6話 今日から本気出す
三限目の授業中、白無垢の少女は苦悩する
(おかしい……絶対におかしい!)
何がおかしいのかと言えば隣の彼のことである。普段の奏斗であれば一時限目から爆睡をかましているところなのだが、なんと今日は一睡もしていなかった。
(何より私の心が持ちそうにない……! 気だるげな奏にぃばっか見てきたから普段とのギャップがヤバい!!)
彼の身なりは整えられ、髪には寝癖など無く、半目がちなを見開いていた。そして、その様子にときめく女子がいたのも事実。
(あと今まで奏にぃのこと不良とか言って遠ざけてきたヤツらが手のひらを返してるのがムカつく。まぁ、私の責任でもあるんだけどさ)
思考がまずい方向に行っているのを自覚し、ホワイトボードに意識を向ける。
彼女が悶々としている中、当の本人はというと――
(あ〜、退屈だぁぁ)
完全に腑抜けきっていた……
(でも、玲のために変わるって誓ったんだ。頑張れ俺! 負けるな俺!)
内心で己を鼓舞し、授業に集中する。だがしかし、根性論で改善出来れば苦労はしない訳で――
(玲はいつでも可愛いなぁ。それにしても、前髪切っただけで印象ってこんなに変わるもんなんだな。あと気になるのは、周りの目が明らかに変わってることかな。気にしてないといいけど)
明らかに注意散漫状態である。ころころと話題が変わり脳内ですら一つのことに集中出来ていなかった。
そして、イマイチ授業に身が入らない二人はある共通の結論にたどり着く。
((早くイチャつきたいなぁ……))
―――
いつもより長く感じた三限目と四限目終えて、昼休憩を過ごす奏斗と玲。
何やら廊下からバタバタと走る音がする。奏斗は猛烈な既視感を感じた。案の定、ピシャン!と大きな音を立てて開く扉に奏斗は思わずジト目を向ける。
「やっぱりお前だったのかよ」
「奏君一大事!!」
現れたのはこの前と似たような登場をしたティアだった。
「んで、何がどうしたんだ? そんなに慌てて」
「奏君が五時起きで作ってくれた弁当忘れちゃった――」
「なんだ……そんなことか」
あまりの慌てように割と心配していた奏斗だったが、聞かされた内容に安堵する。
実は昨日、弁当を作って欲しいとティアに頼まれたので、弁当を作っていたのだった。どうやらクラスの友人と一緒に食べるつもりだったらしい。
「だったら俺に謝るんじゃなくて一緒に食べるはずだった友達に謝ったらどうだ? 今日は元々早起きの予定だったし、気にしなくていいよ」
「奏君……」
一方、クラスに居た玲以外の生徒達はある共通の疑問を持っていた。
(((((どういう関係!?)))))
視線を交わし、意思疎通を図る。そうして周囲に促されるままに努が意を決して口を開く。なかなかの勇気と度胸である。
「あの〜、弁当を忘れたって? どゆこと?」
「私ら同棲してんのよ。奏君、まだ言ってなかったの?」
「同棲じゃなくて居候な」
さも当然のように言い放たれた言葉に教室の時が十秒弱止まる。そして時は動き出す――
「てめぇ! 久遠さんが居るというのに何言ってんだ! 浮気か? 浮気なのか?」
「落ち着け努、玲の了承は得てるし、色々事情ってもんがあるんだよ」
「そんなこと言っときながら、ティアさんとあんなことやそんなことになってるんじゃないのか!? 」
「おいバカやめっ――」
突如、背後に冷たい感覚が広がる。
奏斗ら震える体を抑え、ぎこちない動きで振り返る。そこには、絶対零度以下を瞳に宿した玲が居た。
「別に、私が許可したことだから何も言うつもりは無かったんだけどさ、やっぱり我慢できないや」
緩慢と歩く玲。その鬼気迫る様相に誰もが動きを止め、口を噤み、呼吸を忘れる。
そして、彼女はその目を爛々と輝かせ、ティアの顔を覗き込む。
「幼馴染キャラに出番はないから――」
「はい、ストッープ。喧嘩はナシだ」
ピリつく空気の中、ヘラヘラと奏斗が二人の間に割って入り、氷柱のような視線が突き刺さる。
「矛先を向けるなら俺にしてくれ」
「ふふふ、奏にぃって誰にでも優しいのね。かっこいいわー、惚れ直しちゃった♡」
(嘘だ、だって目が死んでる。私だけに優しくして欲しいって顔してる)
頬をひくつかせながら猛然と思考を回す。たが、効果的なアイデアは出ず、一粒の冷や汗がつーっと背中を通るだけだった。
「奏にぃ、おべんとーとか作るんだ。ってことは家での食事も奏にぃが作ってるのかな?」
「あ、あぁ、そ、そうだな。俺が作ってるよ……」
「台所に立つ男はきっとモテるのよねぇ」
気づけば、俺の尋問になっていたし、氷のような空気から湿っぽいものへと変わっていた。彼女の瞳には光が宿っておらず、そのうえ歪んだ笑みを浮かべている。愛って怖いね。
「……ちなみに全ての家事は俺が回してる」
「へぇ、つまりは洗濯もってことだから、素敵な同居人の下着なんかもあるわよねぇ」
失言だった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私ね、奏にぃのこと信じてるから!!」
(怖いよォーーー!! 誰か助けてくれぇぇぇぇぇ!!)
