サイコパス的な主人公?のエッセイストが周囲の人々の感情をコントロールする様を、芥川龍之介の「藪の中」のように周りの人々の語り(と本人のブログ記事)により描くのだけど、俯瞰視点が存在せずオープンエンドの結末で「誰がまともなのか」が宙吊りにされる感触がある
主人公の中井ルミンはその自己愛に基づく他者操作により周囲の賞賛とその裏での憎悪を同時に集めるのだけど、賞賛の声も憎悪の声もどこかしら何かが「変」で、読むうち明らかに異常であるはずのルミンが下手したら「まとも」にすら見えてくる。読んでて自分の「正常」が揺らぐ感覚が怖い
自己愛性パーソナリティの人とのコミュニケーションというのは「自分のまともな認識」が揺らぐ感触を常に伴うものだが、この小説はそのリアリティをメタレベルで表現しているように感じる。やー怖い
さらにいえば、中井ルミンを悪魔化して「こういう人いるよねー怖い怖い」というシンプルな逃げ道をこの小説は許さないところがまた怖い。SNSやブログ、メールなど日々「書く」われわれは、常にうっすらと日常の出来事を綺麗に漂白し、他人を道具化しているわけよ
剽窃に関していうと、こういう自己愛が強い人ほどささいな類似を「剽窃」として非難しがちだよねーとおもうんですけど、中井ルミンよりも彼女に剽窃されたと訴える人々の自己愛の描かれ方が興味深いとともに怖かった
自己愛性パーソナリティ障害の特徴のひとつに「他者への共感の欠如」というのがあるけど、まあなんというかこの物語の登場人物は誰一人として「他者に共感」しない(してるふりはするしそう自分で信じ込んではいるけど)。それはこんにちのオレたちの社会の似姿ですこしゾッとする
ある著名人が明らかに「異常で許し難い」言動をしているとする。だがその著名人を熱狂的に支持する人々は多い。そのような状況がどのような心理的なメカニズムによって成り立っているのか、について考えるヒントになる物語であるように感じる。小説と漫画版と読み比べてそう感じた

Jul 12, 2024 · 7:12 PM UTC