この記事はmixiに書き散らかしたものですが、少し加筆しながら考えてみたいと思います。
最初にお断りしますが、コレは私の経験が主ですので普遍化はできないかもしれません。



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中学生に「BLって知ってる?」と聞かれ、「はぁ?」と思ったけど、よくよく聞いてみたら「やおい」のことだった。
「あ~やおいのことねぇ」と答えたら「やおい?聞いたことあるなぁ」とか言われて、がくっとした。

私たちの世代はマンガやアニメの男キャラを使って、恋愛させることをやおいと言っていた。今の中学生はBLといっているようだ。

私の記憶の中で一番古いやおいは「キャプテン翼」の健×小次だ。
健とは空手を習っているキーパーの若島津健で、小次とは言わずもがな、日向小次郎である。日向君が「ヤられる方」で若島津君が「ヤル方」。
これってどのくらい前だろう。たぶん、知ったのは中学に入ってからだけど、存在していたのは小学生くらいだろうから、たぶん20年前だろう。

そのあと、「聖闘士星矢」(聖闘士星矢はカップリングが多過ぎて、これというものがないけど、たとえば一輝×瞬とかかなぁ)とか「スラムダンク」(流川×花道とか)とか果ては「沈黙の艦隊」(深見×海江田とか)までもがオタク女子の餌食になっていた。


で、このBL産業を支えているのが30代女子ということなので、まさに私の世代だ。

ポルノを考えるに当たって、やおいも考えないでは、片手落ち。
考えてみよう。

<特徴>
・恋愛するの(セックスを含め)は男キャラと男キャラ。
・製作者、購入者ともに女性が中心。
・ラブコメ調のものもあるが、かなり激しい性表現もある。その性表現が多いものが売れる。
・やおいに目覚めるは中学生ころが多い(のでは?予想)
・あくまで二次元で、三次元を望まない。
・やおいを楽しみながら、ふつうに彼氏がいることと対立しない。

そんなものかなぁ。

<資料>
http://guideline.livedoor.biz/archives/50999453.html


<考察>

思春期に性に関心を持っており、エロティックなファンタジーを得たいと思っているが、男性向け、もしく女性向けであっても、男/女のセックスに嫌悪感を持つ。なぜなら、ヤラれる側が必ず女であり、そこに自己を投影せざるを得ないからである。さらに言えばたとえ女がSの場合であっても、女の身体が書かれている限り、読者である女子はそのS女に自己を投影さえざるを得ない。自己と関係のない、自らが安全な立場で楽しめるのは女が出てこないポルノでしかない。

これは、女性と男性のポルノの見方の違いを端的に表す。
男性は女を客体をして、鑑賞する。よって、演者のひとりである男には自分を投影したりしない。なので、「ハメ撮り」なるジャンルが成立する。男は画面に一切出てこなくても、問題はない。ひたすら女の姿だけをとらえればいいのである。
(ここ最近の傾向はここから離れつつあるようですが)

女性は演者である女に自己を投影する。相手の男を見て興奮することはほぼない。そういう理屈から考えると女性向け「ハメ撮り」は意味がない。女がカメラを持って、ひたすら感じる男を撮影しても全くウケないだろう。

したがって、観客として、主体としてポルノを「見る」ためには女の身体を持つものがポルノに出てこない方が、(特に思春期の)女性は安心して見ることができるといえる。

さらに、男だけが写っている、女性の「ハメ撮り」でもいいのではないか?という反論があるかもしれないが、それは否である。
一人だけでは、セックスをする二人の関係性が見えてこない。
やおいに必要なのは恋愛する二人の関係性とストーリーなのである。

資料では、男性嫌悪があらわれている。
ポルノという媒体で「女性に対して自分勝手に女性のセクシャリティをもてあそんで、女性も満足しているという男性の姿への嫌悪」や、「そんなにやりたきゃ、男同士でやってろ」「所詮オカンの代わり」という言葉から推測できる。

