原発と福島の問題について、陰謀論的な態度になってしまっている青年とある科学者の対話や議論を見た。その科学者は誠実に説明していて凄いと思いつつ、青年へのネットからのコメントはとにかく非科学性を指摘し続けるものになっていて、さらに反発を生んでいる。 本当に必要なのは科学的思考ではなく、彼の「人生を抱きしめる」ことだと思うんだけどな。強固な目的や使命を持っている人間に、科学的な論争をしてもあまり意味がない。青年がどういう人生を歩んできたのか、なぜそういう思想を持つに至ったのか、そこへの想像とケアこそ最も本質だと思うのだけど、なかなか難しいですね。 人間を説得したり、意見を変えたりするとはどういうことなのか。これは文学とか哲学の問題の気もする。なんだか悲しい気持ちになって。 まぁいずれにせよ、陰謀論とかを知識や論理で批判するすべての言説も、こういう問題を考えないとまったく問題解決にならないと思うし、そのことを分からないというにもまたひとつの知性の欠如だと思う(つまり、人間の知性や精神がどのように働くかという問題について、単純な観点しか持っていないという意味で)。