2011年の東京電力福島第一原発事故後、福島から東京に逃れ、13年間の避難生活を送る鴨下美和さん(54)、全生(まつき)さん(21)の親子に話を聞く講演会が27日に神奈川県大磯町である。

 鴨下さんのいわき市の自宅は、原発から南に約40キロで、おおむね30キロ圏内に出された政府の避難指示区域外だった。

 しかし、大学で生物工学を学び、放射性物質を扱っていた美和さんと夫の祐也さん(55)は子ども2人を連れて避難することを決め、避難所を転々とした後に都内の「みなし仮設住宅」で暮らしてきた。今もいわき市の自宅周辺の放射線量の測定を続けている。

 政府の避難指示区域の内と外では支援や賠償額が大きく異なる。区域外の避難者には、わずかな賠償金と期間を限った住宅提供があっただけ。

 被災当時、国立福島高専の准教授だった祐也さんは、国と東電を訴えた訴訟の原告団長を務めながら、他の避難者と「ひなん生活をまもる会」を結成し、避難住宅の継続を求めてきた。だが、都は2022年3月、住宅の明け渡しなどを求め、鴨下さんを提訴した。

 この間、経済的な問題以上に親子を苦しめてきたのが、国の線引きで「自主避難者」とされたことによる社会の冷たい視線だ。

 「『復興』を急ぐ国から、区域外の汚染はなかったことにされ、帰還しない人を非難する風潮がつくられている」

 原発事故当時8歳だった全生さんは、転校先の学校でいじめられるようになり、次第に避難者であることを隠すようになった。

 「何も悪いことをしていないのに」。そんな心が砕け散りそうな思いをローマ教皇に面会して訴えた。以来、実名で体験を語るようになった。

 全生さんは「無関心が一番つらい。多くの人に私たちの訴えを聞いてほしい」と話す。

 講演の前に、地元の小中学生・高校生の団体による、福島から避難した子どもたちの思いを表現した詩の朗読もある。午後1時半から、JR大磯駅前の聖ステパノ学園・海の見えるホールで。問い合わせは主催団体の一つ「福島の子どもたちとともに・西湘の会」のホームページへ。(足立朋子)