132.お店改造計画
ホテルでの出来事から、およそ一晩の時が経過した。
この世界にはいずれ等しく朝がやってくる。
あの後遥母の用意してくれていた大型車で家に帰った俺たちは、それぞれの家で夜を明かした。
ホテルという場でウエディングドレス姿の5人に覚悟を決めても物事はそんな急には動かない。
朝を迎えた俺は、今日も今日とていつもどおりの喫茶店業に精を出す。
誰も選ばない事を選ぶ――――
昨日、遥母に啖呵切った俺の決意。
1日経った今となっても本当に自分が言ったのかと不安になるほど考えられない結論だ。
しかし、紛れもない俺の本心。そして押し通した意思。その結論に後悔など一切ない。
きっと大変なのはこれからだろう。
両親方への説明や、世間体や、経済能力など。
しかしきっとみんながいればなんとかなる。そんな確信にも似た自信を持ちつついつものようにコーヒーを淹れていると、チリンチリンと扉の開く音がする。
「マスターさん。 おはよ」
「おはよう。奈々未ちゃん。 ……灯も一緒か。珍しいな」
「おはようございます。 丁度そこでバッタリ会ったんですよ」
朝一番に現れたのは奈々未ちゃんと灯だった。
開店してまもなく、文字通り朝イチでの来訪。
2人はそのまま手慣れたように迷いなくまっすぐこちらに向ってきて、俺と正面を向き合う形でカウンター席に腰を下ろす。
昨日の今日だ。2人とも開口一番なにか言うかと思いきや無言でメニューに目を通していつもどおりの注文を行う。
「……マスター、それ……飾ってるんですね」
「えっ? ……あぁ、うん。 大事なものだから」
チラリと視線を動かして灯が見つけたのは、調理台の片隅に置かれているプリメリア。
昨日花弁を5人に渡して彩りも何もなくなったが、俺にとって大切なものだ。
枝と葉のみの美しさのかけらもない存在。しかしそれは俺の覚悟の証でもあり、昨日の証明だ。
「あ~あっ! これで私の将来決まっちゃったんですねぇ。 都会の大学とかいっぱい声掛かってたんだけどなぁ」
「…………嫌、だった?」
それは大きな大きな独り言。
灯は全国模試のトップに位置するほど頭がいい。それなら大学各所から声が掛かって然るべきだろう。
残念ながらここは都会といえるほどの土地ではない。もし彼女がそのような大学に行くのならば、住まいすら変える必要がある。
その言い方だと、彼女はそれらを蹴ったのだろう。
俺に代わって奈々未ちゃんは首をかしげながら問いかけと、チラリと視線を交わした灯はフッと頬を緩ませて――――
「――――嫌なわけないじゃないよ、奈々未ちゃん。 むしろ面倒な大学調査をする必要がなくなったしね」
「ん、よかった。 それなら私もアイドル辞めようかな……」
「い、いや……2人ともやりたいことを諦めなくてもいいよ? 大学行っても、アイドル続けても関係が変わるわけないんだし……」
そうだよ。別に俺の決意が決まったからといって将来を棒に振る必要もない。
アイドルは今まで通り続けられるだろうし、大学は……遠距離になるだろうが続けられるだろう。
「ダメですっ! なんで他の方々がマスターとイチャイチャしてるのを遠くから指くわえて見てなきゃならないんですかっ! そんな思いするくらいなら大学なんて行かないほうがマシですっ!」
「その気持ち、よく分かる。 私も仕事でマスターさんと会えない日が続くとムラムラ……じゃなかった。モヤモヤする」
それでいいのか天才少女。
確かにこの町にも大学はあるが、そっちにも進学するのか怪しくなってきた。
あと奈々未ちゃん、本当にムラムラしてないよね?ただの言い間違いだよね?
