第7話 温泉宿(※三人称)

 新しい仲間。それに胸が躍った流人だったが、一つだけ不安があった。「同年代の少女達と一緒に旅する」と言う不安。その不安だけは、どうしても拭えなかったのである。想良だけなら何とかなるが、自分の周りに少女達、特に菫が並んだりすると、(「何日も風呂に入っていない」とは言え)少女特有の匂い、男の本能を擽る匂いに戸惑ってしまった。


 流人は、その匂いから離れた。彼女達に非はないが、やはり怖い。一人ずつ話し掛けられるならまだしも、数人から話し掛けられた時は、それに「あっ、うん」と苦笑いしてしまった。


「その気持ちは、嬉しいけど。危なくなったら、すぐに逃げて良い。逃げるのは武士の本懐に背くかも知れないが、生きなきゃできない事がある。俺は……神の加護を受けているけど、周りの人にまで『それ』を強いたくない」

 

 想良は、それに吹き出した。将軍としては、文句なしの強さなのに。そう言う部分はまだ、年相応の少年だった。「将軍への忠誠を誓っている」とは言え、同年代の少女が死ぬのは、特に菫のような少女が死ぬのは、流人としては耐えがたい物、文字通りの苦痛であるらしい。想良はそんな気持ちを察して、彼の優しさに「まったく」と微笑んだ。「


 流人も、それに苦笑した。「甘い」と言えば、確かに甘いかも知れない。部下の命を重んじる将軍なんて、普通ならありえない事だった。命に代えても、使命を果たせ。敵の牙にやられるのは、武士の誉れである。将軍の命に従わない兵士は、末代までの恥だった。


 流人はそんな思考に唸ったものの、一方では「これで良い。これが俺のやり方だ」と思って、自分の生き方に「うん」とうなずいた。最悪の時は、彼女達だけ逃がせば良い。「と、とにかく進もう。この変には、宿が無いし。最悪また、野宿になる。夜は、危険な動物でいっぱいだ」


 想良も、彼の意見にうなずいた。討伐の旅でそんな事は言っていられないが、二日連続の野宿は流石に嫌らしい。菫殿に「仕方在りません」と言われた時も、(彼女に対して対抗意識があるのか)「嫌です!」と怒っていた。


 想良は流人の隣に馬を近づけて、彼の馬に「クスッ」と微笑んだ。そうする事で、自分と流人の仲を示すように。「外に居たら、変な虫が付くかも知れない。あたし達は、朝廷の将軍と陰陽庁の長官です!」

 

 菫は、その声に目を見開いた。恋愛事には疎い彼女だが、この態度を見れば流石に分かる。想良が流人に対してどう思っているか、恋愛初心者の彼女にも分かってしまった。想良はたぶん、流人に好意を抱いている。それを抱いた敬意は分からないが、あの艶っぽい笑顔や、頬が赤くなった顔は、どう見ても「好き」を表していた。

 

 菫は、その事実に息を飲んだ。こう言う手合いに下手な事は言えない。ある種の誤魔化し、ある種の作り笑いで、この場を誤魔化す必要がある。菫は複雑な顔で、流人の隣から離れた。「申し訳ありません、出過ぎた事を申しました」


 流人は、それに苦笑した。彼も彼で自分への好意に疎いが、こう言う威圧感(のような物)は分かる。菫が自分に目をやった時はもちろん、想良がそれに「プクッ」となった時も、それぞれの反応に「アハハッ」と笑っていた。


 流人は今の空気を変える意味で、想良の言葉に「確かに辛いかもな?」と言い添えた。「食料の消費も抑えなきゃならないし。神様と合わさっても、空腹のそれは消えないから。何日の飲まず食わずのままじゃ不味い。泊まれる場所があるなら」  

 

 泊まった方が良いよ。そんな事を話した三日後くらいか? 前の二日間は(仕方なくも)野宿を決めたが、想良様が髪のカサつきに苛々したところで、少女の一人が宿屋を、山の中にある古びた宿屋を指差した。「あそこ、良いんじゃないですか? 温泉の湯気も見えるし、前の通りも整っています。馬を停めておく場所もあるようですし」

