“生きた被爆資料”を後世に
- 2024年08月05日
長崎原爆資料館では、これまでに寄贈されてきた被爆資料について情報を集めようと、寄贈者やその家族などを訪ね、被爆から79年の今、改めて調査を行っています。
「被爆者なき時代」を見据えた資料館の今を取材しました。
長崎放送局 池田麻由美
原爆資料館の1点1点を調査
調査では、資料の寄贈者について幅広く聞き取ります。どんな性格だったのか、原爆投下前にどのような生活を送っていたのか、投下後にはどうやって生き抜いたのか、そして今の思いは...。原爆が投下された8月9日の動きや、資料が原爆から物理的に受けた被害に限定せず、さまざまな角度から話を聞いていきます。
調査を担当するのは長崎原爆資料館の学芸員、海老沢優紀さんです。
被爆の瞬間とか被爆直後の話ももちろん大事ですけれども、そこにまつわる当時の生活とか背景が見えることでより資料にクローズアップできるような展示に活用できるようになるべくいろんなことを網羅して聞けるような形で調査を進めています
この調査が始まったのは令和4年。
寄贈者やその家族から直接話を聞ける最後のチャンスを逃さず、寄贈された資料がより多くのことを伝えられるようにするために改めて調査をしています。
資料館に寄贈されてきた“物言わぬ資料”を、体験を語りかけてくるような“生きた被爆資料”として残そうというのです。
資料館の課題は
資料館が収蔵する約2万点の資料のうち、個人から寄贈されたものは約半数。
課題はその1つ1つが持つエピソードを掘り起こせていないことです。
例えば、この腕時計にまつわるエピソード。
分かっているのは、玉木淳介さんという男性が身につけ、爆心地からおよそ700メートル離れた工場で勤務中に被爆し、その後亡くなったということのみ。寄贈した妹や玉木さんを知る人から詳しく話を聞こうとしましたが、連絡が取れずにいます。
資料が寄贈された時の記録は、古いものでは昭和24年にさかのぼります。
被爆から時間が経つにつれて、調査は難しさを増しています。
調査を開始したとき、長崎市は約1000人の寄贈者から話を聞こうとしましたが、連絡が取れ、調査できることになったのは、およそ6分の1。すでに寄贈者が亡くなっていたり、住所が変わって連絡が取れなくなったりしていました。寄贈者の親族などに連絡が取れたとしても、「詳細が分からない」として断られるケースもあるといいます。
なぜいま調査するのか?
なぜ今になって聞き取りを追加で行うのか。
話を聞いたのは、調査を担当する長崎市被爆継承課の田中祐介課長です。
昔と今では、資料の情報収集への意識も異なるのではないかと話します。
昔はまず寄贈いただく際も資料館の職員が被爆者だということも結構あったと思います。ある程度共通の土台で話ができていたということもあってそこまで深く聞き取りをしていなかったのではないでしょうか。
さらに、資料をめぐる考え方も変わってきたといいます。
これまでの調査では、原爆の悲惨さを伝える物的証拠として活用できるようにと、
爆心地との位置関係や被爆の痕跡など、科学的なデータを中心に集めようとしていました。
しかし、戦争を知らない若い世代に原爆の悲惨さをどのように伝え、「自分事」として受け止めてもらうかが課題となる今、資料を通じて1人1人のエピソードを伝え、思いを寄せてもらえるようにしたいといいます。
被爆者の方が高齢化していく中で、直接話が聞けなくなるときが必ずやってくる。そういう時代を見据えて、今のうちにできることをやっておくべきだということで追加調査をして、資料の「伝える力」をより高めていく必要があるという認識があって追加調査をしています
調査に掛ける思い
「被爆者なき時代」を前に。
学芸員の海老沢さんは7月下旬、95歳の被爆者、新井祥子さんのもとを訪れました。
新井さんが寄贈したのは、原爆投下直後の長崎の様子を映した写真。
4年前に亡くなった夫・武さんが保管していました。
4年前に写真の寄贈を受けた海老沢さん。そのとき聞き取った内容は、写真の概要や、写真を保管していた新井さんの夫の体験にとどまっていました。
そのため今回は、写真だけでは分からない新井さん自身の話を聞き取るのが目的です。
私はちょうど大橋の兵器工場にいたから。爆心地から1.1キロのところにいたんですよね。
事務所の方にいらっしゃったんですか
事務所だったから助かったんですよね。工場はみんな潰れて大変だった
原爆にまつわるつらい体験だけでなく、
戦後の楽しかった思い出についても質問します。
楽しい思い出とかありますか?
食べるものがなかったから映画に行くのが一番楽しい。映画は早く復興したからね。
そして海老沢さんは、この日の調査で、
寄贈した写真に対する新井さんの思いを初めて聞くことができました。
写真を見たときは、あのときを思い出して「嫌ね」と思っていた。もう戦争は2度とするものじゃない。やっぱり残してもらいたいよね、「こんなことがありました」ってね。ちゃんと後世に伝えてもらえれば
被爆者なき時代が来ても、生きた体験を資料が伝え続けるために、
最後のチャンスとも言えるこの時代。
海老沢さんは1人1人の思いに寄り添って、調査を続けていきます。
この話を聞けるのもまた貴重な時間なので、1つ1つことばを逃さないようにしっかり記録して、今後の展示や継承をさせていただきたい