第9話 霊峰(※主人公、一人称)

 宿は、楽しかった。昨日の夕食も美味しかったし、今日の朝食も素晴らしい。「主人が取ってきた」と言う魚、山菜、茸、奥さんが炊いた白米もみんな、体に染み渡る美味しさだった。昨日の夜は、想良様の侵入に悩まされたけど。


 、(想良様は不満げだったが)その侵入を何とか阻めた。俺は最後のお湯に浸かり、温泉の余韻が残る中で、少女達と共に宿屋の中から出た。「お世話になりました」

 

 宿屋の主人は、その言葉に喜んだ。俺に「敬語など無用です」と言わんばかりに。俺や想良様の身分を考えて、相応の態度(そんな物は、どうでも良いが)を見せてくれたのである。主人は俺や想良様が馬の上に乗り、菫殿達がその後につづいた時も、穏やかな顔で俺達の事を見守っていた。「どうか、我等の世界に安寧を!」


 その言葉に胸を打たれた。振りかえらなくても良いのに。それを聞いて、主人の方を振りかえってしまった。俺は彼の願いに応え、想良様も相手に手を振った。「貴方の願いを絶対に叶えると」と。そんな思いで、相手に決意を述べた。


 俺達は自分達の正面に向きなおり、周りの少女達とも話して、霊峰までの道を進みつづけた。霊峰までの道は、険しかった。国が生きていた時ならまだしも、政治が行き届かない地域には、言いようのない不安が、見えない倦怠感が広がっていた。


 町の中で市を開いている商人はもちろん、宿屋の主人にも覇気が感じられないし、服屋の主人にも元気が感じられない。野宿の中で食べる食事にも、言葉にできない疲労感が覚えられた。


 俺達は「宿屋」と「野宿」、「消費」と「補充」を活かして、旅の目的地、つまりは霊峰の入口に着いた。「とうとう来たね?」

 

 そう呟いた想良様に周りも「うん、うん」とうなずいた。旅行気分を味わっていた彼女達だが、ここまで来ると流石に怯えるらしい。想良様がみんなに「行きましょう?」と言うまで、山の入口をじっと見ていた。彼女達は互いの顔をしばらく見、それぞれが覚悟を決めたところで、山の中に入った。「怖くなったら、逃げる。怖くなったら、逃げる」


 俺も「それ」に微笑んで、山の中に入った。俺は仲間の先頭を、菫殿は一番後ろに回って、山の中を進みつづけた。山の中は、穏やかだった。山鳥の声が響き、獣達の足音も響く。時折動く茂みの中からは、一匹の野兎が飛び出してくる。少女の一人が「喉が渇いた」と見つけた小川も、その水面が見える程に澄んでいた。俺達は良さそうな倒木を見つけ、その上に腰掛けて、少しの休憩を取った。


「綺麗ですね?」


「本当に」


 俺もそう、うなずいた。討伐の任がなければ、避暑地として訪れるだろう。木々の間から漏れる木漏れ日が、夏の暑さを和らげている。今は中途半端な季節だが、夏は涼しく、冬も良い感じに過ごせるかも知れない。猛吹雪の時や豪雪の時は仕方ないが、良い場所さえ見つければ、「冬籠もりも悪くないな」と思った。俺は竹筒の水を飲む中で、そんな思いに胸を躍らせた。「仏の加護は、凄い」


 想良様もその言葉に微笑んだが、やがて「でも……」と呟いた。まるで、自分の未来を呪うように。彼女は陰鬱な顔で、自分の足下に目を落とした。「その先には、魔境が待っている。妖狐達の蔓延る魔境が」


 少女達は、その言葉に顔を曇らせた。確かにそう。今は安全かも知れないが、この先には危険が待っている。誰も見た事がない世界、妖狐の世界が待っている。人間の道理が通じない異世界が。少女達はその世界を思って、ある者は震え、またある者は泣いた。「平和と恐怖は、隣り合わせ」


 俺は、その言葉に眉を寄せた。それ以外の真理が無かったから。拒みたくても、それに「うん」とうなずいてしまった。俺は真剣な顔で、自分の刀を握った。己の魂が宿る、刀を。「今回の任務は、偵察だ。山の向こう側がどうなっているかを見る事。それがもし、『無理だ』と思ったら。すぐに逃げる。何度も言うけど、山の向こうに引き返す。命があれば」


