自分に優しくするように。
誰かに見せるためではなく、自分のために文字を書く。一人になれる空間で、紙とペンを持って、考えないで、手が動くままに文字を書く。自分と会話をするような、自分を超えたものとおしゃべりをするような、不思議な感覚に包まれる。こんなに落ち着ける場所が、自分の中にあっただなんて。私は驚き、喜び、ありがたく感じて、俺には俺がいるから大丈夫だと思う。
神奈川在住の女性I様が熱海に来た。私の母親には経済力がなく、父親と別れることもできずに、私を育てた。私から見た母親は、人のために生きていて、自分がなくて、みんなにとって都合のいい人で、あんまり幸せそうではなかった。両親が不仲だったから、家は安心できる場所ではなく、家に帰りたくなかった。自分が家庭を作る時は、絶対にそう言う家庭にはしないぞ、安心できる家庭を作るんだ、自分が言って貰いたかった言葉をこどもたちにも言うようにしている、I様は、そのようなことを言った。
I様は「ちゃんとしなくちゃという思いが消えない」と言った。幼少期、I様は、人のために生きる母親を見て「もっと自由奔放に生きて欲しい」と思った。だが、母親は、幸せになることよりもちゃんとやることを選んだ。時は流れて、今、自分が母親に感じていたことを、自分自身がやっている。自分が幸せを感じることよりも、周囲の安心のために「ちゃんとしなくちゃ」と自らを奮い立たせ、どうにかこうにか頑張っている。だが、疲れをごまかすことができない。涙が出る。悲しみなのか、怒りなのか、ごちゃ混ぜになった感情と一緒に、涙が出る。
I様は「老後は好きなだけ絵を描いていたい。そして、行ったことのない場所に行きたい」と言った。老後ではなく、今、やった方がいいと思った。私にとっての『紙とペン』が、I様にとっての『絵を描く』ということだと思った。自分の内側に、安心できる場所を確保する。それは、時間やお金にゆとりがある人だけに許された、特権的な娯楽ではない。生きるためには必要ないけれど、生きていることを確認するために必要なことが、芸術であり、創作であり、自分の好きなことだと思う。やらなきゃいけないから、やるのではない。やらなきゃいけないことは、やらなくていい。やらなきゃいけないことではなく、やりたいことをやるのである。
自分の内側にある聖域を守る。そこには、御嶽のように何もない。何もないが、全部ある。自分の声を聞く。自分と繋がる。一日の間に、何度でも、何度でも、心がぶれた時は、自分の内側に還る。それは「大丈夫、大丈夫」と言っている。自分の外側がどれだけ騒がしくても、自分の内側は「大丈夫、大丈夫」と言っている。そのことに落ち着き、そのことに安心する。こんなに落ち着ける場所が、自分の中にあっただなんて。私は驚き、喜び、ありがたく感じて、何度でも、何度でも、俺には俺がいるから大丈夫だと思う。自分に優しくするように、人にも優しくできたらいいね。これから新潟に行く。
おおまかな予定
8月14日(水)新潟県新潟市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!



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