 

 残りの少女達も、その提案にうなずいた。菫の志についてきた彼女達だが、その中身は十四、五歳の少女。温泉宿の魔力には、流石に敵わない。つい一刻前まで「死ぬぅううう」、「疲れたぁああ」と言っていた目が、星のように「キラッ」と光って、「我先に」と走り出してしまった。少女達は菫の制止を無視して、宿屋までの道を走りつづけた。「やっとお風呂に入れるよぉおお!」

 

 想良も、それを追いかけた。馬の尻を叩いて、その足を促すように。温泉宿の湯気、匂い、雰囲気を求めて、その目を「キラッ」と光らせた。彼女は少女達の背中を追い越してもなお、嬉しそうな顔で自分の馬を走らせつづけた。「温泉が、お風呂があたしを待っている!」

 

 菫は、その声に瞬いた。「ちょっと怖い人」と思っていたが、その中身は意外と普通らしい。陰陽師の長官らしい雰囲気ではあるが、その態度や服装は、年相応の少女だった。菫はそんな彼女に安堵を覚える一方で、それに好かれている流人、特にその人柄にも「ああ言う人だからか?」と思った。人間は相手の身分よりも、その本質に恋をする。「私には、分からない世界だ」

 

 憧れはあっても、それが「自分にもある」とは思えない。ましてや、誰かに恋するなんて。今の自分には、信じられない事だった。自分はきっと……いや、止めよう。そんなのは、後から考えれば良い。


 菫はそう自分に言って、流人の後ろを歩きつづけた。流人も彼女の前を進みつづけ、宿屋の前まで馬を歩かせると、馬の上から降りて、宿の人間に「ここの主人をお願いします」と言った。「部屋の空きがあれば、泊めて欲しいので」

 

 相手は、その要求に頭を下げた。彼よりも前に想良達が着いていたので、泊りの事はもう彼女達から聞かされていたらしい。宿屋の奥に二人を導いて、二人に「こちらが公方様、反対側が女子達のお部屋です」と言った。「一応、男女別にはしているので」

 

 流人は、それに「ホッ」とした。この人数では、「何人かが同じ部屋になる」と思ったけれど。こんな風に考えてくれるのは、色々な意味で「ありがたい」と思った。異性と相部屋になるのはやはり、きつい。流人は穏やかな気持ちで、自分の部屋に入ろうとしたが……。


 それを阻む者が一人、部屋の中に「良い部屋だね」と入ってしまった。陰陽庁の長官たる少女が一人、部屋の中に「ううん」と陣取ってしまったのである。流人は彼女の早業に「ポカン」とするものの、それに「いやいや、ダメだろう!」と思って、想良の中に「出て下さい!」と歩み寄った。


「今日は、野宿じゃありません。獣に襲われる事はないし、悪人に囲まれる事もない!」


「だから?」


「え?」


「別に良いでしょう? 


「で、でも……」


 想良は、その声を無視した。少女達が二人の会話を見ている前で、彼女達に自分の意思を示したのである。彼女は流人の腕に自分の腕を絡め、少女の全員に「分かっているな?」と笑って、部屋の戸を閉めた。「入ってきたら許さない」


 少女達は、その声に震えた。彼等も彼等で様々な修羅場を潜ってきたが、「こんなに怖い」と思った事はない。あの「ニコッ」とした顔は、自分達への殺人予告だった。


 少女達は「それ」に震えて、部屋の中に入った。「優しい人だ」とは思うが、あの人は怒らせては行けない。仏も恐れる般若になってしまう。流石に殺される事はないだろうが、部屋の戸をそっと閉めた仕草からは、棘のような殺気が感じられた。


 彼女達は同年代の少女、特に想良の本質に触れて、それに「触らぬ神に祟りなし」と言い合った。「人の恋路には、触れないようにしよう」

 

 菫も、その声にうなずいた。想良がどれくらい想っているかは分からないが、「とにかく余計な事はしない方が良い。あれは、文字通りの阿修羅である。菫は複雑な気持ちで、部屋の中に入った。「ま、まあ、とにかく。今は、ゆっくり休もう。宿のお風呂も、良い感じだし」

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