「そして何よりマスター! マスターはこれから大変なんですからこのお店をこのままにしてていいんですか!?」
「それは……どういう…………」
段々とヒートアップしてきた灯がカウンターを乗り出して俺との距離を詰めてきて、思わずたじろんでしまう。
店をこのままとはどういう意味だろうか。
「マスターはこれから5人もお嫁さんを迎えるんですから、子供もできて、経済的にお客さんの来ないお店でやっていけると思ってるんですか?」
「いや……この店は俺の道楽的な意味が大きいし…………イザとなれば売っぱらえばいいだけだし」
確かに、将来のこととなればあまり深く考えてこなかった。
でも事故から善造さんの件もあり、自ら増やしたのもあって資金的にはかなりの余裕はある。それも一切客の来ない喫茶店を運営するくらいなら。
もしに逼迫すれば、ここを売ったら多少なりともどうにかなるだろう。
「ダメですっ! 子供って上を見ればいくらあっても足りないんですから。もし億持ってても一瞬でなくなるんですよ」
「それはさすがに言い過ぎじゃあ……」
「そんな事ありませんっ!それにお店を売るのももったいない! 私が見た感じは素材はいいですから、いくつか改善点をクリアするだけでお客さんも入るように…………」
彼女の脳内でどんどん繰り広げられていくお店の改造計画。
確かに開店当初の将来設計からは大きく外れて経済力も計算し直しだが、それでもどうにかなるはずの余裕はある。
そんな俺の余裕をよそに、灯はどんどんと改善点を見つけ出しては手元にあったペーパーに箇条書きをしていっている。
なになに…………。立地や広告、メニューの中身など、たしかにこれらをどうにかすれば客も入るだろう。
でも俺がそこまでやる気がないからなぁ…………。
「ねぇ、私がお店で歌うのは? アイドルやめても人気はそこそこあるだろうし」
「いいねっ! それも計画に入れてっと…………」
ヤメテ!
今でさえかなりの人気を誇ってるのに、アイドル辞めた後ここで歌うことを知らられた店がパンクしちゃう!
俺の呼び声も虚しく2人で進んでいくお店の改造計画。
段々と書いているペーパーが2枚、3枚と数を増やして現実味を帯びていっていることに危機感を持って慌ててカウンターを回っていく。
「灯、奈々未ちゃん」
「キャッ……!」
「ひゃっ!…………マスター?」
カウンターを回った俺は顔を寄せて話し合っている2人の肩を同時に抱きしめる。
あいにく座っているせいで抱き寄せる形になったが、俺の行動に驚いた両者は目を丸くして会話を中断させる。
「2人とも、店を思ってくれるのは嬉しいけど大丈夫だからね。 灯はまず進路をちゃんと決めないと俺が心配するよ。ほら、大学で経営を学ぶとかね?」
「そ……それを言うのはズルいですよ……」
「奈々未ちゃんも、ファンのためにもアイドルを辞める時はおじいさんたちと相談しなきゃ。 おじいさんとおばあさん、悲しむよ?」
「むぅ……たしかに……」
どうやら一旦冷静になってくれたようだ。この隙に書かれまくったペーパーを回収するのを2人は黙って見守ってくれる。
さて、無事自体も収束できたことだし俺は注文された料理の続きを――――ん?あれ?身体が動かない……2人に肩を回した状態から動かないんだけど!?
「マスター……」
「マスターさん……」
「ど、どうしたの2人とも……離して、もらえるかな?」
肩を回した手が動かない犯人など考えるまでもない。両隣にいる2人だ。
俺が必死に手を引っ込めようとしてもその手首はガッチリ掴まれていて動かすことができない
クッ……運動不足で筋力も落ちてしまったか!!
「マスター、昨日最初に伶実先輩を選んで、私達すっごく不安になったんですからね。選ばれなかったって」
「ん。もうマスターに会えないんじゃなかって。 もう一緒にいられないんじゃないかって、怖かった」
「い、いや……それは…………」
確かにあの時は勢いで行動した部分もある!ちょっとだけ雰囲気に酔っていたのも認める!!
でもすぐに訂正してみんなに渡したじゃないか!伶実ちゃんを選んだのも10秒も経ってなかったじゃないか!!
「だから……」
「マスターさん…………」
「「今日はイチャイチャ、しよう?」」
手を手繰り寄せるように近づいてくる2人に俺は何もすることができない。
そのまま床に倒れ込んだ俺は、他の人がやってくるまでずっと2人を胸の中で抱きしめ続ける事となった。