂を売った悪魔。そして、俺に暴力を浴びせて快楽に浸ってたクソ野郎……あいつ、まさか姫宮堂に……?」

「はい。この男の方が、姫宮堂からの使者でした。私はこのあと逃げたんですが、捕まって……」

「畜生が……どこまでも、俺たちを……!」


 朔夜は怒りでどうにかなりそうだった。

 人生を壊した張本人が、立場を変えてまた関わってきた。それこそ、今度は朔夜自身に直裁的な手段を用いようとしてまで。

 高校時代、親友をいじめていた張本人。朔夜はいじめられるのが怖くて、奴らに同調した——魂を売ってしまったのだ。その結果寄る辺を失った親友は飛び降り、その後はイジメのターゲットが朔夜にシフトした。その理由は、額狩が狙っていた星羅と朔夜が懇意にあったからだ。

 なぜあいつが俺を狙う? 恨みを買うような真似なんてしていない。それとも、星羅をモノにできなかった腹いせか? どれだけ性格が悪いんだ。


「イリスが調べたところによると」ネアが説明した。「額狩は姫宮堂のあるプロジェクトチーフを任されているらしいわね。そのプロジェクトファイルには潜り込めなかったようだけど、さっき琴音が言っていた呪物に関わるプロジェクトだそうよ」

「くそ……俺はあいつの実験用ラットかなんかか」


 朔夜は吐き捨てるように言った。

 ネアは続ける。


「今後なんらかの形で銀隊が接敵してくる可能性があるとイリスは言っていた。小面——三式は恐らくない。あんたに負けているからね。来るとしたら釈放予定の平太面の一式、それ以上の翁面や般若面だろうと想像されるわ。どうするの空閑。イリスに匿ってもらう?」

「冗談だろ。返り討ちにしてやる」

「言うと思ったわ。……社長、空閑はやる気みたいですよ。どうされるか、改めて決めてください」

「結論は変わらないわ。徹底的に戦う。うちの社員を舐め腐られて引き下がれるほど、私は冷血じゃない。空閑君、琴音ちゃん、ネアちゃん。……姫宮堂を潰すわよ」


 場末のビルのテナントで事務所を構えるような、安月給の忌術師たちが大企業を打ち倒すと宣言した。

 普通ならバカ言え、と一笑に伏すような発言であるが、そこにいた者たちは笑わなかった。


「俺はもとよりそのつもりだ。ましてや額狩が関わっているなら、俺一人でもやる」

「私は罪滅ぼしもありますが……侮辱されたことを許せません。償わせます」

「給料分は働くわよ。まあ、同僚の手伝いも仕事だし」

「ありがとう……。柏崎民間退魔師事務所の名にかけて、勝つわよ、みんな」

「「「応!」」」


 ささやかな決起集会が起きたところで、星羅は「ひとまず空閑君は琴音ちゃんと行動して。お互い狙われる立場だけど、二人でいた方が安全だから」と言った。


「まさか共同生活は続けろって言うんじゃ……」

「そのまさかよ。大丈夫、空閑君には私がいるから、琴音ちゃんを襲ったりしないわ。安心して」

「あ、はい。そこは大丈夫です。私も人間は恋愛対象ではないので」実に妖怪らしい発言である。

「ネアちゃんは折を見て二人の安全を確認しつつ、情報収集をお願いできるかしら」

「わかりました」


 一応の方針が決りつつある。


「俺たちはどうすれば?」

「あなたたちには通常業務をこなしてもらうわ。流石に、依頼をこなさないと給料を払えなくなるから。私はイリスと違って株や為替だけで会社経営できないし」

「わかりました。……社長も気をつけて」

「ええ。琴音ちゃん、暫くむさい部屋で過ごしてもらうけど、ごめんね」

「いえ、大丈夫です。平気です」


 普通なら嫌がるところだが、琴音はつくづくいい子だ。不平不満を漏らさず、首を縦に振った。


「じゃあさっそく、溜まってる依頼をこなしましょうか——」


 そう言って、星羅はラップトップを立ち上げて、朔夜たちに仕事を回すのだった。

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