挿絵表示切替ボタン
▼配色






▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません 作者:由畝 啓

第一部 悪役令嬢はしゃべりません


 185/546

29. 獅子身中の虫 1


リリアナ・アレクサンドラ・クラークはその日、王宮に上がってライリーの執務室に立ち寄っていた。午後からは視察の予定が入っているため、ジルドも伴っている。今でもジルドは王宮に入る度仏頂面を晒しているが、最近ではだいぶ慣れて来た様子だ。

本来であれば視察に出発する時間に合わせて王宮に来る予定だったが、昨日ライリーから早目に来て欲しいと手紙が届いたのだ。どうやら話したいことがあるらしく、そしてリリアナも断る理由はなかった。


「サーシャ。早目に来てくれたんだね、ありがとう」


ライリーは入室したリリアナを見て破顔一笑した。人前では“リリアナ嬢”と呼ぶライリーだが、ジルドの前では構わずに“サーシャ”と呼ぶことに決めたらしい。一方のリリアナはどれだけライリーに請われても、ジルドの前では“殿下”という呼び名を崩すことはしなかった。ライリーは若干不服そうだが、リリアナに無理強いはしたくないらしく許容してくれている。


「殿下、お変わりなさそうで安心いたしましたわ」

「三日前に会ったばかりだからね。本当はもっと頻繁に会いたいんだけど」

「それほど時間を持て余していらっしゃるわけではございませんでしょう」


礼を取ったリリアナをエスコートしてライリーはソファーに腰掛ける。不機嫌さを辛うじて隠し無表情を保つジルドは部屋の隅に待機した。優秀な傭兵なだけあって、そうするとジルドの気配はほとんど感じられなくなる。常に傍に人が居ることに慣れたライリーやリリアナにとって、このような状況は二人きりであるのと殆ど変わらない。特に部屋に控えている護衛が王宮の勢力図に無関係と分かり切ったジルドであれば尚更、会話の内容にも気遣わなくて良かった。


リリアナはライリーが卓上に置いた書類に目を止める。描かれている図は部屋の間取りのように見えた。ライリーが「ああ、これ?」と目を瞬かせる。頷いたリリアナに、王太子は小さく笑みを浮かべてみせた。


「“立太子の儀”に関して関係各所から質問が来てるんだ。貴方にも手伝って貰ったからだいぶ順調に進んではいるんだけど」

「左様でございますか」


ライリーの説明にリリアナは頷くが、その顔色はあまり晴れない。ライリーは苦笑して尋ねた。


「やっぱり、茶会は嫌なのかな」

「嫌というよりも――気乗りがしないだけですわ」


“立太子の儀”は公式行事であり、他国からも来賓を招く。そのため国内の貴族も当主と同伴者(パートナー)しか参加できないが、ライリーの婚約者であるリリアナが十三歳でありながら参列すること、そして同世代の貴族と親交を深めた方が後々ライリーのためになるだろうことから、式典とは別に茶会を開くことが決まっていた。その茶会は大規模なもので、ライリーたちと同世代の貴族とその保護者が参加できることが決まっている。主な参加者は国内貴族だが、一部他国の貴族も受け入れられるよう手筈が整っていた。

そしてその茶会の開催が提案された時、リリアナは消極的な態度を見せた。理由を問われても明確には答えられなかった。

リリアナが気乗りしない理由は()()()()()にあるのだから、答えられないのも当然だった。結局リリアナ以外に反対する者はおらず、開催が決定してしまった。


浮かない表情のリリアナを見てライリーは苦笑を零す。普段から泰然自若として何事にも動じず、感情で物事を決めることのないリリアナにしては珍しいことだと思っていることは、傍から見ても明らかだった。


「貴方の負担にはならないように、私も気を付ける。だから当日は頼ってくれ」

「――お心遣い、痛み入ります」


リリアナの返答はどこかよそよそしさを感じさせるものだった。ライリーは更に苦笑を深めるが、それ以上その話題を続ける気はない様子だった。別の書類を手に取ってリリアナに差し出した。それはクラーク公爵領で発見された黒死病に関する報告書だった。


「クライドから報告が上がって来たんだけど、黒死病の件について何か聞いている?」

「いいえ、特に何も。他の地域に病人が出たとも耳にしておりませんから、抑えられたのではないかと思っていたのですが――」

「うん、幸いにも他の地域ではこの一年、黒死病は出ていない」


ライリーの言葉を聞いたリリアナはほっと安堵の息を吐いた。

黒死病は致死率が高い。罹患者の殆どを占める腺ペストでも数日で死亡するが、菌が肺に回れば腺ペストに次いで肺ペストも発症する。肺ペスト患者が出れば彼らの咳を介して周囲が感染するという、負の連鎖に持ち込まれてしまうのだ。

だからこそ、黒死病は一旦発生すれば容易に爆発的な流行(パンデミック)へと移行し、数百年その猛威を振るう。そうなればあっという間にスリベグランディア王国は地獄のような死地へと生まれ変わるだろう。


