第7話 侮辱

 タクシーが停まると、朔夜は金の代わりに名刺を渡した。そこに書いてある番号に請求を回すよう言って、降りようとした。朔夜はタクシーに乗っている間に携帯で、すでに社長の星羅にタクシー代を経費で落としてくれと頼んでいる。タクシー会社も、運ちゃんの名前も伝えた。


「お客さん、おせっかいかもしれんが病院行ったほうがいいんじゃないか? おでこ、血ぃ止まってないだろう」

「平気だ。それから、車は祓い屋に頼んで祓ってもらってくれ。ありがとう」


 朔夜はガンガン痛むこめかみの傷をおさえつつタクシーを出た。タクシーを見送って、朔夜はアパートに向き直る。

 時刻は昼過ぎ、三時頃。

 そこは閑静な住宅街にある廃アパートで、二階建てで全八部屋。ここに箱がある……。あたりに人通りはない。


 と、二階の二〇三号室から琴音が出てきて、目が合った。彼女は見つかった、というような顔をして、慌てて手すりから飛びおり逃げ出す。


「待て!」


 朔夜は彼女の細い手首を掴み、引き留めた。


「何するんですか」

「こっちのセリフだ! 死にかけたんだぞ! ……君は、全部知ってるんだな。俺を誘き寄せる作戦だったことを」

「……ええ」

「なんで俺なんだ」

「それは朔夜さんがよく知っているはずです」


 琴音が、バチンッ——と電撃を叩き込んできた。

 体の制御ができない、その場に頽れる——。


「私、雷獣なんです。体毛から狐と思いましたか? 違いますよ。人間を気絶させるくらい余裕です」

「くそ……ったれ」


 朔夜はその場に頭から倒れ込み、昏倒した。


×


「こいつが〈穢者憑けものつき〉か?」

「そうです。一緒にいてわかります、独特な臭いがするので」

「ふん……報酬だ、受け取れ」


 どこかの工場のような場所。能の男面、平太の面をしている男が、琴音に封筒を渡す。

 琴音はすぐさま封筒の中身を確認し、怒りの声を上げた。


「約束と違うじゃないですか!」

「銀隊への損失を出したことを考えれば妥当だ。妖怪風情が、喚くな。殺すぞ」

「この……っ」

「それにしても……ぱっと見は人間だな」


 吊るされているのは朔夜だ。両手を鎖に繋がれ、天井の鉄骨を通して繋がれている。

 その瞼がぴくりと動き、首を振って目を覚ました。

 あたりは暗く、唯一置いてある電気カンテラが光源であった。夜なのか、窓からは夜空が見える。


「なんだ……畜生。……琴音、これはどういうことだ!」

「純粋な馬鹿で安心しましたよ。騙すのが本当に楽でした」

「……それは、本心か? お前の本心で言ってるのか」

「ええそうです。金のために、あなたを企業に売ったんです」


 琴音は、絞り出すように言う。


「ならなんで、そんなに苦しそうな顔をしてるんだ!」

「苦しそうな顔なんか、——っ!」

「お寒い痴話喧嘩はそこまでにしてくれないか」


 平太面の男が、朔夜を見上げた。


「穢者憑き。お前、どうやって高濃度霊素汚染地域から生き延びた?」

「単刀直入だな」


 ドゴッ、と脇腹に平太面の拳が捩じ込まれた。


「がはっ」

「黙って答えろ」

「黙ったら答えられんだろ」

「減らず口を……いいから答えろ。次は刃物で刻んでいくぞ」

「別に、隠す気はねえよ……ゴホッ。……呪物を取り込むことで、霊素への耐性を持った動物とかっているだろ。山に捨てられた破魔矢とか野生動物が食っちまって」

「ああ。……そうか、呪具工場で働いていたなら、食える呪具はあると言うわけか。賭けに出たな」

「死ぬよりはマシと思って、勾玉を食った。後から聞いた話じゃ、穢者を封じた勾玉らしくてな。穢者憑き、なんて言われて職にあぶれた俺を、社長が起業する事務所に入れてくれたんだ」


