夕暮れ時。2階建ての戸建て物件。その玄関ドアの金具にテープを貼った。ドアの開閉を確認したいからだ。剥がれていたり捻れたりしていればそれがわかる。

1階も2階もベランダのシャッターは閉じられている。水道メーターは動いているが、2週間前にはガスと電気は停止していた。

契約者は男性で名前はD。40代半ばだ。妻、娘2人の4人で入居。保証委託契約書にはそう記載されている。

およそ家族が生活できるとは思えない。ただしドアの開閉は常にある。玄関前の駐車スペースには、車がいつも停まっている。動いた形跡は常にあった。タイヤの位置でわかる。

彼の仕事はよくわからない。東京都心のアクセサリー関係の会社とのことだが、いつ電話しても誰も出ない。WEBサイトもない。

年収は1000万円と保証委託契約書には記入していたが、所得証明を取得しているわけではないので本当のところはわからない。

それでも、1年程度は月14万円の家賃を遅れながらも払っていたのだから、それなりの収入があったのだろう。駐車スペースの車も、いい値段の外車だ。

PHOTO:まちゃー / PIXTA

延滞発生。3週間程遅れて支払う。延滞解消後またすぐ延滞発生。このサイクルの時は電話にも出ていた。しかし2カ月分の延滞をするころになると電話にも出なくなった。

最初に訪問したときは、少し驚いた。

ドアを開けて顔を見せたのは女の子。学校の制服を着ていて、見た目からして中学生だ。細い黒髪が印象的だった。掛け値なしの美少女。そこらのアイドルを圧倒する可憐さだったと言い切れる。

もっとも、延滞客の娘が美少女だからといって何が変わるわけでもない。表情や態度にも当然、一切出さない。TVドラマのサラ金でもあるまいし、私は子供相手には家賃滞納の話もしない。

単に契約者宛の通知と名刺を渡して、両親の帰宅時間を質問し、帰るだけ。子どもからはほとんどの場合、帰宅時間はわからないと言われる。そういう教育なのだろう。

3カ月分延滞が溜まるころには、その娘と会うこともなくなった。

契約者の妻ともう1人の娘は、居住していたのだろうか? その娘以外に誰かが出てきたことがない。声を聞いたこともない。保証委託契約書に記入された緊急連絡先は妻の父親だった。連絡を、Dかその妻からもらえるよう頼んだこともあるのに。

私は玄関ドアを離れ駐車スペースの端に向かった。ボードと白紙をバッグから取り出し、敷地と建物を描く。描くといっても、上空から見たと仮定して2次元的に大体の形がわかる程度のものだ。

建物は四角。駐車スペースは長方形。それらを囲む敷地は長方形といった風に。大きさを目測して記入する。

訴訟資料として弁護士に渡す建物や敷地の図面だ。簡易なもので問題ない。賃料が高いので、延滞3カ月分の段階で明渡訴訟を提起することは決めていた。

念のため建物の外観も撮影していると、ドアが開いた。何度かノックしても出てこなかったのに。電気やガスも停まっているのに。

何をしているのか、と凄んできた。こっちのセリフではあるが、社名と苗字を名乗り挨拶した。Dかと尋ねると「あぁ」とだけ答えた。

腹に膝蹴り、顔には唾…

髪はオールバック。赤いシャツにベージュのスラックス。やや古びた革靴を履いている。背は私より高い。180センチくらいで、肥満ではない。

今までどうしてたのか? 続けて尋ねた。訴訟の準備中だと付け加えて。

「(支払いは)来月まで待て」

ぞんざいに言い捨てて車へ向かおうとしたので、根拠を尋ねた。Dは振り返り私の胸ぐらを掴んだ。顔を近付けて睨みつけてきたDの顔が離れた瞬間、膝蹴りが脇腹に入った。

また私に顔を近付けたDが「うるさいんだよ!」と叫んだ。唾が顔に飛んだ。

ダメージと呼べるものはない。Dから少し距離を取りポケットからスマホを取り出し110番をプッシュした。

全ての家賃保証会社がそうではないかもしれないが、延滞客と対面で交渉する際にはボイスレコーダーで録音している。脅されたとか苦情が入った際に「そんなこと言ってません」と証明するためだ。