もっと注目したいのは「男との女の関係には夢がない」とか「女性であることの諦め」という女性性に対する絶望も読み取ることができるのではないか?現実の女の恋愛は恋愛にとどまることはない。その後がある。「お姫様は結婚して幸せになりましたとさ、めでたしめでたし」はあり得ないことを知り尽くしているが故の、絶望感だ。


女子の一部は思春期に、「なんでセックスしなければならないのか?」と苦痛を持って不思議に思う。

これよく分析してみると、やっぱり「セックスをしなければ」というより「やられなければいけないのか」という絶望にも似たものだったように思う。
しかし、私の頃は(今もいうのか知らないけど)「やらハタ(やっていない二十歳)」とかいって、二十歳過ぎて処女は恥ずかしいという文化は存在したし、私もそういう価値観を刷り込まれていた事は確かだ。

思春期以下の女子にとって「やられる文化」は恐怖以外の何者でもない。
ポルノでアレだけ「モノ化」されているのなかで、さらに痴漢と毎日闘っており、「ポルノばファンタジーで痴漢は異常者で、本当のセックスはすばらしいものなんだよ、愛しているならやるのが当然なんだよ」という欺瞞に満ちた言葉は「汚いもの」以外の何者でもないと考えるのは以上ではないだろう。自分の身体をただの肉の塊にされるわけなのだから。

たとえばBLでは、キャラ同士が仲間だったり、友達だったり、または兄弟親子だったり、部下と上司だったり、教師と生徒だったりする。その中で、恋愛が始まる。
で、その恋愛が始まったとしても、たとえばキャプテン翼だったら、チームメイトで、一緒に戦う仲間であることは続く。
しかし、ふつうの男女の恋愛だと、恋愛が始まったところでただの男と女になってしまう。
もっと過激な言い方をすると、それまでは一緒にいた仲間でもセックスしたとたん「おれの女」になる。この「おれの女」の女はすでに仲間から一歩劣った存在になる。

女という属性が顕在化したとき、それは一人の仲間(人)として扱われなく。
しかし、BLではそういうことを回避できる。恋愛対象でありながら、一人の人格、仲間として受け入れられるのだ。
肉の塊を回避することができる。

しかしながら、その実、キャラクターが欲望される事=「男からの欲望」に欲望するわけが、それが自己そのままに受ける事を嫌悪しているのだろう。「男からの欲望」に欲望することをキャラクターを使って表現する事は一人の人間として愛されたいということではないのか?でもそれは現実では見果てぬ夢であるから、BLに逃げ込むでいると考えることができるかもしれない。



結論として、BLは一番男性向けポルノと対等な関係にあると思う。
男性を完全に都合よく配置し、性欲を刺激し、尚且つ自己は決して傷つかない。
「二次元の男児を陵辱しても誰も被害はない」といわれれば、今の二次元児童ポルノ擁護論と同じでしょう。
そしてそれを愛好するのは女子であるならば、それを実行する事は出来ない。
なぜなら、愛好者は男と男の絡みがみたいのであり、愛好者が女性である限り、それは不可能。
ここは男性向けポルノと違うところで、男性は実行する事が出来る。するしないは男性の「選択」次第。

さて、それではマッキノンのいうようなポルノ批判がやおいにもできるか?というと、難しいのではないかというのが私の結論。

簡単すぎなので、もうちょっと。

ポルノというもの肯定した場合、女性が安心して見ることのできるポルノとして、考えることができるだろう。
しかし、問題は「女性性への絶望感からの逃避」や「男性への復讐として『男の凌辱されたところが見たい』」というのはどうなんだろうか?
そういう趣味だというのと、復讐や嫌悪のためにというのはどうなんだろうか?
「逃避」としてのやおいは、まさにフェミの問題だなぁと思う。
「復讐」としてのやおいは私は肯定できない。
やられたら、やり返せというのは適切な対処だとは思わないから。


で、結局私はどういう意見なのか?というと、BLはポルノであり、ポルノである限り私はもろ手を挙げて賛成は出来ないが、唯一女性が作り出したポルノであるというところはこれからの議論で何か手がかりになるのではないかなぁと思う。



しかしながら、ポルノの暴力性が消えてなくなるわけではない事は、追記したいと思う。