そもそも「型にはまる」と「型にはまらない」の二択しか与えられないのがおかしい、という話


何かを学ぶときの二つの案

 何かを学びたいと感じた時、「型にはまった方がいい」という人と「型にはまらない方がいい」という人がいると思います。その言い分として、

「型にはまった方がいい」派=型にはまらないと、その型をモデルとした人のスキルや知恵を身に着けることが出来ない。だから型にはまるべきである。

「型にはまらない方がいい」派=型にはめられると、その人自身の考えで表現することが出来なくなる。だから型にはめられることは良くない。

という感じでして、実は双方のメリットがありきの話になります。そして、この両方の派は合い入れることが難しいです。

 この記事では、実は「型にはまっても」「型にはまらなくても」どちらでもいいんだよ、という話をしたいと思います。

 ポイントは、型以前に、「その選択が出来るような教師を見つけること」です。これってとても大事なことですが、あまり実践されないことだと思います。

定義

・知見を教える人=教師

・知見を教えられる人=生徒


「型にはまらない派」の取る選択肢=「自由表現」の問題点

 生徒が例えば幼子で、その幼子に何か学ばせるという時に、「その子の自由にさせてあげよう」と思って、何かを学べるでしょうか?それは難しい話ですね。

 例えば、ダンス(Dance)や絵画(Draw)などを教えている組織は、この「自由表現」を尊重している分野と言えます。これらは、「2つのD」と呼ばれ、頭に描いた表現をそのまま身体や空間に投影することを目指すも分野でありますが、これを自由表現で全てやらせるのは精神的な困難があるとされています。

 例えば、ダンスに興味を持っていた幼稚園児くらいの女の子が、ダンスをやる前は素晴らしい運動感覚を持っていたのに、ダンスを学校で学ぶことで、1年も経たないうちに体が歪み筋肉が強張るようになり、運動感覚が非常に悪くなりました。

 そして、1年前は積極的に発言して怖いもの知らずだった彼女は、おどおどした恥ずかしがり屋となってしまい、とてもボソボソと話すようになったとのことです。

 この原因は何か?ということですが、自由に表現をさせる方法としてダンスを選んだ過程の中で、ダンスにおける適切な筋肉筋を活用できなかったことにあります。したがって、本来は実際にダンスをするための解剖的なメカニズムを学ぶべきだったのに、それを怠ったことが原因です。


 したがって、全てのことを「自由」にさせてしまえば、生徒がそれを表現する時に何が障害になるのかが分からなくなります。そして、それは最終的にさらなる「自由表現」をすることが出来ず、破滅に追い詰めるのです。


「型にはまる派」の取る選択肢=「守破離」の問題点

 教師は生徒に型を教えて、その型通りに物事をやらせて、それを完遂する。そして、型を破ってから、その人独自の新たな型を作ることを「守破離」と呼ばれています。

 一見、この考えは「型にはまっていない人」における問題を、「型」によって克服しているように見えますが、型にはまることで、今度は「自由表現」をする過程で問題が生じてしまいます。

 その問題とは、型を破る(破)の段階で、「型」の良し悪しを判断できずに破り切れていないことです。「型」通りに守の段階で学んだのですから、表現する上での障害が何かは「型」のことが基準になります。

 ところで、人間って、二つのことを同時に考えられない生き物だとされています。この分かりやすい例が、結構いろいろなところで紹介されている「騙し絵」です。

画像1

 上記は有名な騙し絵ですが、【瓶】の絵と、【二人の顔が向かっている】絵が両方あります。ところで、この絵を「瓶と二人の顔が同じ時間で一緒に思い浮かべること」は出来ますか?出来るとして、恐らく「瓶」と「二人の顔」が別々のタイミングで思い浮かばれるはずなのです。

 この話と何の因果関係が?と思うのですが、「守」の段階で「型」だけを意識していると、人間という生き物である以上「型以外」の世界に目を向けることが出来なくなります。つまり狭い世界で生きてしまうのです。