ハイライトを失った瞳で笑う玲。猛然と助けを乞う奏斗。その叫びが届いたのか、それとも偶然か、一筋の光明が鳴り響く――
パァンッ!!
日本という国で鳴るはずのない音に玲を含む全員が固まる。すると、今まで狸寝入りをしていた稀沙羅がむくりと顔を上げる。
「ごめん、ブラのフロントホックが外れた」
「……」
「……」
「そういえば、なんで玲ちゃんから私達と同じシャンプーの匂いするの?」
真っ先にツッコむべきことから目を逸らし、恐る恐る玲の髪の匂いを嗅いでみる。確かに同じだ。まさかとは思うが、同じシャンプーを探し回ったのだろうか
「探すのに苦労したわ」
「え」
「なんならボディーソープも同じ」
「アンタの彼女中々ね……」
今の今まで静観を貫いてきた(声を出せなかっただけ)ティアが玲にジト目を向ける。
「はぁ、なんか稀沙羅ちゃんのおかげで怒る気になれなくなったわ」
「またまたぁ、最初から怒ってなかったでしょ」
「怒ってはいたよ? 本気じゃないってだけよ」
どうやら本気で怒っていなかったようで奏斗は安堵する。それはそれで怖い気もするが。
「奏にぃ? 安心しきっているところに水を差すようで悪いのだけれど、これで本気じゃないってことは……ねぇ?」
安堵してる場合ではなかった。確かに、あの威圧感が本気で爆発したとなると……考えるのは止めておこう。
「……絶対に浮気はしませんのでご容赦ください」
せめて命乞いはしておくとする。だが玲は特に何も言うことはなく、含み笑いを浮かべるだけだった。
―――
「なぜ、、、なぜこんなことに」
今は昼休憩の時間で勇人、努、稀沙羅、玲と一緒に食堂へ来ているのだが、正面に座る努が不意にそんなことを呟く。
「嫌なら断れば良かっただろ」
「嫌じゃないよ? 久遠さんとお昼ご飯を共にすることをこの上なく嬉しい。でもな、周りの視線が怖すぎるんだよ。お前よくこんなのに耐えてられるな」
「まぁ、幼い頃からこんな感じだったし」
周りの視線を受けて縮こまる努とすまし顔の奏斗と勇人。
「それに、久遠さんと飯が食えるなんて夢のまた夢だと思っていたのに……っ!」
「いやぁ、僕らとご飯を食べたいなんて言われたからびっくりしたよ」
「いきなりでごめんなさい。私も変わらなくちゃって思ったから」
不安そうでありながらも何かを決意した顔の玲がそこには居た。
彼女は変わろうとしている奏斗に感化されていた。彼女は自身の交流関係の狭さを嘆き、そこをどうにかしようと勇人と努に声を掛けたのだった。
「君は立派にやってるよ。だから、そんなに不安がらなくても結果は見えてる」
奏斗は満足気に笑いながら玲の頭を撫で、居心地悪そうにし始めたところでパッと手を離す。
「しっかしこの学園は噂が広まるのが早すぎないか?」
奏斗が呆れた顔でため息を吐きながらぼやく。
「それは単にお兄ちゃんがゴシップに興味無いからじゃない?」
「そうかなぁ……そうかもなぁ」
右隣に座っている稀沙羅からの指摘に微妙に納得のいっていない様子の奏斗。
今現在、この学園は専ら玲の火傷跡のことで持ち切りだ。編入以来から右目周辺は長い前髪で隠されていたため、その素顔は謎に包まれていた。あまりにも謎だったため、中には冗談交じりに「厨二病なのでは?」と噂するものさえいた。
――だが現実は、単なる悲劇であった。
「このキズのことねぇ……」
不思議そうな顔で前髪を搔き上げ、傷跡を気にする玲。前の二人は気まずそうに視線を逸らしていた。
「一足先に二人に話してしまうのもアリね。聞きたい? 間違いなく空気は重くなるけど。」
