第5話 カーチェイス

 イリスの居室から出て車を走らせていた。愛車のワイアットスカイズは快調に走り出す。バッテリー残量は八〇パーセント——電気エンジンにも問題はない。

 目的地は市内の間宮町。ここから車で四十分ほどで、燦月市の北西端に位置する町であり、怪火が目撃された郊外最寄の町でもある。

 姫宮堂の私兵隊こと銀隊とやらが動くには打って付けで、その理由づけとして廃工場を選んだのなら、箱の隠し場所として廃アパートを選んだのも、あらかじめシナリオを描いた上でこの一件を動かしたとしていたら、出来過ぎなくらいに頷けるという立地である。


 イリスの言う通り、琴音は明らかに何か重要なことを隠している。

 けれど、冷静に考えてほしい。大した実績のない末端の忌術師事務所を、己の不正を餌にしてまで嵌める利益があるだろうかと。はっきり言えば、それはない。リスクとリターンが破綻しているし、それどころか、相手の旨みが何もない。

 明らかになんらかのロンダリング——呪物の取引履歴の抹消や、マネーロンダリング、そうしたものの一環に巻き込まれつつあり、恐らくはこちらを嵌めるよう要求された琴音さえも利用されている可能性が高い。

 この事件の終結がどんな形でもたらされるにしろ、琴音はどのみち始末される。


「琴音」

「はい……?」


 途中のコンビニで買ったカフェラテを啜ってから、朔夜は言った。


「お前が何を言われて俺たちと接触したのかはあえて聞いたりしない。でも、自分に嘘をつくのはやめろ。一生、ほかならない、偽った自分を責め続けることになるぞ」


 琴音はまだストローさえ抜いていないいちごオレのカップを弄びながら、視線を朔夜の横顔に向けた。


「…………。……それは、実体験からくる箴言しんげんですか?」

「……。……ああそうだ。俺は周りの目を気にして顔色を窺って自分の本心を偽ってきた。クズの才能で、学生生活を凌いで……友達を裏切っちまった。ずっと後悔してる」

「謝れば、いいじゃないですか」


 気負いなく朔夜は「死んだ」と言った。


「え」

「いじめが苦になって自殺した。飛び降りたあいつの遺体を、見たよ」


 高校二年生の頃、中学以来の友人が自殺した。理由は、入学当初から続いていたいじめ。朔夜は高校の輝かしい生活のため、彼に救いの手を差し伸べず、クズの才能を発揮して、いじめる側についていた。

 因果応報というべきか、そのあとで手酷いいじめを受けるようになったのは自分だった。


「それが嫌で、忌術師になった。俺は俺の良心に従って、君を助ける。だから君も、自分を見失わないでほしい。嘘で塗り固められた、偽られた依頼をこなすのはごめんだ」

「……本心ですよ。私の命に危険があるのも、助けてほしいのも」


 琴音は、窓の向こうに視線を投げかけた。

 ビル、駅、コンビニ。和香コーラという国産ブランドのコーラの瓶のオブジェが型取られたデパートが見える。クイーンズカフェという、ベルガ大陸中に展開しているコーヒーショップの看板が、季節限定のフルーツラテを宣伝し、街頭でストリートライブをする若者が、数人から喝采を受けている。八十神玲奈の成功談もあり、インディーズからの大成功を夢見るバンドやシンガーソングライターは多い。


「私は野良妖怪ですから、強い奴には逆らえないんです。やれと言われたことをやって、雀の涙の施しで生きていく。強くなって、誰かを食い物にできるまでそれは続きます」

「過去にされて嫌だったことを、強くなったら強要していいってのは、強者の考え方じゃないな。それは、弱者の思考だ。俺なら絶対にしない。もう二度と」

「あなたは恵まれた人間だからわからないでしょう。私たちみたいに野生上がりの妖怪には頼れる親も友人もいないんです」

「その点は、俺はお前らに近いぞ。お前、コウノトリのゆりかごって知ってるか」

「いえ……」


 赤信号で止まる。隣の、運輸会社のトラックがドゥドゥと重低音を響かせていた。


「赤ちゃんポストとも言ってな。燦月市民病院にも設置されてるが、訳ありで育てられない赤ん坊を合法的に捨てられる場所だ」

「……!」

「俺は捨て子だ。親なんて知らない。孤児院で育って、特に気を許せる相手もないまま育った。高校を出て、バイトを渡り歩いて、呪具の製造工場で星羅と出会って、縁があって忌術師として雇ってもらったんだ」

「ごめんなさい……知らなかったとはいえ……」

「いいさ、好きで自分語りしただけだ。でも君も、あんまり自分の状況に倦まないでほしい。案外、どうとでもなるんだ。俺も……償うべき罪を背負ってる今の暮らしは、確かに金に困ることもあるが、不幸だと思ったことはない。積み重ねの結果だと、そう受け入れてる」


 少なくとも自分は生きている。過去でも、地に足のつかない未来にでもなく、現在を。今この瞬間に、確かなきせきを刻みながら。


 朔夜は青信号を進む。

 歩道橋が見えてきて、何気なくその通路に視線を投げかけた。

 そこに、こんなクソ暑い真夏日に黒づくめのローブという格好に小面という異相の人物が立っており、朔夜はなぜか胸騒ぎを感じ——。

 次の瞬間、そいつが右腕を振った。そこから、青い火の玉が放たれる。


「伏せろ!」


 朔夜は咄嗟に屈んで、衝撃に備えた。琴音も頭を庇うような姿勢を取る。同時に、ブレーキを踏み込むとスキール音を撒き散らして車が急停止、慣性の法則でシートベルトが捩じ込んでくるほど、体が押し出される。後ろの車がクラクションを鳴らしながらブレーキを踏み、ぶつかってきた。ちくしょう、新車で買ったのに! ローンだってまだいくら残ってると思ってるんだ!