 少女達は、その続きを遮った。それはもう、「充分に分かっている」と言う風に。「私達もまだ、死にたくありません。幸せな未来を掴むまでは」


 絶対に死ねない。そう訴える、少女達の視線だった。「自分達は、絶対に生きて変えるのだ」と。少女達は「ニコッ」と笑って、菫殿の顔を見た。菫殿の顔も、彼女達に微笑んでいる。「私達、これでも一応女の子だしさ?」


 俺は、その言葉に微笑んだ。男の俺が思う以上に「恋」と言うのは、大事な物らしい。朝廷への忠誠心よりも、その感情、その思いの方が大事らしかった。


 俺は女性達の価値観に驚きながらも、真剣な顔で倒木の上から腰を上げた。のんびりするのも良いが、あまり遅くなるのは不味い。昼間は「霊峰」と呼ばれた山でも、夜には野獣達が出て来る。「熊」や「狼」、「猪」と言った獣達が、俺達の寝床を襲うかも知れなかった。

 

 俺は周りの女性陣に目配せして、移動の再開を促した。今日の野宿に相応しい場所を探すために。俺は馬の上に跨がると、その尻を叩いて、山の中を進み出した。少女達も、その後につづいた。俺達は通りやすい山道を選んで、そこをゆっくりと進み、今夜の寝床を探しつづけた。


 今夜の寝床も、穏やかだった。猪の侵入には困ったけれど、それ以外に困った事はない。空も晴れているので、猪汁を作っている時はもちろん、それを啜っている時も、楽しい気持ちで夜の山を眺められた。俺は安全な場所に少女達を集め、その周りに流人や菫などを立たせて、攻守共に「ホッ」とできる寝床を作った。「お腹いっぱいで眠れる、幸せ」


 想良様も、その声に微笑んだ。個人的には鹿肉の方が好きだったが、脂満天の猪肉も悪くない。腹の満腹感も相まって、いつの間にかウトウトと、木の幹に寄り掛かりながら「すうすう」と眠りはじめてしまった。「しあわせぇえええ」


 俺は、その声に「クスッ」とした。少女が笑う顔はやはり、嬉しい。「安堵感」と「満足感」、その両方を覚えられる。菫殿の方は「やれやれ」と思っているようだが、その顔に不思議な感覚を覚えてしまった。この笑顔を守れるなら、どんな苦労も耐えられる。


 俺は彼女の寝顔をしばらく見ていたが、菫殿の視線にふと気づくと、「なんだ?」と思って彼女の方に視線を向けた。彼女は穏やかな、でも不思議そうな顔で、俺の事を眺めている。「どうした?」

 

 菫殿は、その質問に戸惑った。俺の質問に驚いた、わけではないらしい。俺の気づかない何かを隠して、その顔に作り笑いを浮かべたらしかった。彼女は俺の顔をしばらく見て、そらから想良様の寝顔に視線を移した。


「わたくしが公方様の軍に入って間もなき頃、山の温泉宿に泊まりましたよね? そこで、想良様とお話しした時です。『自分は、公方様を慕っている』と、女子の情を話しておりました」

 

 その言葉に固まった。「何か言わなければ」と思っても、その言葉が出て来ない。胸の動揺にただ、戸惑うわけだった。俺は胸の動揺を抑えて、彼女の顔を見返した。彼女の顔は、今の話に表情を消している。「どうして今、そんな事を?」


 そう訊いたが、なかなか応えない。少しの沈黙を置いて、ようやく応えたくらいだった。


「分かりません。だた」


「ただ?」


「公方様にそれを話したくなって。まったく、わたくしも恐れているのでしょう。朝廷に、『公方様に捧げた命』とは言え、やはり恐ろしい。妖狐に殺されるのが」


「菫殿……」


 俺は真剣な顔で、彼女の前に歩み寄った。彼女の信頼を得るために。「貴女は、大事な仲間です。この俺についてくれた仲間。仲間の命は、何があっても守ります。この命に代えても、だから」


 死なせない。彼女にそう、誓った。その目を、その潤んだ瞳を見つめるように。俺は自分の魂に賭けて、彼女に誓いを立てた。「生き抜こう」


 彼女は、それに固まった。固まったが、すぐに「はいっ!」と応えた。彼女は俺の手を握って、この目をじっと見つめた。「我々は、負けない。天の道理は、我々にあります」


 その言葉に笑い合った。俺達は互いの手を握って、自分の未来に希望を抱いた。「人間は決して負けない」と言う希望を。

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