「それは宜しゅうございました。ですが、まだ警戒はしておきたいところでございますわね」

「ああ、そう思う」


一方で、リリアナはどこか釈然としない気持ちも抱いていた。

発生したのは、()()黒死病だ。科学が発達した前世でも撲滅が叶わなかった感染症である――尤も、あの世界でも完全に打ち勝てたとされていたのは天然痘だけだったが。いずれにせよ、黒死病にワクチンは存在せず、予防法はノミや鼠の駆除や患者の体液に触れない事、患者の部屋への立ち入り制限等を行うことだけだった。

今回もそれと同様の対策を講じたものの、完全とは言い難い状況だったはずだ。鼠はともかくも、ノミの駆除などこの世界の技術水準でできるわけがない。魔術を使ってもノミ全てを駆逐する術式など組めるはずもなかった。


(本当に黒死病だったのかしら。世界観が比較的前世に似ているとはいえ、魔法もある時点で違う世界のはずですし――わたくしが知らない感染症も存在している可能性はありますもの)


これまでも前世の知識で凌いで来たものの、想定していなかった可能性に気が付いて一瞬ひやりとする。しかし考えても致し方がないことだ。疫学調査の手法は文官に共有したから、また黒死病のように集団が感染する病が報告されたら調査してくれるだろう。リリアナに出来る手は打ってある。


「気になる?」


そんなリリアナに気が付いたのか、ライリーは微苦笑を浮かべてリリアナに顔を向けていた。表情を変えていたつもりのないリリアナは僅かに焦るが、それすらも顔には出さずににっこりと微笑む。


「勿論、多少は気に掛かりますわ。特に黒死病の病人が出た村は、近隣の村からは忌避されると聞きます。一年経過して何も問題がないのであれば大丈夫でしょうが、焼き討ちされる可能性も否定できないのではないかと」

「ああ、それは確かに懸念事項だ」


ライリーは真剣な表情で頷いた。せっかく黒死病の伝播を抑えられても、恐怖に陥った者によって村自体が焼かれては元も子もない。


「実際にクライドが手配した者が、その村を焼こうとした下手人を捕えたらしい。この一年で三人、その内の二人は最初の二ヵ月以内に捕まった。だが最後の一人はつい一ヵ月前の出来事だ」

「今更、ですか」

「捕えた下手人に尋ねると、その村で黒死病の患者が発生したから近々魔物が現れるだろうという噂を聞いた、ということだった」


黒死病の抑制は比較的早期に済んだはずだ。それにも関わらず村に火を放とうとした者が未だに居るということは、恐らく件の村で魔物が発生するという噂が立ち消えていないということに違いない。リリアナは眉根を僅かに寄せた。


「何者かが故意に噂を広げている可能性はありますかしら」

「その可能性はあるだろうね」


どうやらライリーもリリアナと同じ考えに至っていたようだ。どこか沈鬱な表情で頷く。

だが、故意に噂を広げているのだとすればその目的が分からない。愉快犯でないとすれば、何らかの得があるからその噂を広めるはずだ。しかし問題となっている村はクラーク公爵領でも貧しい地域の村であり、特産品があるわけでもなければ政治的、農業的に重要な地域というわけでもない。その地に住む領民からすれば嫌な話だろうが、無くなったとしても何ら困らない場所だった。


「その方面でも今、クライドが調査している。ただ目ぼしい情報は入手できていないらしい」


それはそうだろうとリリアナは納得した。そもそも確証の薄い可能性を調査するために人員を割くほど、公爵家にも余裕はないはずだ。だが、必要であればオブシディアンに調べて貰っても良いかもしれない。そうすれば少なくとも故意なのか偶然なのかは分かるだろう。


「何か分かると良いですわね」

「ああ」


リリアナは考えたことをライリーに教えるつもりはなく、在り来たりな言葉で片付けた。ライリーは気が付いた様子もなく頷く。そのまま二人の会話は別の話題に流れていった。

人身売買に関する調査に進展はないことや、相変わらず国王陛下の治療は続いていること等、話題は尽きない。三日前に会ったばかりだというのに、ライリーはリリアナと過ごす時を一分でも無駄にしたくないと言わんばかりだ。以前はそんなライリーに慣れず戸惑っていたリリアナだが、さすがに最近では慣れて来た。


「ただ陛下の治療に当たっている魔導士の話では、陛下の体調不良は呪術で間違いないのだが――以前言われていた、人の仕業ではないと言えるほど強力なものではないそうだ」

「まあ」


ライリーは声を潜める。リリアナは目を丸くした。以前からその可能性は囁かれていたが、魔導省長官が解呪できないほどの呪術――即ち、人智を超えたものだということではなかったか。


「人ではない存在の仕業ではございませんでしたの?」

「どうやら違うらしい。陛下の容体のこともあって無理はできないが、治療と同時に呪術の解析もして貰っている。呪術であれば、完全に解呪した暁には術者自身にも何らかの影響があるはずだ。だが、そうはならないように手を打つよう頼んでいる」


呪術を解けば、その力は術者へ返る。どのような形で返っていくのかは、術の種類や掛けられていた期間、難易度など様々な要因によって異なる。しかし、国王に掛けられた術は確実に彼の命を、長期間に渡って奪うものだった。術者へ返れば間違いなく術者本人も命を落とすに違いない。

