家族は一緒にいる必要はない。
お墓参りに行くことは良いこととされるが、もう、いいんじゃないかと思う。親やその親の意思を継ぐ必要はない。お墓参りに行かなくても感謝はできる。それは、裏切りにはならない。お墓参りに行くことが、日本古来、先祖代々から伝わる呪いを持続させる。子供は親の世話をする必要はない。親から自立する必要がある。家族は、必ずしも一緒にいる必要はない。お墓を守る必要はない。先祖の方々には、ゆっくりとおやすみをしていただく。家制度から解放されることが、呪いを祝いに変えるのだと思う。
嫌な仕事を嫌々続けることは、もう、いいんじゃないかと思う。金のため、生活のためには、嫌な仕事をやる必要があるという考え方は、呪いになる。呪いを次世代に継承させる。良い学校を出て、良い会社に入り、結婚をして、子供を育てる。そうしたい人は、そうすればいい。全員が同じことをする必要はない。異性同士でも、同性同士でも、好きな人と、好きな時間を過ごせばいい。家族と言えども、他人は他人。親や子供を生き甲斐にすると、お互いの自由を奪い合う。最後まで面倒を見る必要がある対象は、親でも子供でもなく、自分自身だと思う。
大阪在住の女性Y様に会った。Y様は、父親から暴力を受けて育った。自分が受ける暴力よりも、母親が父親から暴力を受け続ける姿を見る方が辛かった。抵抗せず、殴られ続ける母。別れればいいと思うのに「お前たちがいるから別れられない」と言う母を見て、経済力が大事なのだとY様は思った。父親との不仲は解消したが、母親を見ると未だに腹が立つことが多い。自分は子供に面倒を見て欲しいだなんてこれっぽっちも思わないのに、母親のことは、放置しておくことができない。普段はカラッと明るいY様も、母親を前にするとウェッティになる。
私たちが何かを悩む時、それは、頭の中にいる先祖の声が鳴り響いているからだと思う。先祖の方々は、その時代に必要だった考え方を「こうであるべき」と信じ、次世代に継承させる。その考え方が必要な時代は良かったが、今はもう必要のなくなった重荷を抱えたままでは、生きることが苦しくなる。先祖の方々には、ゆっくりとおやすみをしていただく。頭の中にいる先祖の方々に成仏していただく。墓参りに行かないことは、不義理にはならない。恩知らずにはならない。義理は呪いになる。恩は呪いになる。自立をすることが、呪いを祝いに変える。
家族は一緒にいる必要はない。家族に縛られる必要はない。家族をしがらみと感じたら、やり方を間違っている合図だと思う。墓参りに行かないことが、先祖の方々に本当の意味でおやすみになっていただく、最初の一歩になるのだと思う。古い慣習に従えば、みんなと同じであるという安心感を得ることができる。だが、その安心感は、呪いに支えられている。親から自立することが、呪いを祝いに変える。不義理と言われても、恩知らずと言われても、大丈夫。根底には愛がある。自分の存在そのものが愛だ。
坂爪さん、おはようございます。
ご機嫌いかがでしょうか。
ワタクシめはセーシン薬の離脱その他諸々でご機嫌ぶっ倒れてます。
札幌に来ていただく手筈もできませんが、坂爪さんの言葉で「目を覚ませ~!!」とぶん殴られたい心もちです。
ぶん殴られて、ぴゅーんと空まで飛んでったら雲を突き抜けてそこはただただ一面のうつくしい青空で、ohマイガーどんなに重だるい暗雲に覆われてても、突き抜けたらそこはいつもいつだって青空なんだねって実感して、ぶっ倒れたご機嫌引きずり起こして、またとぼとぼ歩いていきます。
思いつくままに書いてたら、わけのわからないメッセージになってしまいました。💣
読んでくださってありがとうございます。
またお会いできることを願って。
お身体と愛に気をつけて。
グッドラック🔥
おおまかな予定
8月9日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!



コメント