2024-08-06

読むか…一握の砂

一握の砂・悲しき玩具石川啄木による歌集である。有名な歌に

頬につたふなみだのごはす一握の砂を示しし人を忘れず なとがあるが今回はその中で個人的に好きな歌を紹介しようと思う




すこやかに、背丈のびゆく子を見つつ、
われの日毎にさびしきは何ぞ

石川死ぬまであと数年という時に読んだ歌である

さびしきは何ぞと読む側に問わせてはいるが

その答えは本人にしかからないだろう

私は別に妻も子供もいないがなんとなくこの気持ちがわかる…


ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼く真似をしてみぬ、__

妻子の留守に、

もう妻も結核ことなんか知っているのだから

留守にやらんでもとは思うが、そこが石川不器用なとこではある。しかし、この歌には季語などは無いが、どうしてか冬を連想してしまうのは

何故なんだろう。短歌マジック…?


ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆ

拙者、訛でふるさとを懐かしむ描写大好き侍

それでなくそなのが余計にいい

うん、いい。



教室の窓より逃げて
ただ一人
かの城址に寝に行きしか

本来は逃げるではなく盾みたいな字なんだけど

変換に出てこないからこれで許して。

あの有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の前にある歌

それにしてもこの十五とは何時なんだろうと思えば年表にはこうある

明治三十三年(1900年)十五歳

教室から抜け出して不来方のお城で寝転んだのは

この頃。鉄幹、晶子に心酔。

と。はえ〜今から100年以上も前の話だったんすね

いつになっても変わらんものは変わらんなぁ

庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬は飼はぬと妻にはかれる。

この一握の砂・悲しき玩具はこれで終わる

(おまけを除くと)

私は最初読んだ時、愉快な歌だなぁと思っていたが、そうではないらしい

これは石川結核死ぬ寸前らしく、飼ってもあなたはそんなに戯れられんでしょという妻の優しさかららしい。よくわかんないけど

それにしたって「妻にはかれる。」って

なんかいいな。悲しいけど

ぢつとして寝ていらつしやいと
子供にでもいふがごとくに
医者のいふ日かな。

これ、ほんと悲しい

文字数が足りないぐらいに悲しい



新しきサラドの皿の
酢のかをり
こころに沁みてかなしき夕

よく石川クズエピソードだけを取り上げ、クズクズだと囃し立てる人はいるが、果たしてその人らは石川啄木作品をどのぐらい読んだのだろろうか?そして、この歌の様な石川の心情をどれだけ分かってやれるのだろうか?

石川の心情を構うことなくただ囃し立てる人らこそ私にとってはクズしか言いようが無いんだが

最後

こういふ様な想いは、俺にもある。二三十年もかけはなれた此の著者と此の読者との間にすら共通の感ぢやから、定めし総ての人にもあるのぢやらう。(藪野椋十)

一握の砂・悲しき玩具とは改めて読んでみると

本当に日本人らしい歌集であると思う

時にはクズになったり時にはいい一面があったり

石川にも俺にも共通するそれがこの歌集を好きにさせてくれているのだろう。紹介した歌はまだ

本の一部である。他にも優れた歌はたくさんあるし、これはダメだろみたいな歌もあるにはある

だが、それに出会うにはやはり読んでもらうしかない。誰かが言葉は詰まるところ暴力だとか言っていた。この歌集を読むとそれがよくわかる

私は趣味短歌をやってる様なしがない人物

だが、永遠石川啄木には憧れつづくだろう

  • ふるさとの訛懐かし〜は、上野駅の地平ホームに碑が建ってて雰囲気良いのよね。上野東京ラインができてあまり使われなくなっちゃったのが残念だけど。

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