 平太面は「なぜ柏崎家の令嬢がお前に目をかける」と聞いてきた。


「高校時代のバイト先にあの人が来てて、縁ができた。家で色々あるって愚痴を聞いてるうちに、メアドを交換した」

「付き合っていると?」

「俗っぽく言えばな。あの人のことを、他人の俺からは語れねえよ。ただ、色々、互いに支え合った」

「親なし孤児院のガキが、大したサクセスストーリーじゃないか」

「悪いが社長は柏崎家に絶縁状叩きつけてるぜ。俺が資産家の仲間入りなんて無理だ」


 言葉数を稼ぎ、会話を続ける。その隙に琴音は逃げるなりすればいいのに、なぜかそこにいて、話を聞いている。


「あの、二式さん」平太面は、二式というらしい。琴音は言葉を続ける。「朔夜さんをどうするつもりですか?」

「さあな。解体されて、素材にされるんじゃないか」


 それを聞いて、朔夜はどうにか術で鎖を切れないか抵抗した。


「よせ、霊力を絶縁している。どう足掻いてもどうにもできやしない。諦めて運命を受け入れろ」

「ふざけんな! 死ねって言われて死ねるか!」

「この小娘に助けを求めてみてはどうだ? まあ、こいつはたかだか五〇万のために、一宿一飯の恩を忘れたメス妖怪だがな。ははっ、ほら、見捨てれば追加でボーナスを出すぞ。とっとと失せろ、お前は臭くて敵わん」

「それ以上琴音を侮辱するなッ!」


 朔夜が怒鳴った。廃工場に、ビリビリと声が拡散する。


「お前を売った相手だ。代わりに罵倒してやっている。なぜ俺が怒鳴られねばならん」

「あのとき……命を助けてほしいと懇願してきた時、この子は確かに死に怯えていた。お前らが脅したんじゃないのか!」

「さあ……? 言うことを聞かせるために何発か殴った記憶は朧げながら。だが相手は妖怪だぞ。怒る必要はない」

「クソ野郎!」


 平太面——二式が、麻酔銃を取り出した。


「さようなら、空閑朔夜。ザフ象すら昏倒する麻酔薬だ。目が覚めた時、お前はいくつかのパーツにされかけているだろうな」


 銃口が、つうとこちらに向けられる。

 なんとかしないとまずい。ガシャガシャ鎖を鳴らして体を揺するが、どうにもならない。冗談じゃない、死んでたまるか。俺は——死んだりなんか、


 そこに、雷鳴音。一筋の雷光が迸り、平太面を吹っ飛ばした。

 琴音が手のひらを相手に向け、構えている。


「私たちを侮辱しやがって! 殺してやる!」

「このっ、メスガキがァ!」


 平太面が無事だった左腕を振るって、霊力弾を放った。それが琴音に直撃し、彼女は後方にノーバウンドで吹っ飛んでダンボールの山に突っ込む。


「くそっ、右腕が痺れやがる……ガキのくせして、調子こきやがって」震える声で、朔夜に言う。「……よう、穢者憑き。出遅れたが、今眠らせてやる」

「琴音にしたこと、忘れねえぞクソ野郎。祟り殺してやる」


 麻酔銃を左手で構え、——直後、轟音。

 天井がぶち抜かれ、月が顔を覗かせる。

 降り立ったのは一人の若い女。糸のように煌めく白髪、赤い目。彼女は手の指先から糸を出すと麻酔銃を奪い取り、相手が何か言う前に躊躇わずに平太面に撃った。

 数歩歩いた平太面は「くそっ、たれ」と吐き捨て、昏倒する。


毒島ぶすじま……」

「無様ね。ガキ一人に騙されてこの体たらく」


 彼女は糸で作った鋸刃のナイフで鎖を切り始めた。

 しばらくして鎖が外れ、朔夜は自由になって腕を回す。


「そのガキがあっちで寝てる。連れていく」

「依頼は終わったのよ。騙されたんだから」

「いいやまだだ。姫宮堂の闇を暴く。人様騙くらかして拉致監禁だぞ。慰謝料むしり取らなきゃ腹の虫が収まらねえ。ったく、短期間に何回も死にかけた」


 朔夜はダンボールの山の中で気絶している琴音を担いだ。

 毒島——毒島ネアは平太面を縛り上げて放置し、歩き出した。


「協会には連絡してるわ」

「助かるよ」

「外に私の車があるから、それで帰る。あんたは少し寝なさい」

「そうする。悪い」

「手のかかる同僚を持つと大変ね」

「返す言葉もございません」


 廃工場から出ると、先ほど天井から夜空が見えていたので分かっていたが、すっかり夜だった。

 しかし——厄介な事態になったものだと、朔夜は思った。

 忌術師協会の職員と会い、彼に中で眠る術師のことを話し、情報を吐かせて事務所に回すよう指示しておく。


 ネアが運転する五人乗りのSUVに乗り込むと、緊張の糸が途切れ睡魔が押し寄せてくるのだった。

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