「……久遠さんがそれでいいのなら」
緊張した様子で勇人がそう返す。すると、玲はニコッと笑い自身の身の上について話し始めた。
ただ滔々と遠い目で過去を語る玲。悲惨な過去に二人は絶句する。その間、奏斗は何も言わず、ただ目の前の定食を口に運んでいた。
「こんなことがあったから奏にぃがとった行動が凄く嬉しくて……」
言葉に詰まる二人。
「それに今では感謝してるくらいだよ。彼らが居なければ私は奏にぃと出逢えなかった」
まるで敬虔な信者のように思いを馳せる玲。
彼女はあの凄惨な過去を幸福な現在の対価だと捉えているのだろう。だが、奏斗はそんなのに納得するはずがなかった。
「まぁ、彼らを憎む権利なんて私には無いけどね。そもそも虐められてたのは私のせいだし」
「それ、やめろっつったよな」
眉をひそめ、若干の怒気と共に流し目で見る奏斗。だが、気にした様子もなく続ける玲。
「ごめん、これだけは譲れない。無意識のうちに見下してたこともあったかもしれない。それに、奏にぃみたいに器用に立ち回れてたら、彼らの不満を買うこともなかったと思う」
「それはそれで地獄を見ることになると思うよ〜……」
ポツリと稀沙羅が呟いた一言に、奏斗は一切の反応を示さない。怪訝に思った玲が口を開こうとするが、それが叶うことはなかった。
「……ま、まぁ、奏斗が他校の生徒をボコボコにしたってのに相当な理由があって良かったよ!」
「そうだね、疑ったことはないけど安心した」
努が重い空気を取り払うように、わざとらしく明るい声で話を切り替えた。それに乗っかるようにして勇人もまた口を開く。
「買い出しからなかなか戻ってこないと思ったら流血してんだもん」
「あれはびっくりしたね……稀沙羅ちゃんも大騒ぎで」
「お兄ちゃんが血を流すって余程のことがないと起こらないからねぇ……いやほんと、ビックリした」
苦笑いで語る三人。そして、恍惚の表情を浮かべるのが一人。
「あのときの奏にぃカッコよかったなぁ……まさに狂犬って感じで」
ポっと赤らめた頬を両手で覆う玲。その姿と先程の休み時間での振る舞いを重ね合わせ、努はある結論に辿り着いた。
「もしや久遠さんって、ヤバイ人?」
「間違いなく」
「えぇ〜、私は奏にぃが好きなだけだよ〜?」
「"だけ"に収まりきらないほど重そうだな」
「お? 羨ましいか?」
「さすがに重いのは勘弁」
そう言っている努の緊張は解れているように見え、それは勇人も同じだった。どうやら思った通りに彼らの距離は縮まったようだ。
すっかり弛緩した空気の中、奏斗は密かにほくそ笑むが、それに気づくものは誰一人としていなかった――
―――
放課後、生徒会室に向かう奏斗と玲と稀沙羅。
四月の終わりが迫っている中、奏斗たち生徒会役員は同時に集うことは一度もなかった。だが、それは特別珍しいことでもない。
この学園は、加入する人を一ヶ月程度待ち、五月の生徒会挨拶で今期の生徒会メンバーを公式に発表してから活動が本格化するというのが半ば慣習になっている。それまでは役員達が一堂に集まることはほとんど無く、せいぜい今日の顔合わせのようなことしかない。
「玲は先輩方全員ともう会ってるんだよな?」
「加入申請書を提出したときにたまたまね。奏にぃは会長の他に副会長が知り合いなんだっけ?」
「あぁ、中等部一年のときに会長だった人だな」
これでも奏斗は中等部で二年間生徒会役員を務めており、二年生の頃は副会長だった。ちなみにそのときの会長は愛華である。
そうこうしている間に生徒会室にたどり着き、ドアを二回ノックする。扉の奥手の応答を確認し、そのまま中へと入る。
