ハリルホジッチ X ベンゲル対談に見る比較文化論
- 2016.08.14 Sunday
- 14:34
WOWOWのユーロ総括の特番、なにげなく見ていたら言葉の意味でも比較文化論的にもとてもおもしろかったので。
*サッカー詳しくないしフランス語ブランクもあるので、サッカーの事実確認できませんし、訳は意訳として、フランス語のスペルミス(アクセント表記無)についてはひらにご容赦ください。
まずは対談の流れ的にでてきたフランス語の"le vis"と"duel"という言葉が気になった。
「日本サッカーに足りなくて、伝えたいけど伝わらなくて困っているのは"vis"と"duel"の概念だ」とのことで。
なんのこっちゃ、と興味を持って話を聞いてみた。
ベンゲル
"Ils arrivent pas a obtenir des penalties parce que ils ont pas le "vis" "
ペナルティを"もらうこと"ができないんだよ。彼らには"vis"がないんだ!
ハリルホジッチ
"Il faut expliquer qu'est ce que ca veut dire "le vis". "Le duel" ils saveit pas qu'est qui est "duel" j'ai ete frape"
"vis"がなんのことか説明しなきゃいけない。"duel"にいたってはなんのことか知らなかった。衝撃だった。
visは直訳するとネジのことで、字幕では"ずる賢さ"と訳されているけれども、英語でいうところの"twist(ひねる)"のほうが近いかと。
ベンゲル
""le vis" a utiliser le regle du foot jusqu'a l'extreme pour que ton avantage. C'est pas au sauce negative"
"vis"というのはサッカーのルールを極限まで引っ張ってみて、自分の有利になるように解釈すること。そこにネガティブな意味は微塵もない。
twistはたしかに"意味をねじって屁理屈こねてる"みたいにも"機転を利かせている"みたいな意味でも使われる言葉なのだが、
そういう"機転を利かせてうまいことやる”ことを指しているのだろう。
ベンゲル
"日本人の正直さは好きだけど。サッカーにおいては"le vis"は知性の表現の仕方"forme d'intelligence"なんだ。ときに相手の弱さを利用することもある"
ハリルホジッチ
"まったくもって意地悪さじゃないんだ。でも日本ではイデオロギー的にもそれがわかってもらえないんだよなー”
相当なフラストレーションを抱えていたのか、ベンゲルに感謝するハリルホジッチさん笑
そしてその例として出てくるのがペナルティエリアでの動き&PKやFKについて。
私はサッカーは詳しくないのであれなんですが、PKが少ない」てことが弱さの指標として語られると思ってなかったので目からウロコでした。
わかったよ、てなるくらいなんども言及される笑
この1回だけのPKについても"par hazar (偶然、ラッキーで"て表現してたからな。。
この考え、非常に欧米的というか。いい悪いは抜きにしておもしろいなーと思いました。
twitterでも下記ご意見いただきましたが、
(相変わらずブログにツイートを埋め込めないポンコツなわたくし)
@umbe_llata
「日本人にとってスポーツは、戦いではなくて、自己研鑽や礼節を育む武士道のような教育を含んでいるように感じるので、ハリルの言っていることを内包させるのは難しい気がしないでもない。」
https://twitter.com/umbe_llata/status/764690629284683777
この”vis=物事をtwistして有利に進める"ことは大人としての狡猾さとして当然だ!みたいな意識はたぶん自分にも欠けがちなところで。
「そんなことしてまで勝ちたいか!!」とか「自分に恥ずかしくないのかあ!!」的な日本の教育ってとても貴いし立派だと思うんだけど、
外人とわたりあうときにしみついてる性質としてはかなりのdisadvantageに感じることが多いですよね。
もう一つの"duel"はメディアでもちょくちょく触れられてるとのことだったので割愛しますけど、言葉としておもしろいいなーと思ったのは
直訳すると"決闘"みたいなことになるので、察するに1対1での勝負強さ、当たりの強さ、当たり負けしないフィジカル、みたいなことかと。
「身体を作ることに対して若い頃からの意識が低すぎる」とおっしゃってた。
スポーツ選手ではないのになぜか耳が痛いです。
ここもおもしろかった。
duelを鍛えるために、laisser un petit peu jouer=プレイを止めないで続けること(軽微な反則があってもすぐに笛をふくな)
accepter evolution de football(サッカーの進化を受け入れること)が必要なんだ、と。
サッカーだけでなく、世界を相手にするときにはおしなべて考えなければいけないことなんだろうなー。
でもなー日本人マインドってしみついちゃってるし、そもそも変えなきゃいけないって思ってないからなー難しいよなー。
と自戒もこめて。
ちなみにWOWOWオンデマンドに動画置いてあるので、会員しか見れませんが気になる方は実際の動画を見てみてください。
http://mod.wowow.co.jp/detail?pg=014241&ep=001
p.s.
WOWOWということもあってか、かなりざっくばらんな対談で好き放題喋ってたっぽかった。
「現代サッカーの欠点はスペースでボールを受けるという意識がFWに欠如していることだ。ピッチの状態が昔に比べてよくなったため、
ボールは足元にもらうもの、という考えが浸透しすぎて、スペースにうまく動けるFWはほとんどいない」みたいな字幕が出てたんだけど、
「スペースにうまく動けるFWはほとんどいない。肝心要のヨーロッパですらそうなんだ。
皮肉なことにいま世界で一番スペースに動くのがうまいのはアメリカ人だぞ」て言っててバッサリ字幕でカットされてたりしてました笑
「狡猾さ」は le viCe (viceには「ねじる」という意味はないです。)
viS (ネジ) は女性名詞なので... LA vis となるはずですから、ここではこの語は使われていないのではと思います。
(動画を見ていないので勘違いの指摘でしたらごめんなさい)
もっとイジワルになってよい。日本人は清廉潔白なプレーを好みすぎるってことなんでしょうね。
そうすると長いこと言われてる"マリーシア"と同じような意味ですかね。
まあどっちにしても興味深い話でした。
西洋は現代社会の文明を作って来た存在、またわれわれが西洋化したような従属を経ていない「お膝元」なので、いわば「エリート」であり、
自分たちはフットボールの中で生きているのだから、そのルールの中で生きていることになる。そのルールと密接することは効率とか利得以上に自分たちとは何かを知ることだ。その上で、もし許せないルールであることが判然としたら、改正して前へ進んで行く。そのためにもルールのことを熟知せねばならない。
という哲学が堂々と語れる土壌なのです。これは主観的な所もありますが、そもそもこの哲学と言うのが未だに日本には根付いていないですね。
とっくに昔の記事に失礼いたしました。