「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」は定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由
■「黒人奴隷が流行」の根拠が示されていない ロックリー氏は著書の中で、「弥助は(日本の)内陸部に赴くたびに、大騒ぎを引き起こした。地元の名士(戦国大名のことか)のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった」(p.13)とする。その根拠は一片たりとも示されていない。 一方で筆者の管見の限りにおいて、欧米論壇やメディアでは「弥助=侍」の側面がメインではあるが、とはいえ、訂正がないままでは「日本で黒人奴隷が流行していた」説が拡散し、定説になりかねない。 ■「ブリタニカ国際大百科事典」にも「弥助=侍」説 日本人にとっては一見して「トンデモ」のロックリー氏の学説だが、実は欧米を中心にじわじわ拡散しているのが現状である。 むしろ「拡散している」という事実そのものによってロックリー説の信憑性が高まり、今では「世界の定説」と化しつつあるとさえ言える。日本人の知らないところで恐ろしい事態が進んでいるのだ。 「ブリタニカ国際大百科事典(Encyclopaedia Britannica)」は、1768年初版発行という長い歴史を誇り、検証がしっかりした最も偏っていない百科事典として、学術的に高い評価を受けており、日本でも「知の世界的権威」と扱われている。 ところが、このブリタニカのオンライン版には、ロックリー准教授自身が寄稿した「弥助」の項が存在する。 その項は「一部異論はあるものの、弥助は最初の外国生まれの『侍』として名を遺したと、日本人の歴史学者によって一般的に考えられている」という記述で始まっている。
■本当に「ファクトチェック済み」なのか 「日本人の歴史学者によって一般的に考えられている」は事実とは異なる。またロックリー氏はこの点について根拠を提示していない。 これは一種の循環論法になっている。「私の説は正しい、なぜなら私の説は日本人学者の一般的な支持を得ているからだ」とロックリー氏は語っている。だが、健康科学大学の平山優特任教授と東京大学史料編纂所の岡美穂子准教授など一部を除いては積極的な支持表明がなく、「日本人学者に広く支持されている」と考えているのは他ならぬロックリー氏だけと思われるからだ。 興味深いことに、この項は「ブリタニカ大百科事典の複数の編集者によってファクトチェック済み」と、「お墨付き」まで得ている。 ただ、重要な事実関係についての根拠が不十分なロックリー氏の説を「ファクトチェック済み」として掲載するのは、さすがに問題ではないだろうか。 ■米大学では堂々と教えられている ほかにも、欧米では多くの知識人がロックリー氏の説を拡散している。 米中西部のミシガン州立大学は、毎年「世界大学ランキング」でトップ100に入る名門大学だが、その黒人研究者であるタリク・ムハメド氏は、ロックリー氏の「弥助=侍」説を史実として共有している。 また、黒人の著名人類学者であるニール・ターナー氏も、アフリカ系の人々の「民族離散(ディアスポラ)」研究の一環として、ロックリー准教授による「弥助=侍」説を拡散している。 さらに、米スミソニアン協会が発行する『スミソニアン』誌も、「日本の最初の黒人侍であった弥助とは誰か」と題した記事を掲載している。 なお、アリゾナ州立大学のロバート・タック准教授のように、「弥助が侍であったとの説や、伊賀の忍者が信長一行を待ち伏せして襲撃した際、弥助がひとりの忍びの少年の首を斬り落としたとする描写など、ロックリー氏には『起こり得たこと』を歴史的エビデンスなしで、あるいは外典・疑わしいソースを基に『本当の物語(True Story)』と主張するパターンが見られる」と批判する声も一部にある。