義務教育の毒を抜く。
義務教育の毒を抜くのに十二年かかった。三十歳になるまでは「こうあるべき」に苦しみ、何者かにならなければと焦り、しなくてもいい苦労をして、他者と比べ、自分の優位性を誇り、他人を、味方ではなく敵として認識していた。金があっても「いまはいいけどこれからは」と不安に思い、足りない足りないの欠乏感に悩まされ、自分を満たしてくれる外側の何かを求めた。だが、三十を超えたあたりから義務教育の毒は完全に抜けたようで、不安はなくなった。
調子が悪い時は「悪いのは俺ではなくて毒」と思うようにしている。この思考は、自分を過度に責めなくて済むから気に入っている。多分、昔の人は、悪霊や妖怪の仕業にしたのだろう。毒には数種類ある。所有物の多さは物の毒。考え事の多さは頭の毒。老廃物の多さは体の毒。モノを捨てるとスッキリする。捨てる前には気付けないが、捨てた後に「そりゃあ、こんなに持っていたら苦しくなるよね」と思う。毒は、抜けた後に「自分は毒されていた」とわかる。
長崎在住の女性R様から「断捨離を手伝って欲しい」と連絡をいただいた。R様は若年性の乳ガンで、酒もタバコもやらないが、十年前の失恋がガンを作ったのだと思うと言った。酷い振られ方をして、男の人を信じられなくなり、誰かを好きになることもなくなり、他人に合わせて我慢我慢の日々を生きていたら、病気になった。だから、今の自分にはもう必要のないものは捨てたいと思って連絡をしたのだと言った。一年以上使っていないものは捨てた。途中、R様は何度も「きゃー!」と叫んだ。捨てたいのに、捨てられない。変わりたいのに、変われない。一人の人間の中に、相反する感情がある。
空間がモノでいっぱいになると、神様が入り込む余地がなくなる。空洞ができて、道ができると、神様が通る。神様を「運気」と言ってもいいし「循環するエネルギー」と言ってもいい。余計なことをするより、まず掃除。掃除が一番綺麗になる。物の毒は断捨離で消える。頭の毒はスワイショウで消える。体の毒はフランス式のファスティングで消える。増やさない。捨てる。増やすのには金がかかるが、捨てるのは無料。準備も要らない。いますぐ取り掛かれる。野宿も効果的だ。「ベランダで寝てみよう!」と提案をしたが、このアイデアは却下された。
R様は「失恋の痛みでハートのチャクラが閉じてしまって、病気になったのだと思う」と言った。撫でて欲しいと言われて、撫でた。いい感じにエネルギーが巡る時、撫でる方も撫でられる方も気持ちが良くなり、エネルギーが巡る。アダムとイブは禁断の果実を食べて、楽園を追放された。キリスト教における罪とは「的外れな生き方をすること」だと言われている。禁断の果実の話は、自己中心的な人間の悪を糾弾するものではなく「裸を恥ずかしく思うこと」こそが罪であり、諸悪の根源だと言っているように思う。私たちは、自分の裸を恥ずかしいものだと思わされて、武装したり、自分を取り繕うように教えられる。だが、この世で一番インパクトがあって、パワフルなものは裸だと思う。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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