言論の質は、人格に担保される。
誰も言わないし、似たような言葉を見たこともないけど、私はそう思う。
いい言論は、いい人格から出てくる。
コンスタントにいい言論を出す人は、いい人格を備えている。
いい人格ではないと、いい言論は吐けない。
悪い人格からは、悪い言論しか出てこない。
悪い言論は、それを書く人の人格がにじみ出ている。
って考えると、結局、「言論とは人格である」とも言えそうだ。
- 司馬遼太郎
- 吉田満
- 山本七平
- 福田恆存
- 小島直記
私が影響を受けた言論人を思いつくままに並べてみた。
みなさんそれなりの、いや、素晴らしい人格を備えた方(のはず)。
他に思いつくのは、曽野綾子、森信三、
逆に、だめな言論を言うだめな人格… たぶん無数にいる。
鈴木エイトの人格を見て、彼の言論の質を測っている。
不誠実な人間は、不誠実な文章を書く。
たとえば、嘘かまことかわからない事実に対して、正直に「真実は不明」と書かずに、ポジショントークをして、「◯◯だ」と言い切っちゃうとか。
鈴木エイト氏の人格や如何。
彼は、不誠実で、見下げた根性をしている。卑しい品性をしている。
この目で何度か見た。この身で何度か体験した。
例えば、先日の東京地方裁判所の法廷。
12.5年拉致監禁された後藤徹さんを代理しての、鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟。
エイト氏が、意見陳述の指定時間3分を守らなかったので、私が相手方代理人弁護士としてそれを指摘したら、彼は私が「不規則発言をした」と、醜い雑言を言い放つ。
まとめはこちら
この行動に、彼の人格が投影されている。
こういう人間の言うこと、書くことを、私は一切、信用しない。
おお。
思い出した。
「文は人なり」って言うじゃないか。
文章に人格が出るってこと。
言論の質は人格が担保する、ってことだろう。
品性下劣な人間の言うことを信用してはならない。