加害者への配慮
私は過去に、ウクライナ侵攻に参加しているロシア兵(少数民族・貧困者多し)への同情を禁ずるサディスティックな投稿をしている鍵ツイッタラーをDMで批判し、相手に「うるさいほっとけ私の表現の自由を侵害すな」という旨のことを言われてブロックされた。
そして私は、いじめ加害者に復讐するノリで、相手の鍵ツイとDMをブログで晒した。相手からは容赦なく通報され、「プライバシー侵害をするな。ロシア兵についての議論は放棄する。批判は良くてもやり方を間違えるとその批判は無効になる」とDMで糾弾された。
そして私は記事を取り下げたが、数年の間相手の方にストーキングをしていた。もうさすがにやめたけれど。
いじめ加害者にも人権はあるのだから、批判をやりすぎてはいけない。しかし、私も私で、相手からトーンポリシング(批判の内容でなく批判の方法だけをあげつらうこと。詭弁の一種)をされたという実感が拭えない。
私がやったのはまさにしばき隊仕草であり、加害者に対する容赦ない攻撃である。なので、しばき隊含む左翼・反差別の人たちは、加害者・差別者の人権にもっと配慮すべきだ。それをしないから左翼は嫌われてしまうのだ。左翼・反差別界隈にも差別的な要素は色濃くある。それを克服しなければどうにもならないのだ。
私の言動を見て、左翼に対するイメージが下がり、左翼への憎しみをたぎらせた方もたくさんいるだろう。申し訳ないと思っている。私がしばき隊メンバーの某氏にされたことを、私もやっていたのだ。
まあ例のツイッタラーだって、ロシア兵やナチ戦犯をツイッターで容赦なく糾弾するので、「しばき隊仕草」をしていると言える。私は彼女にしばき隊仕草をやめてほしくて、しばき隊仕草をしたというわけだ(ミラーリング。相手にされた加害と同じことを相手にやり返す手法)。でも彼女はしばき隊仕草をやめる気配がないので、諦めた。
*
これまで私は、ネットやリアルで、たくさん迷惑行為(ストーキング、プライバシー侵害、妄想と現実の区別ができていない言動、相手の同意を得ない勝手な言動など)をして、たくさん正当防衛(無視、ブロック、通報、批判など)をされてきた。
なので、私を排斥したくなるのが当たり前の人情なのだと思うようになってきた。
ナチスが私のような障害者を殺したのは、ナチスが人間の闇の本能をそのまま体現した存在だからだ。誰もが私を差別していて、誰もが私を殺しうる。人間は、社会は、世界は、私を殺すように設計されている。私含め、誰もがナチになりうるのだ。
私はナチスに殺される側の人間である。社会の中で一番邪険にされている人間である。そういうアウトカーストの人間こそ、一番救済されるべきなのだが、なかなかうまく行っていない。
私は周縁化されていて、ほとんどの人は私のことをよく知らない(あるいは否定的なイメージしかない)から、「とりあえず排除する」以外の選択肢がない。だから私が自分のことを語ることには意義があるのだ。
まあ正当防衛されないように丁寧な振る舞いを身につけることは大事だし、SNSをやらないことに大きな意義がある。でも、周囲の人間たちにも、私のような障害者についての理解を深めてほしいとは思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?
コメント