2024-08-04

夫が他界して半年が経った

子どもがおらず、ふたりとも働いていたので(もっと最後の2年くらい夫は働けていなかったが)、なんとなく私たち独立した個人で、ただ好きあっているので一緒にいるだけなのだとどこかで思っていた。一緒にいることもあれば、お互いの趣味や友人についてそこまで深入りすることもなく、それはとても理想的だと思っていた。

それがひとりぼっちになった途端、足もとかおぼつかなくなっている。私個人の外側に置いているとばかり思っていた夫は、ずいぶん私の中に入りこんでいたらしい。夫という一部を失った私は、自分輪郭が分からなくなった。どうして毎朝起きるんだっけ。何で毎日食べるものを考えて作ってご飯を食べてるんだっけ。今、立っている場所が、地面が揺れている。何で仕事に行って、なんで休みの日に休むんだっけ。お金を稼いでも、休みがあっても何にもすることはないのに。なんで夫は死んで、私は生きているんだっけ。

かにあった肉体が、炉に入って暫くして、ばらぱらの、白い部品のような何かとなって出てきたあの時に私の中で何かが壊れたのだと思う。この、白い部品が集まって、動いて、私の好きな人構成していたのか。そしてもう、集まることはないのか。指南されるままに、正しい順番で、小さな箱に納められた夫を両手で抱えながら車に乗った。小さな箱は車が揺れるたびにからから、と音を立てた。あの時自分が何を考えていたのか、何を感じていたのかを表す言葉を私は持たない。涙をずっと我慢していたので目の奥がずっと熱かったことを覚えている。

毎日生活を、感情を、とりとめのない話を。

夫がいることで全てが成立していたなんて、それが突然なくなるなんて、思ってもなかった。もっともっと感謝を伝えていれば良かった。もっともっと未来を見せてあげられていたら良かった。もっともっと、生きたいと思ってもらいたかった。

ひまわりを買ってきたので花瓶に生けて、夫の写真の横に置いた。そういえば夫はひまわりが好きで、いつか子どもができたら名前ひまわりにしようと言っていた。名字と語呂が悪いしもうちょっと呼びやす名前のほうが良いよ、と私が言ったら軽い言い合いになったのだった。本当に何ひとつ趣味が合わなかった。どうせその後も子どもはできなかったのだし、夢の話にそんなムキになって反論しなくてもよかったな、と今さら思う。

いつも夫が座っていた場所を見る。ずっと同じ姿勢で、タバコを吸ってビールを飲んでた姿を思い出す。ひとりでさみしかっただろうな。

今ひとりになって、喉の奥がぎゅっとなる。

後悔が残った側の宿命だとすれば、私はこの先、これとやっていくしかないんだろうな。つらいなぁ。

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