夏の甲子園出場を決め、喜ぶ大社ナイン=出雲市大社町北荒木、島根県立浜山公園野球場
夏の甲子園出場を決め、喜ぶ大社ナイン=出雲市大社町北荒木、島根県立浜山公園野球場

 32年ぶり9度目の甲子園出場を決めた大社高校野球部。出場49校のうち、最も長いブランクでの甲子園出場となった。第106回全国高校野球選手権大会は、甲子園球場100周年を記念し盛り上がりをみせるが、大社はなんと地方大会を含めた参加校のうち、第1回から全て出場している伝統高だ。

島根大会で優勝した大社高校野球部=出雲市大社町北荒木、島根県立浜山公園野球場

 第1回大会から出場している皆勤校は全国で15校しかない。時習館(愛知)、旭丘(同)、岐阜、同志社(京都)、山城(同)、西京(同)、市岡(大阪)、関西学院(兵庫)、神戸(同)、兵庫(同)、桐蔭(和歌山)、山陰両県は鳥取西、米子東、松江北、大社の4校ある。2018年の第100回記念大会では、皆勤校の主将が甲子園で入場行進した。

 大社の野球部創部は、前身の杵築中時代の1901年。山陰勢は5年ごとの記念大会で1県1校が出場した年を除き、87年までは山陰大会や東西中国大会を制した1校が全国大会に出場する権利を獲得していた。17年の初出場では準決勝で敗退し、ベスト4。21年の第7回には満州、朝鮮大会が新設され、杵築中も同年の全国大会の2回戦で朝鮮代表の釜山商と対戦している。

 41年の第27回には第2次世界大戦の戦局深刻化で文部省通達により地方大会途中で中止となり、甲子園球場の屋根も金属供出で取り壊された。戦後は60年と61年に大社が2大会連続で出場を決め、61年には札幌商に勝利し、30年ぶりに初戦突破。92年に出場して以来、甲子園の土を踏めない期間が続いた。今回、61年以来となる63年ぶりの初戦突破となった。

 歴史があるのは野球部だけではない。学校は1898年に前進の簸川郡立島根県簸川尋常中学校として創設。1902年に現在の大社町に移転すると07年に杵築中、26年に大社中となり、48年に大社第一高となった。49年、女学校が前身の大社第二高と統合し、現在の大社高となる。73年に現在島根県唯一となる体育科が創設され、スポーツ活動がさかんだ。

 サッカー部は2011年、15年、20年に全国高校サッカー選手権大会に出場。06年にはサッカーJリーグ1部のジェフユナイテッド市原・千葉にDF川上典洋選手が入団し、同部初のJリーグ選手となった。1995年にはインターハイで8強入りした。立正大淞南高とは毎年、全国切符を懸けた熾烈(しれつ)な争いを展開している。

大社高校サッカー部(赤いユニホーム)


 剣道部は昨夏の北海道総体で、男子団体と男子個人(波多野準也)で3位。2011年夏の沖縄総体で県勢女子初の団体3位に輝くなど、全国大会に多く出場する地元の「名門」だ。

2023年の北海道総体の剣道男子団体で攻める波多野準也(右)

 陸上部も全国大会で名をとどろかせてきた。02年の茨城インターハイでは、男子総合優勝と島根県勢初の快挙を勝ち取った。近年は17年にえひめ国体少年女子B100メートル障害で長﨑さゆりが13秒62で3位に入った。県の高校記録は61種目のうち14種目で大社高所属の選手が記録を保持している。(2023年12月現在)。
 

100メートル障害の長﨑さゆり

 1932年ロサンゼルス五輪男子100メートル6位で「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳(1909~84年)も杵築中出身。五輪の陸上男子100メートルで日本人の決勝進出は吉岡のみ。今も功績はさんぜんと輝く。

 OGにはシンガー・ソングライターの竹内まりやさんがいる。「純愛ラプソディ」(1994年)、「駅」(87年)や「シングル・アゲイン(89年)など数々のヒット曲をリリースし、地元でも愛されている。

 将棋の福間香奈女流五冠(32)=清麗・女流王座・女流名人・女流王位・倉敷藤花=も卒業生だ。現在保持するタイトルの一つ、倉敷藤花は在学中の2008年に女流タイトルとして初めて獲得している。終盤の鋭い攻撃は「出雲のイナズマ」と形容され、女流棋士界を率いる存在だ。

福間香奈女流五冠

 甲子園の出場で改めて注目を浴びた大社高校。多くのジャンルで卒業生が活躍を見せている。野球部の甲子園4元号出場も深い歴史のなかに刻まれ、初戦突破に向けて多く卒業生らがエールを送ることだろう。