膝蹴りをされた、と口に出しボイスレコーダーに録音する。

私は、特に仕事中は感情を抑圧してしまう。仕事中に「キレる」ことが苦手というか、できない。いわゆる「社畜」体質と言えるのかもしれない。

電話に出た警察の係員に住所を伝えていると、Dが再度近づいてきた。私のつま先を踏みつけたDがまた顔を近付ける。

「警察呼ぶなら呼べよ」

呼んでるだろ? 無視して通話を続ける。

日本の警察は優秀だ。15分くらい経つとパトカーがやってきた。車から降りた2人の警察官が、私とDそれぞれに聴取を始めた。

PHOTO:PicStyle / PIXTA

「コイツ、キチガイなんだよ! わけのわからないことばっかり言ってやがる! 俺は何もしてない! コイツのアタマがおかしいんだよ!」

Dが警察官相手に怒鳴っているのを横目に、なぜ私がここにいるのかを簡潔に説明した。

「暴力を振るわれました。録音はしています。膝蹴りをされました」

私が、被害届を出す、起訴してほしいと言い張ったので、そのまま警察署へ行くことになった。

ボイスレコーダーの録音を警察官にも聞いてもらったが、膝蹴りの音が入っているわけでもない。何かの証拠になることはないだろうな、と私ですら思った。22時を過ぎるころに質問や調書作成は終わり。

担当の警察官は私の目をまっすぐに見つめた。3秒ほどが経過して、口を開いた。

「あなたの悔しい気持ちはわかります。ただ、起訴されるかどうかはわかりません」

翌朝、出社した際に私の顔を見た上司は「大変だったねえ」と大笑いしていた。それから「起訴してほしい」と言い続けろと指示された。警察沙汰でこちらが被害者であれば、Dと交渉する際に立場上有利になるからだ。

もっとも、起訴になんてならなかった。Dと交渉する機会もなかった。

2カ月経っても検察で判断中と担当警察官に言われたころには、どうでも良くなって、進展を聞く気もなくなった。それにその2カ月の間にDの件は「解決」――明渡完了してもいるのだ。

Dと会った4日後に、契約者の妻と名乗る女性から電話が入った。

えらく気の強い口調で、Dとは離婚し娘を連れて転居済みであると彼女は言った。部屋のことは知らない、好きにしてくれ、自分の荷物も無い、もう関係ないと続けた。

「妻は退去済み」であるという書面が欲しいから郵送したいと説明する。「知り合いの男性宅」に娘と身を寄せているそうで、その住所を教えてくれた。

それから、物件は誰の使用もなくなった。ドアの開閉はない。水道メーターも変動しない。駐車スペースの車もなない。ベランダのシャッターは相変わらず閉まっている。誰もいなくなった。夜逃げしたのだろう。

建物に入ると、荷物はほぼ運び出されていた。ゴミ袋が転がるリビングの壁には大穴が開いていた──。

PHOTO:kker / PIXTA

管理(回収)担当者が叩かれる日が来たら

X(旧Twitter)で「家賃保証会社」を検索してみる。家賃保証会社への不満、批判が多く出てくる。とあるネット媒体は「家賃保証会社の従業員は賤民扱いされて当然」という意見を無批判に掲載していた。

日本に賤民なんて階層が存在するのか知らないが、とっても嫌われているのが家賃保証会社である。私はその感情を少しも否定しない。

冒頭で書いたように家賃保証会社の管理(回収)担当者が猛烈に世間様に叩かれる日が来るかもしれない。そうなっても仕方ない部分が確かにあると、私は思う。

今後、明らかに管理(回収)担当者が加害者であるケースが報道されるかもしれない。

しかしそういうケースが出現したからといって、管理(回収)担当者全員が同じく加害者というわけではない。

そんなの当たり前だろう? 管理(回収)担当者も延滞客もいろいろだ。1つの簡単な構図「だけ」しかないなど、人の世で有り得ないと思われるかもしれない。

全くその通りなのだが、往々にしてそうはならないのが世の中である。

管理(回収)担当者の中にも可哀そうな人間がいる。延滞客から殴られたり蹴られたり監禁されたりする人間もいる。

だから、何かの拍子で家賃保証会社の管理(回収)担当者が加害者として世間様から盛大にぶっ叩かれる日がきたら──「でも、そうじゃない奴もいるよな」と、当然の真実を思い出してくれたら私は嬉しい。

(元家賃保証会社社員・0207)