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今日はクリスマスですね。メリクリ〜。ローストチキンをぎゅうぎゅ焼きで焼いてみました。
twitterでは「クリスマス粉砕デモ」も昨日やっていたってのを見かけたんですけど、うちは普通にチキンとケーキ食べました。家族の日でカップルの日ではなかったです。

さて、この前twitterでこんな会話をしました。




この件については前から色々なんだかとりとめなく思うところがあったんですけど、最近は多分本人たちにとっては必死なんだろうなと。
ヨハネさんのtweetで改めて思ったわけです。

モーメントにも載せておきましたが、彼らが何を望んでいるのか、何を欲しているのかがわからないのは、彼ら自身がわかっていないからだろうなとも思っていて、時々TLに流れてくる 、村上龍botの言葉を借りれば



(このbotが本当に何だか定期的に流れてくるんだけど、誰だよ流している奴は)

自分が何を欲しているのかわからないので、こじれにこじれているように見える。

金のないキモいおっさんっていうフレーズからわかることは、お金がないこと、キモいこと、若くない男性のことなんだけど、だいたい言及されるのは、彼女がいないとか結婚できないとかセックスができないとかそういうことなので、労働問題とかルッキズムの問題とか男性社会でのマウンティングの話とかそういうことよりも、対女性との関係性の問題がメインなのではないかと思われる。





これを見ると
キモくてカネの無いオッサンの「キモさ」なんて、例えば性交渉経験の有無とか結婚歴の有無とか恋愛経験の有無とか色々指標を使って概念的に精緻に考えられるでしょうし、この概念は勝手な俺かわいそうルサンチマンの産物とか言って片付けるのではなくそういうのが本来社会学者様の仕事でしょうが。

 
とあるように、やっぱりセックスとか結婚とか恋愛とかそういうものが指標になるようだ。
 男性性は確かに最後の砦かも知れないが負担ださ諦めなさいとメンズリブのように非モテを諭したとしても、結局世の中は男性性を十分に体現したモテもする男性達が男性性を存分に発揮して回っていくことには変わりないのであって、非モテにだけ仏教かストア派を奨めている感じになりますよね。

モテる男を尻目に指をくわえてみていることに苦痛を感じている。ここが大事なところで、「モテる男と自分を比べた時の苦しみ」と「自分が女から振り返ってもらえない苦しみ」とどちらが本質的な痛みなのか?というところが一緒くたになっているように思える。

「某広告代理店の今炎上中マンのようになりたい。」

という感じが見え隠れしているように感じるのですよ。これ前者の苦しみ。そうなれない自分が哀れで、そうさせない社会が憎い。そういう風に聞こえるんですよ。

後者の、自分を愛してくれる人が欲しいという痛みとまったく違うことがわかりますかね。


広告代理店炎上マンは女性を「性的な存在」としてしか見れない人なんだと思う。
女は「やれるか、やれないか」としてしか見ていない。
やれない女は価値がない。意味がない。
そういう世界。でもそういう世界は性別に関係なく「利用価値があるか、ないか」でしか相手を見れないし、それしかない世界だから、男もセクハラ、パワハラにあう。
で、それが「男らしい」とされてきた社会。
童貞を嘲るのもこの社会。

女をあてがうしか救われない男

という発言はこの↑社会の話。

女をあてがうと「何」が救われるのか?ってところに説明がないんだよね。
そこが一番大事なのに。
救われるって、何がどう救われるんだろう。
女を性的な存在としてしか見ていないからそんなことが言えるわけ。
人を利用価値で見るのなら、その人からも同じように自分の利用価値を見定められるだろう。
それで何が救われるのだろう。
女がいたら、何が救われるのか?
その女はどんな女で、何をしてくれる女なのか。
何を期待するのか。
そういうことを一つ一つ丁寧にほぐしていかないと多分、何も救われない。


で、この話題にピッタリな1曲を。