しかしそれでは、術者を裏で操っているだろう黒幕には辿り着かない。そのため、ライリーは敢えて術者に呪術が返らないようにして欲しいと魔導士に頼んだ。


「その方にできるのでしょうか」


リリアナは心配そうな素振りで問うた。呪術はスリベグランディア王国でもあまり研究されていない。つまり優秀な呪術士も殆ど居ないということだ。リリアナの知る限りでは、ペトラ・ミューリュライネンが王国随一の呪術士である。そしてペトラはリリアナに、解呪に失敗した時の危険性も教えてくれた。


「解呪に失敗した呪術士は、呪術を掛けた術者の代わりに“呪術返し”を受けると聞きます」


即ち、国王の解呪に失敗すればその魔導士が死ぬかもしれないということだ。リリアナの懸念を聞いたライリーは真顔でリリアナの心配を肯定した。


「その可能性はある。だが、彼は私の知る限り我が国の中で三本の指に入る優秀な呪術士だ。本業は魔導士だが」


思わぬ言葉に、リリアナは目を瞬かせた。無言で小首を傾げライリーを見つめると、ライリーは僅かに頬を紅潮させた。しかし変わらぬ口調で続ける。


「一番は貴方も知っての通り、ペトラ・ミューリュライネン殿だ。彼女の呪術の腕は他の追随を許さない」


そしてもう一人はベン・ドラコ、元魔導省副長官だ。その彼に張るのが、国王の治療を行っている魔導士だという。


「寡聞にして存じませんでしたわ。そのような方がいらっしゃるのですね。魔導省に所属していらっしゃらないのですか?」


リリアナは尋ねる。国王の居室は王宮の中でも最も警備体制が厳重だ。そのため、呪術で造った鼠を潜り込ませることはできなかった。オブシディアンも王の居室まで忍び込むことは難しいと言う。特に魔導士が治療に当たっている時は結界が更に増強されるため、様子を窺うことはできなかった。ただ、できないわけではない、という所が最強の刺客の所以だとリリアナは呆れたものだ。とはいえオブシディアンが捕まったり、捕まらなくとも騎士や魔導士たちの警戒心が無闇に高まったりしても後々やり辛い。そのため、リリアナは無理に様子を探ろうとはしなかった。


「魔導省には所属していないよ。魔導士にありがちだけど、集団で何かをするとか、権力に従うのが好きではないらしくてね。ほら、あの二人もそんな感じだろう?」


苦笑しながらライリーが出した名前はペトラとベンのものだった。確かにあの二人も、好きで魔導省で働いているわけではない様子だ。(しがらみ)があるから魔導省に居るだけで、本音を言えば屋敷に引きこもり研究をしたいと思う性質だろう。


「それに、陛下の治療に当たって、必要になれば二人の力を借りることになっている。二人には申し訳ないが、魔導省に復帰してくれたのは僥倖だったな」

「雑用ばかりを押し付けられて迷惑だと零していましたわ」


ライリーとリリアナは笑みを零した。

確かにペトラとベンが国王の治療のため解呪を手伝うのであれば安心だろう。何せ王国の優秀な呪術士上位三人が取り組むのだ。彼らが失敗するのであれば、如何様にしても国王の容体は回復しないに違いない。


その時、執務室の扉が叩かれた。侍従が顔を出して、視察に出る時間になったと告げる。

ライリーは「分かった」と答えたが、苦笑してリリアナに視線を移した。


「貴方と居ると時が過ぎるのも早いね」


時折、ライリーは甘い言葉を口にするようになった。本人に自覚はないらしい上に、リリアナも何と返答して良いものか分からないため曖昧に微笑むに留めている。

案の定、この時もライリーはそれ以上は何も言わず立ち上がると、リリアナに手を差し出した。素直にエスコートを受けるリリアナもまた立ち上がり、ライリーと共に執務室を出る。

二人が向かうのは王立騎士団の訓練場だ。以前より課題とされていた騎士団の増強と拡充を見据えたものだが、反発する貴族もいるため公にはなっていない。あくまでも名目は騎士団の激励である。


「行こうか」

「ええ」


ライリーと共に、リリアナは王宮の通路を歩く。その後ろをジルドが続き、そしてライリーに付けられた護衛たちもぞろぞろと後を追う。

まだ、ライリーに近衛騎士はいない。騎士団一番隊から選ばれた騎士が交代で護衛に付いている。王族の護衛を主な任務とする一番隊には爵位が高く見目の良い者が多く、実力だけで見れば魔導騎士を集めた二番隊や実力主義と名高い七番隊の方が信用もおける。しかし、二番隊も七番隊も通常任務に忙しく護衛をする暇はない。


リリアナは横目で彼らを一瞥し、そして正面を向いた。

妙な違和感が、リリアナの中に芽生えていた。


  • ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねをするにはログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。


2024年4月25日 第1巻発売(オーバーラップ文庫)
2024年8月25日 第2巻発売(オーバーラップ文庫)

書影書影

感想は受け付けておりません。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
作品の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