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「ゆっくり休む」ことがしんどい理由(余暇研究の知見から)

鬱気味のときは何もしないでゆっくり休むが正解とされるようになって、よい風潮だと思っている。そうなんだけれど、いざ休むとなると、罪悪感にさいなまれ、休んでいる自分にメンタルをさらにやられる、ということもあったりする。

実は、余暇研究の知見からは、余暇時間が増加するほど、幸福度が低下するという研究結果が出されている。考えられる理由として、過重労働文化の影響があって、平日に何もしないことでかえって罪悪感が増すのではとも言われている。休むのも辛い、という状況はこれではないかと。

例として、この韓国の成人を対象とした大規模データ分析による研究。

Lee, K.J., Cho, S., Kim, E.K. et al. Do More Leisure Time and Leisure Repertoire Make Us Happier? An Investigation of the Curvilinear Relationships. J Happiness Stud 21, 1727–1747 (2020).

結果について正確に言うと、余暇時間と幸福度(および余暇満足度)は逆U字関係で、ある一定までは幸福度が上がるが、長すぎると今度は下がっていく、幸福度の「飽和」があるという分析結果。平日の余暇が6.56時間、休日の余暇が5.79時間を超えると、余暇の飽和が生じたとしている。つまり半日何もしないと、罪悪感が出てくる!?

なぜ幸福度が下がるのかは、同研究の著者は具体的に明らかにしているわけではないが、先に述べたように、仮説として韓国の過重労働文化が問題と述べている。それは、日本もとても良く似ているのではないかと思う。休めない社会。休むことに罪悪感を覚える社会。

また、こちらはデンマークの研究であるが、中年女性が余暇活動、とくに身体運動の活動に参加するにあたり、どのような心理的葛藤をもつかを分析した研究がある。

Maria Hybholt, Laila Susanne Ottesen & Lone Friis Thing (2022) Exercise in the time bind of work and family. LEISURE STUDIES 2022, 41(2): 231-246 DOI:10.1080/02614367.2021.1975801

https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/02614367.2021.1975801

そこでは、余暇時間が増えても社会的義務感から仕事や家事を優先し、余暇を優先する場合には「感情の管理」が必要と分析している。しかし、仕事や家事を優先したとしても、それで本人が満足しているかというと、そうでもない。

家庭や仕事を優先し、個人的な余暇の身体活動量を同じように維持することを犠牲にした19人の女性は、自分自身に失望を感じていた。仕事、家庭、余暇の健康義務を管理するスーパーウーマン(Hochschild & Machung, 2012)になれなかったことに失望したのだ。
…したがって、良い母親であること、成功したキャリアウーマンであること、自分の健康に責任を持つことなど、社会的な性別による感情ルールから解放された個人的な選択としての余暇時間の社会的・一般的理解についての議論は、非常に適切であり、女性の果てしない時間的プレッシャーを考慮する必要があると思われる。

Hybholt et al., 2021: 241 

こうした社会的義務感の背景には市場主義的な価値観が存在していると同論文では指摘している。また、このデンマークの研究ではジェンダーの視点が重視されているので、中年女性の「家事のコントールタワーとしての役割」の重さも強調されている。

今回の実証研究では、中年女性参加者のほとんどが、家族生活の活動や、毎日をできるだけ円滑に過ごすために必要な仕事を組織し、管理する責任を負っていることが示された。

「私は夫に頼みごとをしやすいほうです。私が走り回っている間、彼はソファで寝転んでいるなんてことはありません。それは違う。でも、私はコントロールタワーなのです。私は夫に"あれとこれを忘れないで" "これとこれを確認して" と言わなければならない。忘れないように念を押さなければならないのです。」(ギッテ)

こうした状況が、余暇時間を楽しむうえでの「感情管理」の必要性を女性に強いていると同研究では分析しているのである。あの男女平等が進んでいると言われる北欧であってもそうなんだ…と驚きつつ、しかしこの話を男性も含めて考えると、社会的義務感にがんじがらめな人ほど休むのが辛い、というのは一般論としてありそうです。

さらにそうした「社会的義務による休めなさ」は、不登校中の子どもの辛さにもつながるのではなかろうか。つまり、他の人が学校に行っているのに、自分は行けず、社会的義務を果たせていないという罪悪感。そこからの解放がまずは必要だと思うのだけれど、いまだに無理やり学校に行かせる「コンサルティング・ビジネス」が横行しているようですね(しかも板橋区と契約をしたのだとか)。X(旧ツイッター)で話題になっていた。

利用した、という親御さんの話もちらほら出てきていた。しかし、子どもが壊れた、とか、泣き叫んで暴れて大変なことになった、とかばかりで、成功しました、という話は全然見なかった(こうしたエピソードにどこまでの信憑性があるかはわかりませんが)。

ところで、不登校中の子どもがゲームをずっとしている、と話題になったりする。これは、他にすることがないからというのもあるかもしれないが、手軽に達成感があるからじゃないかなと思ったりもする。つまり、学校に行けず、他の子に比べて自分は何もしていないという罪悪感があるなかで、何か「やってる」ことが欲しい、でもメンタル的にあまり難しいことはできない。だからゲーム、となるのでは。自分も、コロナうつのときとか、そうしてゲームをしていたことがあった。

子どももおとなも、休みたいときに罪悪感無く休める、のんびり生きていける社会になれば良いのになと思う。

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『コミュニティの幸福論』おかわり

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主著に『コミュニティの幸福論』『福祉NPO・社会的企業の経済社会学』(日本NPO学会優秀賞)。最近の研究は読書、サードプレイス、贈与等についての社会学的研究。2013-14トロント大学客員教授。研究→ https://researchmap.jp/masanarisakurai
「ゆっくり休む」ことがしんどい理由(余暇研究の知見から)|桜井政成研究室(出張所)
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