渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「戦争を知らない子供たち」(1970)

2024年08月06日 | open
「戦争を知らない子供たち」(1970)
 
大嫌いな曲だった。今でも
嫌いだ。
ベトナム戦争で日本からベ
トナム人を殺す
爆撃機がバン
バン飛んでる時代に、なにを
薄ら寝ぼけた安全地帯での
寝言を歌って
いるのかと、
小学4年の私でさえ思ってい
た。
 
この歌謡の流れは、学生運動
の反戦闘争や
ベ平連の反戦運
動や学生の全共闘運動とも

ッパリと袂を分けていた。
まして、前々年、前年の新宿
西口広場の
フォークゲリラや
新宿騒乱事件とも方向

異にしていた。
要するに、昭和大戦争が終わ
って戦後の
平和な時代に生ま
れた子どもの「僕ら」は、
戦争なんて野蛮な事は無縁
ですよ〜、戦争
はんたぁ〜
い、という趣旨の曲だ。
 
自分たちだけ安全地帯にいる
つもりで何
を言ってるのか、
このおっさんたちは?
と小学生の私は強く感じて
いた。
これは、嘘だ、と。嘘を歌
っている、と。
実際には、日本政府はタイム
リーに戦争
加担していた。
日本国内を占領している米軍
の基地からは
戦争のために船
舶、航空機がひっきりなし

出撃していた。
横須賀線の線路を走る貨物列
車には、ベト
ナム戦争用のタ
ンクがすずなりに積載され
それが毎日線路を通って
いた。
それを目の当た
りに小学生
でさえ日々見ていた。
 
そうした現実を直視せずに、
自分たちは
関係ありませぇ
〜ん、という立場を取る
いい年ぶっくらこいた
「大
人」がいる事のほうが
頭おかしいのでは?と
か小
学生の私は感じていた。
まだ、全学連のヘルメットや
反戦のヘル
メットを被った
労働者が機動隊にどつき
まわされながらも反戦闘
争に参加している
ほうが
「人としての心の真(まこ
と)」がある
ように思えた。
街頭での全学連の演説にして
も、聞いて
いて難しい言葉が
多くて小学生にはよく
分から
ない
所もあったが、言いた
い趣旨
は小学生にでも理解
できたし、反日共系全学連
アジ演説は聞き入らせた。
要は、主体の問題なのだな、
と。それだけは理解できた。
「自分は日本人である限り、
今のベトナム
戦争の加担者な
のである」という自覚の
大切
さだ。
私は小学生の時、自分たちの
立場に刃を
向ける全学連(反代
々木系)の大学生のお兄
さんた
にある種の漢を見た。演
説を聴いてそう
感じた。
それが1970年安保を前にした
60年代末期
の首都の風景だっ
た。
 
一方、街では、ベトナム人殺
しに加担して
までも自分ら
の城内平和を謳うムラ意識
のエゴイストたちのニセ平
和讃歌である
この曲が流れ
ていた。
「数は正義ではない」という
事を10才の
私は
知った。

このレコードジャケットの
場所を見よ。
ベトナム戦争で人がどんど
こ殺されている時に、お祭
り騒ぎで日本は平和でああ
良かったね、の大阪万博の
カーニバル会場だ。
この曲を歌う連中の心根が
よく判る。
私も万博には行ったが、払
拭できない違和感がその場
でもずっとあった。
10才のその時に。
このお祭りは何なのだろう、
と。
ベトナム戦争は関係ないの
だろうか?
本当に僕らと関係ないと、
この浮かれた人たちは本気
で思っているのだろうか、
と。
だとしたらそれは何なのだ、
と。
小学生の少年はそう思った
のだった。



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