 この話の具体例の典型例は、参考文献1)の著者のF.M.アレクサンダーの実体験そのものです。

 彼はプロの舞台朗読家として生計を立てていましたが、あるとき突然声が出なくなることに悩まされます。それは、朗唱している時に、頭を後ろに引き、口頭を押しつぶして、喘ぎ声を出すようにしているように見えたのです。このことを医師にも相談しましたが、満足する結果が得られませんでした。

 最終的には、その問題の原因は、とあるレッスンの学びです。「劇表現と演出」というレッスンの過程を受けた時に学んだ「足を床に掴むように朗読せよ」というもので、彼はこれを頼りにして忍耐強く取り組み、朗読活動に生かしました。これが、筋肉に大きな作用を及ぼしていて、一時的には精力的に活動できていたものの、最終的には朗唱における障害が出てきたのです。

 そして、その課題は、「劇表現と演出」というレッスンの「型」を破って解決していません。むしろ「劇表現と演出」の中で学んだ過程そのものに問題があると疑い、彼は一つ一つの身体的な動きを観察したり、鏡を見るような生活を毎日、数年間、繰り返すことで解決しました。

 このことは、「型」というものを信じすぎたために、無駄な時間を過ごし、自由表現の可能性を損ねた良い例ではないでしょうか。実際、彼自身が非常に多大な労力を割いたと言っているのと同時に、このこと自体が発見であるとも言えると思います。


コーチングの重要性 〜 「教師」と「生徒」が契約する世界

 型にはまらなければ、自由表現における障害が理解できなくて、破滅する。型にはめれば、型を終えた時に、その型を疑えなくなってしまい障害を起こす。

 「どっちにしたらいいんだよ、どっちもダメってことはおかしいじゃないか」と思うと思います。実は型にはめる、型にはめない、それは状況に応じて「どちらも正しい」と言えます。

 問題は、「型にはまらない」ことで破滅することと、「型にはまることで」型を疑えなくなることを克服することです。つまり、生徒は型にはまらないようにしながら、教師は生徒が破滅しないように必要に応じてガイドを与えることが大切になります。つまり、コーチングの重要性ということになります。

 そして、そのコーチングの重要性を認める上で最も大切なことは、教師と生徒の間で十分な合意形成が取れていることだと思います。そうすれば、生徒は教師から素直に学びを受け取ることができるし、教師からすれば、いま生徒にどのような手段を取るべきかを選択できます。

 そして、この手段の中に「型にはめる」「型にはめずに自由に表現させる」というのがあるだけなのです。しかも、この手段はそれ以外にも手段が色々あります。

 その一つには「学習をやめる」というのがありますね。日本社会で、物事を「止める」ということはネガティブに捉えられることのように思えますが、これはかえって有利に働くことがあります。それは、先ほど「型にはめたことによって」「型が疑えなくなる」というのを抑制(インヒビジョン)するのに効果的です。

 これが分かりやすいのは「癖」ですね。「癖」っていうのは、何かの目的があってやろうとしますね。例えば、髪の毛を触る癖とか、爪を噛む癖とか、タバコを吸いたくなるとか。

 これって、それをすることで安心感が得られるからやりがちなことだと思うのですが、あえて「それを止める」って結構難しいことだと思うんです。だって癖だから。仕方ないじゃん、って。そしてそれを治すには、実は髪の毛や爪を気にするのではなくて、もっと根本的な問題を特定する必要があります。

 癖はなかなかやめられませんが、「学習をやめる」って結構やりやすいと思います。「学習をやめる」ことで、一度自由表現に戻って考えたり、全く違うことに取り組んでみて新たなアイディアを寄せてみたり、本当色々できると思うんですよね。

参考文献

[1] F.M.Alexander, "Man's Supreme Inheritance"(1910)

[2] F.M.Alexander, "The Use Of The Self"(1932)




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謎のプログラマー。高専時代は情報系学科で「FEMによる熱伝導解析」「赤外線リモコンプロジェクタスイッチの開発」、大学院時代は物理系学科で「電磁共鳴メタマテリアル」「人工関節CADの動態解析」と言った、幅広い分野のテーマをこなしました。/「無理やりすぎる論理の飛躍をお楽しみに」
そもそも「型にはまる」と「型にはまらない」の二択しか与えられないのがおかしい、という話|o yucho
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