土子泥之助(剣豪)

Last-modified: 2024-07-16 (火) 21:17:28

登録日:2024-07-15 (月) 17:01:39
更新日:2024-07-16 (火) 21:17:28
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Tag: 剣豪 一羽流 人物 土子泥之助 一羽の三高弟




生没年不詳

安土桃山時代の剣豪。

土子(ひじこ)泥之助は師岡一羽(剣豪)の弟子。常陸?・江戸崎の出身といわれる。
門人は天真正伝神道流の剣客・水谷八弥が有名。

父は宇都宮藩士の・武藤兵庫介。
槍術指南の丸山団蔵に殺された父の仇を討つため本名の武藤瀧太郎の名を隠すにあたり、
偶然出会った一羽が連れていた岩間小熊と小競り合いをして泥田に落とされたことから土子泥之助を名乗ったという伝説がある。

土岐原氏に重臣として仕えていた一羽は塚原卜伝(剣豪)の弟子で剣術を教えるのに身分の隔てなく接し、稽古代金を取らなかったので、武士や百姓、商人などがこぞって一羽に教えを請いに来たという。
土子泥之助は岩間小熊(剣豪)根岸兎角(剣豪)とともに『一羽の三高弟』と称された。

北条氏に従属していた土岐原氏が為に豊臣秀吉(戦国武将)の小田原征伐(北条征伐)に伴い滅亡すると、
一羽はやがて病に倒れてしまう。

三高弟のうち兎角は『薬を買ってくる』と言って出たきり病気の一羽斎を見捨て出奔。
泥之助は小熊と共に自らの私財を投げ売って師匠の看病と道場の切り盛りをしたが、
その三年後に一羽は看病の甲斐無く死亡。道場も畳まざるを得なくなってしまう。
葬式の参列者は泥之助と小熊だけだったと伝わる。
出奔した兎角が愛宕太郎坊天狗?から授かった微塵流と称して江戸に道場を開いていることが評判となると、
師を見捨てるのみならず抹消する行いに腹を立てた泥之介と小熊は
「片方が兎角を討ちに行き、片方が道場を継ぐ」という内容でくじ引きをし、その結果小熊は兎角を追って江戸に向い、
泥之助は鹿島明神に参詣して「兎角は恩知らずです。日本中の鹿島神社を修繕してもいいのでどうか小熊を勝たせてください。
もし小熊が負けたら次は私が戦いますが、千に一つも私も負けたらこの神社まで戻ってきて腹を切って?未来永劫ここが荒地になるよう祟ります(意訳)」
と小熊の勝利を祈る脅迫状願文を奉納し、江戸で小熊は兎角と勝負して勝つが兎角の門弟に暗殺された。
江戸に様子を窺いに行ってこれを知った泥之助は江戸への旅の途中で門弟とした甲州武田家の浪人・水谷八弥とともに一羽斎の没後も道場を続け、
やがて水谷八弥に跡を継がせたのちに常陸の島崎城で家老を務めたという。

講談『寛永御前試合』では土子土呂之助の名で登場。師が今際の際に叫んだ難波角左衛門を追う。
故郷の常陸で田を荒らして村人を困らせている大亀を退治したが、武者修行の旅の途中で泊った
鎌倉の宿屋で踏み台として使われていた甲羅に足を取られて転倒した傷が元で破傷風にかかり命を落とす。

跡を継いだ水谷八弥は土子泥之助の門人で遠州横須賀城主の大須賀(おおすが)康高につかえたという。
豊臣秀頼につかえ大坂夏の陣で戦死した家所伊右衛門の師匠で、
アニヲタ的には南條範夫の時代劇小説『駿河城御前試合?』の主役兼悪役としての出演が有名か。

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