家族が怖い

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ただのボランティア仲間から友達になったYさん。


この日から、しばらく彼女が言った言葉の何かが私の心の闇に刺さったようでずっと考えました。

考えるとどんどん気分が沈んできて涙がどんどん流れてきて、悲しくて仕方がなくなる。

もう義父のことなど考えたくもないのに、どうしても何かが引っかかり涙を流しながら考えみました。


「怖くて怖くてもう家には帰れなくなった。

家族が怖いんだよ…」


この言葉なのだ。

私は、自分の心の闇が見えたような気がしました。



義父が亡くなった時、私は夫側の親戚の全員から謝られました。

「あなたを助けてあげられくてごめんね」

「ずっとおじさんには注意をしたんだよ」

「ひどいのは義父だよ、あんたじゃないよ」

と、代わる代わるお通夜の晩に謝られました。

親戚の方々はみんな優しかったのに、責任感じてくれていたんです。


でも、私が本当に謝って欲しかったのは夫だ。私は家を出た時に必要のないものになった。ずっと、私は必要にされない家族としての扱いをした夫や子供たちにも私に対する言葉が、謝らずとも何か欲しかったのだ。



私は、義父の死後、足を踏み入れた夫の家に愛着も懐かしさもなかった。

何年も一緒に住んで子どもたちも育てたのに、私にとってあの家は、怖くて執拗な嫌がらせを受けた家でしかない。

私が選んだ電気製品などない。私が選ぶ権利もなければ買い物するお金もなかった。お皿一つ私の選んだものなどない。

唯一、家事の負担を担ってくれたお小遣いを貯めて買った食洗機は、私の心と同じで義父にコードをずたずたに切られてしまっていた。私が買ったものだから…。夫はそんなことも簡単に義父を許すのに、私に一言も謝ることもない。


どこを見ても、大事にされなかった自分の思い出ばかりで、私は怖い。義父がいなくなった今も、落ち着いてここで寝られるはずもない。


夫は、義父がいなくなったから私の心が戻るとでも思うのだろうか?この家を出なくてはならなくなった私に対しての気持ちなどなにもないのだろうか?

そして、私のその悲しみや苦しみを子どもたちも軽く思っているのだろうか?

母はいつも笑っているから強いとでも思うのだろうか?傷つかないとでも思うのだろうか?


私が帰りたくない理由が、私の側にさもあるように、また私に全ての責任を押し付けて、夫や子どもたちが私を責めているようで、どこにも泣くところはなくて車の中で久しぶりに泣けて涙が止まりませんでした。


私は懐かしくなんかない。温かい家庭なんてなかったのに、毎日毎日責めて怒鳴って誰も助けてくれなかった家なのに、私が帰りたいわけがない。

あの家にはまだ義父がいるかのごとく、怖い。

そして、まだ私は家族で一人でいる気持ちで、あそこは私の家ではないと強く感じたのです。


そして、怖いのは家だけじゃなくて、家族がもう怖いということに気がついたのです。

幸せになって欲しい、愛情はある、でも家族との距離がもうわからなくなったのです。


他人なら自分の位置がわかるから一人じゃないのに、家族の中で自分がどう感情を出していいのかどんな言葉をかけていいのか、怖くてわからない。

ずっと、それは心の後遺症。

楽しそうな家族を見ているのは幸せなのに、自分は家族の楽しみに関わるのが怖い。

何が家族への正解なのかがわからなくて、近くにいると緊張して気が休まらない。



Yさんの「怖くてもう家には帰れない」は、帰れば家族がいるからという苦しみが、誰にもわかってもらえない私の心の闇そのものだったのです。

大好きな家族に彼女は命を奪われそうになり、私は心を奪われた苦しみ、嫌いにも嫌われたくもない苦しみ。

夫も、家族ではなく会社の同僚と思えば気持ちが楽なのもそういう理由から思うことだと気が付きました。


私はもうあの家には帰れない。

家族が怖い。

「家族が怖い」だなんて、言葉を聞くまでそれが自分の本心だとは気が付きませんでした。

私の心の闇、トゲは深い。






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