「先輩方、お久しぶりです」
「おう、久しぶり。それに、奏斗もな」
来客用のソファでくつろいでいた大柄な生徒がくるりと振り向く。
「お久しぶりです、健吾先輩」
彼は高見健吾。元中等部会長で現高等部副会長であり、その大きな背中からは頼れる男のオーラが溢れ出ていた。
「良い目をするようになったな」
玲と出逢う前の、鉛のような瞳をした奏斗を思い出しながら嬉しそうに健吾は言った。
「大切な人ができたので」
流し目で、若干照れた様子の玲を見る。口がモゴモゴと微妙に動いていた。
「ところで、他の方々は?」
「見ての通りまだ来てないから、適当にくつろいでていいわよ〜」
一足先に書類に目を通していた詩織が言った。先輩が仕事に取り掛かっているというのに、自分たちがくつろぐ事に奏斗達は遠慮を覚えたが、他でもない健吾がそうしていたので素直に諦めた。
少し経つと扉を打つ軽い音が響き、二人の生徒が部屋に入る。
「お疲れ様、少し待たせちゃったかな?」
柔和な雰囲気を纏う眼鏡をかけた男子生徒が微笑みながら言った。
すると、隣に居た一人の女生徒がこちらの存在に気づき、値踏みをするような目つきで奏斗に尋ねる。
「君が例の新人?」
「はじめまして、安心院奏斗です。えっと……如月アキラ先輩と小日向葵先輩ですね?」
恐らく、聞いていた話のイメージと違ったのだろう。面を食らった様子で感心する二人。
一方、奏斗は愛想の良い笑顔を保ちながら、アキラと同様に二人を観察、分析していた。
如月アキラ。長いストレートの黒髪に切れ長の目、スラッとした体型を持つ女生徒。一年の定期テストでは常に学年一位であり、その座を最後まで譲ることは無かったと言う。本人は「めんどくさいからイヤ」と言って選挙に出馬しなかったが、出馬していれば結果は分からなかったと周囲に言わせるほどの人物。そして、かなりの美人。ここ重要。
小日向葵。柔和な彼は一見すると頼りなげに見えるが、無論生徒会にふさわしい実力を有しており、学園内でも愛されている人物。だが、奏斗がここで一つ、彼について述べるのならば、その印象は「蛇」であった。優しい笑みの奥にある黒い顔、弧を描く目から垣間見える執念と狡猾さ。奏斗は今すぐにでも面の皮をぶち破りたい気分になったが我慢する。
(ざっとこんなもんか。同学年なら厄介極まりなかったな)
一秒足らずで彼らを分析し、意識を切り替える。
「へぇ、玲ちゃんから聞いてたのかしら」
「いやいや、お二人は有名ですから」
「確かに、でも貴方には負けるわ」
冗談めかして言う彼女に、奏斗は肩をすくめる。
そうこうするうちにまたノックが響き、愛華とティアが部屋に入る。
「わたくし達が最後ですか。すみません、遅くなりました」
そう言う愛華をなんとなしに眺めているとティアと目が合う。すると、視線がツーっと左側に居た玲の方に逸れ、ティアはビクッと肩を跳ねさせた。――できれば二人には仲良くして欲しいものだが……
「それが最後じゃないのよね〜」
「と、いいますと?」
「実はちょっと前に二人加入することになってな」
その言葉に玲がピクリと反応し、愛華が笑みを深めた。
「二人ってことは……」
「そうですね、十中八九三組目の対立候補でしょう」
ノックが鳴り、快活な声が響く。
「失礼します!」
「お、噂をすればだな」
扉が開き男女が入室する。そこに居たのは爽やかな好青年と、以前デートの際に奏斗が最も警戒している人物と言っていた雲類鷲結月であった。
(へぇ……面白くなってきたじゃん)
奏斗は邪悪で愉しそうな笑みを浮かべながらそう思うのだった。