 火球は舗装された道路の上を爆ぜ、小さく爆発してアスファルトを砕いた。


「飛ばすぞ、つかまれ!」


 愚痴を飲み込んで、朔夜はアクセルを踏み込んだ。ギアチェンジして、加速。


「今のは!?」

「銀隊ってやつだろ! 街中だろうとお構いなしか、くそ! ちくしょう、保険入ってなかったら金玉握りつぶしてやるぞ」

「変なこと言ってないで逃げてください! 後ろ、バイクで追いかけてきます!」

「用意周到だな……!」


 朔夜はバックミラーで背後を確認。あらかじめ用意していたのだろう、大型のレーサーバイクに乗った小面が追いかけてきていた。朔夜は間宮町へハンドルを切りつつ、撒くために交差点を右に曲がる。素早いギア操作、ブレーキ操作とハンドル捌きで直角に右折。車の尻が道路標識に激突して、折れ曲がった。テールランプが砕け散る。通行人が「馬鹿野郎!」と怒鳴った気がしたが無視した。


「火術です! 飛ばしてきます!」

「わかってる! くそ、街中で術を使いやがって……」


 忌術師の能力は一般人から忌避されるものだ。暗黙の了解として、公衆の面前での術の使用は控えるべきという考え方があった。

 敵はそのセオリーを無視し、平然と火球を放った。

 朔夜は車体を左右に振って火球を回避し、赤信号を無視、突っ切る。往来する自動車の合間を奇跡的に抜け、駆け抜ける。

 が、小面も同じだ。驚異的な動体視力で赤信号の交差点を突き抜け、追いかけてくる。付近の警察がサイレンを鳴らし、パトカーを発進した。


「そこのセダンとバイク! 停まりなさい!」

「うるせえ、停まったら殺されんだよ」


 警告を無視して加速。隣にピッタリとつけてきたパトカーの窓越しに、警官が怒鳴ろうとして、その車両が背後から迫る火球に激突。直後、油圧系のオイルに引火し、車体が燃え上がった。

 制御を失ったパトカーが派手にスピン、反対車線に飛び出して容赦なく突っ込んできたダンプカーと激突し、粉々に吹き飛ばされる。


「クソっ!」

「こんなこと……っ。いくらなんでも……」

「目を背けるな! 受動的であれ、君が関わったことなんだ。逃げたら……一度逃げ癖がついたら、それっきりだぞ」


 朔夜は、琴音に向けた——というよりは己に言い聞かせるような口調でそう言った。過去の己の過ちを、忘れないために。過去を過去にしないために、過ちをなかったことにしないために。

 加速する車の後部、右の車輪に火球が掠った。

 バースト——タイヤが破裂し、ハンドルを持っていかれる。

 派手に振動する車内で朔夜は必死に制御を取り戻そうとハンドルを握り、間違っても通行人にぶつからぬよう車を導く。

 目の前に、ビルの壁。建設途中なのか、蛇腹状の封鎖フェンスが建てられている。たまたま休憩時間なのか、それとも休みなのか知らないが人の姿は見えない。

 朔夜はままよ、と祈りながらブレーキを踏み込んで、衝撃に備えた。


「備えろ!」

「っ!」


 直後、急ブレーキを踏んでいてもズガァン、と凄まじい音を立て、ワイアットスカイズの車体がフェンス壁に激突。巻き込みながら直進、剥き出しの足場と鉄骨に激突し、ようやく停まった。

 車のフロント部分とボンネットがひしゃげ、エアバッグが作動する。顔面をエアバッグに打ち付け、その圧力と摩擦で額が擦り切れた。

 頭に星が散って、視界がチカチカと明滅を繰り返す。

 早く出なくては——朔夜は気を失っている琴音のシートベルトを、彼女を引っ張って運転席側から這い出した。

 あたりに野次馬ができ、若いやんちゃそうな青年が「じっとしてた方がいいって! いま救急車呼ぶから!」と心配してくれる。


「悪いが、必要ない。俺は忌術師だ。ここにいたら巻き込まれるぞ」

「えっ……」


 後ろからエンジン音。それが停止し、小面が降りてきた。彼は狐の影絵を作り、火術——狐火を形成すると、それを朔夜に向けて放つ。

 右腕に霊力を集中。霊力を幕状に放射し、結界を圧縮した盾を形成した。

 火球が表面で弾け、周りの野次馬が悲鳴をあげて逃げていく。

 ここでは場所が悪い。


「おい、戦ってやる。決着がつくまで民間人とこの娘には手出しするな」

「いいだろう」


 女の声だった。朔夜は、突っ込んだビル——建設途中のそこを戦場に決め、駆け込むのだった。

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エーテルのきせき 夢咲蕾花 @ineine726454

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